アリスさん、商会を知る4
「──そうして私は皆様の正体を知ったのです。私はこれでも商人です。本来は自らの利益の為に動き、こういう話し合いの場では時に手の内を隠し、人を欺くことも御座います。しかし今は別です。私は金儲けが大好きでは御座いますが、同時にとても小心者でもあるのです。リスクというものはビジネスにおいてとても重要なものであり、小心者こそが商人としては優秀なのだと私は教わってきました。全て包み隠さずに申し上げますと、私は皆様と仲良くなりたいので御座います。私のような者がそのような事を申すのは不躾だとは思いますが、しかし真祖の姫、真祖のメイド、そして黒死の龍、そのような偉大な御方達と知り合えるチャンスなど、私は死んでも逃したくない!商人としても、フィナード・ゲスクズ個人としても、例え無礼だと首を落とされようがそれでも良いと思う程にです!もっと言ってしまえば、皆様のお売りになられたような素材を、我が商会にもっと売って頂きたいと、そんな下心も御座います。あれ程の素材を定期的に取り扱う事が出来れば、間違い無く大陸一の──」
私が応接室に戻ってくると、お喋りおじさんのお話はまだ続いていた。
手を広げて至極真面目な表情で語り続けるその姿は政治家か、将又質の悪いセールスマンのそれを彷彿とさせる。
ヘデラはお話が終る頃合いだと言っていたが、これは果たして終る頃合いなのだろうか……。
そんな事を思いつつ、扉を開けてくれたメイドさんにお礼を言って、私はいそいそとソファーに座った。
しかして、長いトイレから帰って来た私の事など、誰も気にする様子は無かった。
授業をサボった生徒の如く、何か訪ねられても「お腹が痛かった」くらいしか言う事が無いわけだが、しかし何の反応も無いのは少し寂しい。
自分で都合が良いと望んでおきながら、いざそうなると何かしらの不満がどこかに見つかるものなのだ。
人間とは斯くも我儘な生き物である。
私は人間では無いが。
基、そんな私の正面ではフィナードさんが喋り続け、隣に座ったエディルアとヘデラが相変わらず黙ってそれを聞いている。
否、違った。
真っ直ぐにフィナードさんを見つめて、彼の話を真剣に聞いているように見えるエディルアは、ヘデラ曰く目を開けたまま眠っているらしい。
何とも器用な事をするものだ。
傍で彼女の横顔を見上げてみても、とても寝ているようには見えない。
そう思って少し視線を下げれば、時折ピクリと動く彼女の指が目に入った。
うたた寝している時に稀に成るあれだろうか。
うたた寝時ビクッ症候群みたいなやつ。
黒死のドラゴンさんもミオクローヌスが起こるらしい。
エディルアの指がピクピクするのを眺めつつ、私は目の前のテーブルに置かれたティーカップを手に取り、冷めきってしまったそれに口を付けた。
美味しいお茶は冷めても美味しい。
リアデ一の商会で出されるお茶は、きっと良い物なのだろう。
何せリアデ一の商会なのだから。
高級品だろうが何だろうが、美味しいか否かという雑な感想しか出てこない相変わらず残念な私は、メイドさんが替わりを淹れようかと訊ねてくれたのを断って、暫し美味しい冷めたお茶をちびちび飲みながらフィナードさんのお話が終るのを待った。
「長くなってしまいましたが、是非とも皆様と良い関係を持てればと思った次第で御座います。どうでしょう?お近付きの印として、何かご入用な物がありましたら私から皆様にプレゼントさせて頂きたく思うのですが……。皆様からしてみれば、些末な物ばかりかもしれませんが、これでも王国内で指折りの商会だと自負しております。どんなものでも仰って頂ければ一級の品物をご用意致しましょう」
軈て、フィナードさんがそう締め括り、長い長い彼のお話が終わったようである。
めでたく、私のティーカップは空になった。
少し聞いただけで分かるのは、彼はどうやら私達と仲良くなりたいらしいという事。
好きな物をプレゼントにあげるから仲良くしてね、と。
太っ腹だ。
大金を出して私達の素材を買い取ってくれた大商会の会長さんと仲良く出来るなんて、私達からしてみてもとても良い事では無いか。
彼はトルガさんの親友でソフィアとも仲が良いらしいし、おまけに、また私達から素材を買い取りたいとも言っていた。
また一つ、この街のどデカいコネが私達に出来ちゃうわけである。
そして、もっと稼げてしまう。
