アリスさん、カフェを知る3
そして一瞬で加護の付与が終わる。
自分のステータスを出してその瞬間を見ていた皆は、彼女の加護が増えた事を確認すると、口々に感嘆の声を上げた。
「おぉ〜」
なんて、気づけば私も声に出していた。
自分のステータスに他人の名前が乗るというのは、有名人のサインを部屋に飾るのに少し似ている。
態々訪ねて来た人に見せびらかして、説明したい。
そんな感覚だ。
そして、加護を付与したソフィア自身は、その内容が分かるのだが、どうやらそれは良い方向に予想外だったようで、彼女は驚いたような表情で声を弾ませながら言った。
「おお!これは我ながら自慢出来るぞ。私の加護の内容は、『戦闘時に全能力値中上昇、精神異常耐性(大)』だ」
「うおお!ソフィアの加護凄えじゃねぇか!ありがとな!」
「お姉さん達また何の努力もせずに強くなっちゃったわねぇ」
「そういう事を言わないでよ。何だか罪悪感みたいなものを感じるじゃない」
ソフィアの加護は強くなる加護だったようだ。
エディルアの加護と同じような感じである。
ガッツさん達はそれを聞いて益々喜んでいる。
私の加護のようなショボい内容なのではないかと色んな意味で少しだけドキドキしていたのだが、彼女は私の仲間にはなってくれなかった。
本当に、私の加護は何なんだろうか。
転けなくなる加護なんて、私くらいしか無いんじゃないだろうか。
「これが知れ渡ると、皆ソフィアの加護を貰いに押しかけてくるかもしれねぇな」
ダンさんがそんな事を面白そうに言った。
確かに。
『リアデの正義の娘』はお手軽に強くなれちゃう加護のせいで、今より人気者になってしまうわけである。
家の前に行列が出来るかもしれない。
思えば、それは私とエディルアも同じだ。
否、私はともかく。
エディルアの加護が凄いものだと広まれば、彼女の加護欲しさに集まってくる人がいるかもしれない。
そうで無くとも、グロムさん曰く加護そのものを欲しがる人間は沢山いるらしいのだ。
もしかすると、私達人気者になってしまうかもしれない。
「そ、それは困ってしまうな……皆、秘密にしておいてくれ」
「アリスちゃんの加護はどんな内容なのぉ?」
「ひみつ」
「アリスの加護は凄いわよ!」
「おお、そうなのか!?流石アリスちゃんだぜ!」
「エディルアさんの加護もそうだけど、加護の内容が分からないままっていうのも色々想像出来て面白いわね」
「そうねぇ。もしかすると、本来加護ってそういうものなのかもしれないわねぇ。だから授かった人には内容が分からないのかもぉ。夢があるって言うのかしらぁ」
どうだろうか?
そういう事もあるのかもしれない。
誰かに護られているのだという安心と自信を人に与えてくれる加護。
お手軽に強くなれてしまう事もあるそれは、謎が多いこの世界の大きな不思議の一つだ。
何故加護が存在するのか。
何故私達は加護を付与出来るのか。
何故加護の内容は付与した者にしか分からないのか。
それはきっと神様だけが知っている、この世界の秘密なのだろう。
ーーーーーーーーーー
帰り際。
私達は店先まで見送りに出てくれたリナリアさんと別れの言葉を交わしていた。
「あのお茶美味しかったわ。飲んだことの無い味がしたわね」
エディルアがそう言うと、リナリアさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、ありがとぉ。私が育てたハーブで淹れたお茶なのぉ」
「リナリア様は花がお好きなのですか?」
このカフェには沢山の花が飾られている。
木造りの店内に彩を添えるそれらは、可愛いくて優しい、落ち着いた時間を、彼女の店を訪れた者に与えてくれる。
どれもちゃんと手入れがされていて、奇麗に花を開かせたそれらからは彼女の愛情が感じられた。
きっと彼女の趣味なのだろう。
そんな私の考え通りに、リナリアさんは嬉しそうに頷いた。
そして、そんな彼女に付け加えるように、「リナリアは可愛いものが大好きなんだ」とソフィアが笑って教えてくれる。
セクシーな踊り子のお姉さんは、可愛いお花が大好きな可愛い人だった。
おっとりとした彼女らしい趣味と言えるかもしれない。
「これ、小さくて可愛いお花だね。何ていう名前なの?」
私は店先の花壇で風に揺れる花を見ながら、リナリアさんに訊ねた。
色とりどりの小さな花が花穂に咲いた、優しくて繊細な印象を受ける可愛い花。
このお店を見つけた時、真っ先に目に入るのは、小川の側で風に揺れるこの花だった。
