アリスさん、商会を知る5
目当ての奴隷を譲り受け、この商会に専属して素材を卸す旨を約束したアリス達がゲスクズ商会を去ってから数十分間後。
日が暮れたリアデの街は何時も通りの装いを見せていた。
灯りの灯り始めた町並み、家路に着く人々、次第に人通りの減り始めた大通りに比較して、飲食店や酒場には仕事終わりの民衆が集い賑わい始める。
平和なこの街は、今日も平和に終わりを迎えようとしている。
そんなリアデの街の中、一際明るく魔道具の光が灯されたゲスクズ商会の会長室には二人の人物がいた。
一人は黒いスーツに身を包んだ細身の中年男性、ゲスクズ商会の会長であるフィナード・ゲスクズ。
そしてもう一人は紺色と白のエプロンドレスを着た若い女。
フィナードがアリス達と話をしていた時、種々の給仕をしていたメイドが彼女だった。
整理された紙束が積まれた執務デスクに座ったまま、俯き、肩を震わせるフィナードと、その傍らに立ち、怪訝な表情を顔に貼り付けて彼を見つめるメイド。
二人がこの部屋に入ってからと言うもの、言葉も無しにもう数十分が経つ。
客観的に、異様な静寂の中に彼らはいた。
軈て顔を上げたフィナードはメイドを振り返って満面の笑みを浮かべ、対してメイドは小さく息を付く。
方や歓喜、方や呆れ。
そして、二人は互いに、主人と召使いらしからぬ口振りで話し始めた。
「ふ……ふふふ……っ!いやあ、上手く行きましたね。ゲスクズ家家訓その71『困った時は取り敢えず馬鹿なお喋りを装え』と。あの真祖のメイドはどうにも掴み所の無い、喰わせ者のようでしたが、何とかなりましたね」
「はぁ……それであんなにつまらない話を長々としていたんですか。ゲスクズ家家訓なんて始めて聞きましたが、禄なものじゃ無さそうですね、いったい幾つあるんです?」
「394です。ゲスクズ家の者はこの家訓を全て覚えさせられるので御座います。私は僅か5才で全て覚えました」
「本当、禄なものじゃ無いですね。役に立っていたかと言われると微妙ですし」
「何を仰いますか、奴隷一人と引き換えに彼女達からの信用と、専属して素材を買い取る約束が得られたのです。見た目も良いレアなスキル持ちの流れ人で御座いましたので、少々惜しくはありますが、曲者過ぎて扱いにも困っていましたし対価としては破格過ぎるでしょう」
「それと家訓は関係なかったような……まあ、会長様が良いのならそれで宜しいと思いますよ」
「とまれ、おかげで大儲けできますよ。このまま彼女達と良好な関係を保ち続ける事が出来れば、我が商会は大陸一……いえ、世界一です……ふふふっ……」
「身も蓋も有りませんね。相変わらず欲に忠実、ゲスクズの名に恥じぬ裏面です。伯爵様が知れば今度は胃がズタボロになるやもしれません」
「褒め言葉と受け取っておきましょう。私と彼はちゃんと親友で御座います。彼の健康を害するような事は致しません。どうです、これで君の給料もアップアップですよ」
「それは大変喜ばしい事ですが、『表では伯爵様の親友にして優良な大商会の会長。皆からは名とは裏腹に善人なやり手の商人だと言われているフィナード・ゲスクズが、実は常に金の事しか頭に無く、裏で権謀術数を汎ゆる所にめぐらせては、犯罪ぎりぎりな事を真っ当に見せかけて行い、汚く金を稼ぎまくっている、ゲスでクズな名通りの男』だと、もしあの御方達に知られれば……会長様、消されるのでは無いですか?」
「ふふふっ、私がどのような人間だろうと彼女達には関係無いではありませんか。私は丁寧な接客を心掛けただけで御座います」
「あの御方達を騙しているようなものじゃないですか。何が逆鱗に触れるか分かったものではありませんよ。何でも冒険者ギルドで声を掛けてきたチンピラを跡形も無く消し去ったとか……」
「命と金の綱渡り。つまり私はとてもやり手の商人と言う事です。これを一角の人物と言うのですよ。エルサ君が心配して下さるとは珍しいですね。明日は嵐でしょうか」
「会長様が死のうが死な無かろうがどうでも良いですが、こんなに楽で割の良い職を失うのは惜しいですので。私の贅沢三昧な暮しの為に、死に急ぐような事はしないで頂けると助かります」
「ビジネスとは常に最上のスリルを味わうものなので御座います。その方が成功した時の喜びも百倍です。私の事は君、よくご存知でしょう。それに彼女達の私への心象は悪く無かったと思いますが」
「どうでしょうか。私のような一介のメイドには判断しかねますね」
「少なくとも、あれ程わけの分からない条件にあった奴隷を丁度よくご用意する事が出来たのです。少々のご恩はお売り出来たと考えても良いのでは無いでしょうか」
「……それもそうですね。あの御方達のご機嫌を取り続ける限り、問題無いですか。私は給金さえキチンと貰えれば何も言う事はありませんし。ゲスな会長様がゲスな事をして儲けたお零れを頂けるのですから、私としても会長様がデカい私腹を更に肥やすのは喜ばしい限りです。いざと言う時、あの御方達の怒りに触れるのは会長様でしょうしね」
「エルサ君も相変わらずでは御座いませんか。どうです、君もゲスクズの名を名乗ってみるというのは」
「役に立つかどうかも分からない家訓を394個も覚えるのは御免ですが……それも良いかもしれませんね」