なんて素晴らしいwin-winだろうか。
私がそんな事を思っていると、ヘデラが素敵な笑顔でとんでも無い事を言い出した。
「それでしたらこの商会を頂きましょう」
なんて。
私もフィナードさんも絶句である。
どんなものでも良いよみたいな事は言っていたが、まさか全部くれと言い出すなんて誰が予想しただろうか。
まるで「何でも一つ願い事叶えてあげるよ!」と言うのに、「じゃあ願い事をいっぱい叶えて!」と返すような……。
……待てよ。
何だか身に覚えがあるぞ。
「そ、それは……」
しかして、苦い顔のフィナードさんは堪らずにそう口を濁した。
「フフ、冗談で御座います。そうですね……アリス様、奴隷など如何で御座いましょうか?」
oh……。
ヘデラジョークだったようだ。
面白い、センスの良いギャグでは無いか。
私を見て素敵に微笑む優しげなメイドさんは、ちょっとした悪戯が成功した時の子供のようだ。
珍しく見せる彼女のお茶目に、私は笑顔で頷いた。
所で、ヘデラは分身達と常時意思疎通が出来るらしい。
考えも行動も全てが分かるのだと言う。
自分と全く同じ存在を生み出す事が出来る「多重存在」は、確かにもう一人の「自分」なのだ。
一人でありながら多数、多数でありながら一人。なのだと彼女は言っていた。
最早何なのか良く分からない。
しかして、そんなヘデラが奴隷を貰うのはどうかと提案するのは、十中八九さっきのおじさんの事と関係があるのだろう。
プレゼントにあのおじさんを頂いてしまおうというわけである。
丁度良いというか、出来過ぎた偶然というか、あの女の子のような男の子のおじさんを檻の中から出してあげられるという事だ。
お願いする手間が無くなってしまった。
「いやはや、御冗談でしたか。肝を冷やしましたよ。さて、それでどのような奴隷がご入用で御座いましょうか?」
苦笑いから一転、ヘデラのお茶目も笑って許してくれたフィナードさんは、人の良さそうな笑顔を浮かべてそう訪ねた。
さて、何と言おう。
少女のような少年で、おじさんのような喋り方をする人は居ますか?
と、そんな頭のおかしい事を聞いてみようか。
それとも、直接見せて貰うか、率直に全て話すか。
魔法で見つけた、この人が良い!とか何とか言えばいいのだ。
私がそんな事を考えていると、ヘデラが口を開いた。
「わたくし共は見ての通り女所帯で御座います。男性が必要になる事もあるかと思いまして」
どうやら彼女は男性の奴隷が欲しいという所から、あのおじさんに繋げようとしているらしい。
それは何だか……無理があるような気がする。
率直に言ってしまえば良いような気もするが、きっと彼女には何か考えがあるのだ。
私は黙って隣で見ておこう。
「ほう、男手が必要だという事で御座いますね。それならば屈強な男の奴隷を数人見繕いましょう。力仕事に、魔物討伐に、男手があるのは何かと便利で御座いましょう」
そして、フィナードさんは、女性ばかりの私達には男手が必要なんだろうと考えたらしい。
確かに、普通ならばそうだろう。
物騒な事の多い世の中だ。
女性だけでは何かと不便な事があるかもしれない。
しかし、事私達に至ってはそうではない。
私は殴って大木を木端微塵に出来るし、ヘデラは数十分でお城を建てる事が出来るのだ。
私達四人共、そこいらの男性より力は強い自信がある。
「いえいえ、そのような御方は間に合っております。どのように屈強な人間であっても、力仕事だろうが魔物討伐だろうが、必要とあらばわたくしがした方が早いでしょう。それに筋骨隆々とした暑苦しい見てくれの方は、麗しいアリス様のお側には似合わないかと」
「これは失礼を申しました、そうで御座いましたね。となると……なる程、皆様はとても麗しい方達で御座いますれば、何かと邪魔くさい者が寄ってくる事も多々あるかと思います。嘆かわしい事では御座いますが、女性ばかりだと侮られる事もあるのでしょう。皆様に至りましては小バエを払う程度で御座いましょうが、鬱陶しい事に変わりはありません。少しでも抑止力として男性がいた方が良いのでないか、と言う事でしょうか?」
「流石はリアデ一の商会会長様であられますね。ご慧眼、感服致します。仰る通り、そのような意味合いも御座います。しかしわたくしが申し上げておりますのは、バランスの話で御座います」
……ん?
バランス?