レンガと木で出来た小さなお店を鮮やかに飾るその花は、何処かで見たことのあるような、懐かしさと安心感を与えてくれる。
だから私は一目見た時から気になっていたのだ。
しかして、私のそんな言葉に、リナリアさんは少し驚いた表情を浮かべた後、軈て微笑んで私の頭を撫でた。
「……ふふ。アリスちゃんは可愛いわねぇ」
おぅ……。
何故だろうか。
花の名前を訊ねただけなのに。
分からずに見上げた彼女の優しい笑みの内に、私は少しの寂しさを感じた。
何故だろうか。
哀愁とも、辛さとも、悲しみとも違う。
まるで、もう戻らない昔を懐かしむような、そんなほんの少しの心の揺らぎ。
何となく訊ねた花の名前に、彼女の琴線に触れるような何かがあったのだろうか。
昼下りの暖かな陽に照らされた寂しげに微笑む彼女の笑顔は、少しだけ私を悲しくさせた。
「どうかしたの?」
「ふふ……少しだけ、懐かしくなっちゃったぁ。そうねぇ……この花の名前…………」
何も分からない私が尋ねると、彼女は花壇を見つめながらそう言葉を区切った。
この花の名前。
別れ際に訪れたそんな彼女の懐古的な雰囲気は、静かな小川のせせらぎと昼下りの暖かな風に包まれた優しい沈黙を生んだ。
風に揺れる鮮やかなその花は、何という名前なんだろう。
エディルアも、ヘデラも、ソフィアも、私も、誰も知らないその花は静かに私達を見つめていた。
軈て私達を振り返ったリナリアさんは、少しだけ恥ずかしそうにしながら言った。
「ねぇ皆、お姉さんの昔話を聞いてくれるぅ?」
何処にでもあるような話なんだけどね。
そう付け加えられてから、優しい声で語られたそれは、彼女の初恋の物語だった。
リナリアは幼くして親に捨てられた孤児だった。
大陸の各地を転々としながら、旅芸人として生きてきた彼女がリアデに来たのは今から7年前。
21歳の時だった。
治安も良く平和なこの街を直ぐに気に入った彼女は、放浪を終えてこの街に腰を据える事を決めた。
女一人で旅をしてきた為、それなりに闘いの心得はあった彼女は冒険者になり、こつこつとお金を貯めて2年後にリアデの住宅街に小さな家を買った。
路地裏の目立たない場所にあるレンガと木で造られた可愛い家。
可愛いものが大好きな彼女はその家をとても気に入った。
そして、彼女は冒険者をする傍ら、趣味で育てたハーブを使ったお茶と、各地で自分が食べた料理を再現して提供するカフェを自宅で開く事にした。
木で造られた店内には、彼女が好きな花を鉢植えで沢山飾った。
目立たない場所にある為客は少なかったが、自分が食べて行く分は冒険者で稼げばいいと考える彼女にとって、それは一種の趣味のようなものだった。
自分の料理を誰かに食べて貰えるのは嬉しい。
ここなら寝る場所にも食べる事にも困る事はない。
仲のいい冒険者仲間も出来た。
近所に住む常連さんも出来た。
一人で旅芸人をしていた自分にも、皆仲良くしてくれる。
リアデでの彼女の日々はとても充実していた。
カフェを初めて半年程が経ったある日、リナリアはとある青年に出会った。
麦わら帽子を被った、焼けた肌の青年。
客として彼女の店にやって来た彼は、同じリアデの住宅街に住む二つ歳上の農民だった。
「これ、小さくて可愛い花だね。なんて言う名前なの?」
初めての会話は、カウンターに置かれた小さな鉢を見て彼が言った、そんな言葉だった。
彼は毎週決まった日の少し遅めの時間に昼食を食べにやって来た。
いつも汗だくで入って来て、お水を一杯飲み干してから今日のランチを注文する。
食べ終わると、他に誰もいない店内で二人で他愛もない話をした。
今日の料理の感想からはじまり、彼の畑仕事の話、リナリアが旅芸人をしていた頃の話、そして最後に彼が来週のランチの予想をしてから帰って行く。
なんでも無い話も、彼はとても楽しそうに聞いて、話してくれた。
リナリアもそんな彼との会話が楽しかった。
そして、気が付くと、毎週彼が来る日を楽しみにしている自分がいた。
日に焼けた麦わら帽子の青年が、汗だくで扉を開いて入ってくるのを待つ時間。
それが彼女にとって何よりもの楽しみになっていたのだ。
──自分は彼に惹かれているんだ。
リナリアがそう気づくのに、時間は掛からなかった。
各地を転々としながら独りで生きてきた彼女にとって、それは初めての経験だったが、意外にも戸惑いは無かった。
素敵な初恋だと、彼女は嬉しく思った程だ。
自分の恋心を自覚してからと言うもの、一層彼と会うのが楽しみになっていった。
──今日の料理は気に入ってくれたようで嬉しかった。