「……ふっ」
「……ふふっ」
「「ふふっ……ふふふふっ……」」
「所で、あの奴隷が持っていたエゲツないスキルですが……あれを使えば会長様の本性バレバレなのではないですか?」
「……あ……」
「残念です会長様……後の事はゲスクズの名を継いだ私に、全てお任せ下さい」
「ちょ……っ」
ーーーーーーーーーーーーー
「と、まあこんな感じだがァ……良いのかねえ?見下げた畜生、随分とフテえ野郎だ」
フリルとリボンが沢山ついたメイド服に、首輪を着けた格好をした少女のような少年のおじさんが、口調に似合わない可愛いらしい声で言う。
私達は今、実家に帰っているソフィアと合流しようと、伯爵家に向かっている途中だった。
日が暮れて、人通りが少なくなりつつあるリアデの大通りを四人で歩いている。
しかして、ゲスクズ商会を出た途端、少し声を顰めて話し始めたメイド服おじさん曰く、何と、フィナードさんは本当にゲスでクズな人間なのだと言う。
伯爵様の親友で、リアデ一の商会の会長は、実は金に汚く、陰で人様にお聞かせできないような、犯罪ギリギリの事を沢山しているらしいのだ。
しかもそれを絶対に表には出さず、世間ではとても善良な凄い人だと慕われている。
ソフィアだって信頼を置いていたし、私も今日会って話た感じ、とても悪い人には思えなかった。
何方かと言うと、親切で丁寧な、話がクソ長い優しそうな人だという印象だった。
しかし見ただけでその人の事が全て分かってしまうという、驚きのスキルを持っている新しいメイドさん曰く、それは猫を被っているのだという。
驚きである。
そんな彼の話に、私は率直で雑な感想を口にした。
「それはびっくりだ」
と。
ゲスでクズそうな商会だと思っていた私は正しかったわけである。
所で、おじさんは私達のお城に来る事になった。
本人曰く、
「おいおい……!手前を助けて貰った礼を返すな、と……そうオレに言うつもりじゃあねえだろうな?オレはどうしようもねえ阿呆だがァ……礼も禄に言えねえ程、性根まで腐っちゃあいねえつもりだっ!今のオレはねえちゃんの奴隷、幾らでもこき使ってくれっ!」
と。
なので、丁度メイド服も着ている事だし、お城で掃除とかしてもらおうと言う事になった。
ヘデラの弟子である。
しかし、何故このおじさんはメイド服を着ているのだろう。
見た目はとても可愛い女の子なので、フリフリしたメイド服を着た今の姿もとても可愛いわけだが、彼は一応男の子らしいのだ。
そして中身はおじさんらしいのだ。
フィナードさんが応接室に彼を連れてやって来た時には、もうメイド服姿だった。
フィナードさんに促されるままに、ヘデラがさっさと奴隷契約を行い、またフィナードさんが素材を買い取ってくれる約束をしてから商会を出て来たので聞くタイミングを逃してしまった。
恐らくフィナードさんがくれたのだろうが…………この……フリフリのメイド服は……。
まあ、良いか。
基、私と手を繋いで歩いていたエディルアが、何でも無いように口を開いた。
「私達の素材をまた買い取ってくれるんでしょう?隠れて何をしていようが、私達には関係無いし別に良いじゃない」
確かにその通り。
私達は確実な素材の買い取り先が出来、ゲスクズだがリアデ一の商会の会長とのコネも出来た。
それも、言ってみればフィナードさんが金に汚いおかげである。
彼の意外な本性を知って驚きではあるが、それで私達に何かあるわけではないのだ。
それに、色々とアウトな感じの事を何度かしたような気がする私達に、彼をとやかく言う資格は無いような気もする。
「おじさんは随分金に痛い目を見てるからなァ……金に汚え人間ってえのは許せるし、信用出来ねえわけじゃあねえが……どうにもいけ好かねえんだっ!」
そんな事を言って、握り拳を反対の手の平にペチペチするおじさん。
借金に何かと縁があるらしい彼には、金に汚い人間に何か思う部分があるのかもしれない。
筋者に追われたとか言っていたし、きっと、前世では大変な思いをしたのだろう。
「彼ならばわたくし達の機嫌を損ねないように丁寧且つ慎重に行動するでしょうし、裏切る事も無いので安心でしょう。あくまでわたくし達の素材で稼ぐ事が目的なのですから。あの様子だと今頃『上手く行った!』と喜んでいるのではないでしょうか。己の利益を第一に考えて賢く行動する人間というのは、分かりやすくて扱い易いですね。使い勝手の良い手駒が出来た、とモノは考えようです」
「おォゥ、ねえちゃんは冷静だなァ……さては、インテリってなヤツだな?なら、おじさんもそう思っておこう」
こちらが上手く利用してやれば良いと言うヘデラの言葉に、おじさんは納得したらしい。
しかし、ヘデラはまるでフィナードさんの本性を元から知っていたかのような口振りである。
彼女が色々とわけの分からない理屈と、奴隷の条件を並べ立てていたのは、やはり理由があったわけだ。
人は見た目によらない。
名は体を表す……は、少し違うかもしれない。
本日の教訓である。
「しかしオレをくれてやったら、せっかく善人を装っていた手前の秘密がバレちまうとは思わなかったのかねえ……?別にそれでも良いと思ったのか……商人ってえのは、案外間抜けなのかもしれねえなァ」
…………。
確かにそうだ。