何の話だろう。
「ほう……バランス……ですか?」
「はい。わたくし共は今四人で暮らしているのですが」
「ええ、皆様にソフィア嬢を加えた四人で暮らしているとお聞きしております」
「その通りで御座います。女が四人……何ともバランスが悪いでしょう?」
「……え……?」
虚をつかれたような表情を浮かべるフィナードさんと同じく、隣で黙って聞いていた私も、思わず呆けた顔でヘデラを振り向いた。
女四人はバランスが悪い。
そんな事が……。
男性の奴隷が欲しい理由にしては、些か適当過ぎる理屈では無いか。
彼女は相変わらずの優しい笑顔を顔に貼り付けたまま、よく分からない事を言い出した。
彼女は偶に良く分からない事を言い出す事がある。
さっきの事と言い、今日は特にそれが多い。
きっと疲れているんだろう。
明日はゆっくりしてもらおう。
「古来より、陰と陽、月と太陽に例えられるように、男と女は隣り合って存在するのが自然の掟で御座います。ソフィア様以外、生殖を行う必要が無いわたくし共で御座いますが、だからと言って自然の掟に背く在り方は良しと致しません。女というものは男がいてこそより輝きが増すものなので御座います。更に、四人ですと横に並んだ時に中心が出来ないのです。本来ならばアリス様を中心に並ぶのが理想なので御座います。女が四人というのは何ともバランスが悪い。女は偶数人が良いとは言いますが、わたくし共に限ってはその限りでは御座いません。4という数字は死を連想させる為に縁起が良いとも言えません」
このメイドさんは何を言い出したんだろう……。
きっとフィナードさんもそんな風に思っている筈だ。
私も同じである。
「……な、なる程……私には思いつかないような思慮深いお考え、流石は真祖の姫君の侍女様で御座います」
苦笑気味に、無理矢理言葉を選んだような賛辞を言うフィナードさん。
対するヘデラは、今度は得意げに条件を提示し始めた。
「わたくし共はアリス様以外、皆成人の見た目をしております。アリス様お一人だけが子供のお姿でいらっしゃるのは何とも忍びないものです。同じ年頃の見た目をした者が側にいるのは、きっと心安らぐ事でしょう。歳は14歳程度が宜しいかと」
「そ、そうですね……」
「わたくし共の髪色は銀が二人に黒と金です。黒か金の髪色が宜しいでしょう。バランスが良いです」
「なる程」
「戦闘力という意味での能力は十分足りておりますので、そうですね……例えば『相手を見通す能力』などのスキルを持っている方が居られれば良いのですが」
「ほうほう」
「勿論、麗しいアリス様のお側にいるのに相応しい姿なのは当然、少女のように可愛らしく、儚い方が宜しいでしょう。しかし普通過ぎるのも面白みに欠けます。例えば『言動が些か見た目と不釣り合いである』ですとか、『何者にも譲れない一風変わった拘りを持っている』ですとか、わたくし共と共にいる以上、驚くようなパンチの効いたお方が相応しいですね」
「これはこれは」
「後は、ご存知の通りアリス様は転生者、所謂流れ人で御座います。同じ流れ人が身近にいればお寂しい思いもなさらずに、親近感を持たれる事でしょう」
「何と何と!」
「今申し上げました内容が全て当てはまるような方は流石にいらっしゃらないとは思いますが、出来ればそれに近しい方がおられましたら……」
「いえいえ!!我がゲスクズ商会にお任せ下さい。今仰った内容にぴったりの奴隷がおります!」
なんて事を言って、ヘデラの要望に対してとても嬉しそうな笑顔で頷くフィナードさん。
それはそうだろう。
その人の特徴を言っていただけだもの。
何だろうか、この茶番は。
「何と……流石はリアデ一の商会で御座います。わたくしの無理難題を叶えて頂けるとは……その辣腕、感服致します。是非とも、これからも頼らせて頂きたいものです」
「お褒め頂き光栄の至りで御座います。私共が少しでも皆様のお力になれるのであれば、惜しむことは御座いません。何か御座いましたら何なりとお申し付け下さい。早速その者を連れて参りましょう。暫しお待ち下さい」
そう言って、フィナードさんは部屋を出ていった。
きっとあの少女のような少年のようなおじさんを連れて来てくれるだろう。
今のやり取りに何か意味はあったのだろうか。
結局、私にはとんだ茶番にしか思えなかったが、馬鹿な私には分からないような理由が、ヘデラにはきっとあるに違い無い。
……何だろう。
敢えて直接的な指定をしない事によって相手の立場を立てたとか、そんな理由があったに違い無い。
そんな事を考える私は、メイドさんに空になったティーカップに新しいお茶を注いで貰いながら、未だに真っ直ぐに前を向いたまま微動だにしないエディルアを眺めていた。
どうやら、彼女は本当に寝ているらしい。