──最近暑い日が続いているから、来週は食べやすくて精のつく料理にしよう。
──彼は今何をしているんだろう。
──彼に早く会いたい。
──彼に好きだと伝えたら、いったいどんな顔をするだろう。
──彼は私の事をどう思っているだろう。
──私のような旅芸人の女は嫌だろうか。
そんな事を考えながら、彼が来るのを待ちわびる日々。
斯くも有りがちな恋の悩み。
リナリアは彼に中々自分の想いを伝えられずにいた。
旅芸人の踊り子と言う人種が、他人からどのように見られるのかは彼女自身が一番良く分かっていたから。
それでも、日に焼けた麦わら帽子の彼が、汗だくで店にやって来るとそんな事はどうでも良くなった。
──今週もちゃんと来てくれた。
そんな事が、彼女はこれ以上ない程に嬉しかったのだ。
詩人が歌うようなモヤモヤした気持ちも、彼女にとっては初めての経験で、けれどもそれは、自分でも笑ってしまう程に気持ちの良いものだった。
親に捨てられた孤児で、旅芸人の踊り子。
そんな自分も、こんなに素敵な恋をしている。
彼女にとって、それは夢のような日々だったのだ。
そうして一年が経った頃のある日、急に、彼が彼女の店を訪れ無くなった。
毎週決まった日の決まった時間に現れた彼が、待てども待てども今日は来ない。
夕方になり、夜になり、軈て日が変わり朝になっても、日に焼けた麦わら帽子の彼が現れる事は無かった。
──どうしたんだろう?
──ひょっとすると、日を間違えてしまったのかな?
──それとも、今日は忙しかったのかもしれない。
──きっと来週は来てくれる筈。
そんな風に思いながら、リナリアはカウンターで彼を待ち続けたが、結局、次の週も彼が現れる事は無かった。
彼女の心配は、不安に、軈て悲しみの焦燥に変わり、それは日に日に心の中に募っていった。
──何か嫌われるような事をしてしまったのだろうか。
──私の料理が嫌になったのだろうか。
──私の事が嫌いになったのだろうか。
──彼はもう来てくれないのだろうか。
──私はもう彼に会えないのだろうか。
不安で堪らなくなったリナリアは彼を探した。
同じ住宅街を探し回り、他の農民に彼の事を聞いて回った彼女は、果たして、彼が死んだ事を知った。
急な病気だったそうだ。
「私は結局、彼に想いを伝えられ無かった。とっても後悔して、とっても悲しかったけれど、でも……人は直ぐに死んじゃう生き物だから……」
話し終えたリナリアさんはそう言って、少し寂しげに微笑んだ。
人は直ぐに死んでしまう。
人の命が軽いこの世界では、彼女のような話は有り触れたものなのかもしれない。
魔物に殺される、人に殺される、病気で死んでしまう。
きっと、何時だって、どんな世界だって、人の死は突然だ。
それでも、伝えられなかった想いを少しの寂しさと共に懐かしむ彼女の姿は、とても儚く見えた。
「誰にも話した事は無かったんだけどねぇ。アリスちゃんが彼と同じ事を訊ねるものだから、懐かしくなっちゃってぇ」
「そうだったんだ」
「この花は彼が最初にお店に来た時に可愛いって言ってくれた花でねぇ。名前はリナリアって言うのよぉ。ふふ、私と同じ名前ぇ」
そう言って、彼女はとても嬉しそうに笑う。
彼女の店先に植えられた、穂先に小さな花を沢山付けた色鮮やかな花。
すらりと伸びたその花は、優しく、儚げに、風に揺れている。
『これ、小さくて可愛いお花だね。何て言う名前なの?』
私が何気なく口にしたそんな言葉は、彼女にとってとても大切な言葉だったのだ。
悲しい想い出に焼き付いた、嬉しい記憶の原風景。
「私が産まれた国では死んだ人が一年に一度、大切な人に会うためにお空の上から帰って来るって言い伝えがあってねぇ。ここ分かりにくい場所にあるでしょぉ?でも、この花を植えていれば、お空の上からでもきっと分かるから」
「だから、私の代わりにこの花がここで待ってくれているのよぉ。いつか、彼がまた私の料理を食べに来てくれないかなぁ。それで今度こそ、好きでしたって伝えられたら良いなぁって、そう思ってねぇ。ふふ、ちょっとしたお姉さんの秘密」
そう言って、素敵な笑顔を見せた彼女は、とても可愛いくて美しかった。
自分と同じ名前の花に寂しい過去を託した彼女は、今を確かに優しく笑う。
静かな小道を曲がった先の、小川が側を流れるレンガ造りのお洒落で可愛いカフェ&バー。
その店先には色鮮やかな可愛い花が花壇で風に揺れている。
誰かの訪れを優しく、暖かく待つその場所は、この街のお気に入りの一つになった。