アリスさん、親娘を知る
「私は元々……ソフィアには自分の才能など、家のことなど関係なく、好きに、自由に生きて欲しかったのだ……」
そんな言葉で始まったトルガさんの話。
それは娘を思う、優しくも馬鹿みたいに不器用な父親と、父親を思う頑張り屋で馬鹿みたいに真っ直ぐな女の子の話だった。
ソフィアは小さい頃から良く言えば活発、悪く言えばやんちゃな子供だった。
座学の授業がある日も、良く屋敷を抜け出しては家の護衛達と剣を交えているような、伯爵家令嬢らしくない末娘。
聡明で、落ち着いた二人の姉とは正反対の存在だった。
そんなソフィアは、幼いながらも剣の才能に人並み外れたものがあり、父親であるトルガも直ぐにそれを知った。
彼女が護衛達と剣で打ち合うのを見て、否、それ以前に、彼女の並外れたステータスと能力値を見れば、それは一目瞭然だった。
彼女の相手をした騎士や護衛達からは天才だと褒め可愛いがられ、彼女はメキメキと剣の腕を上達させていった。
正に大人顔負け、武の心得など全くないトルガから見ても、彼女の才能には目を見張るものがあった。
そんな天賦の才を持って生まれたソフィアを、トルガは鼻が高く思ったものだが、それと同時に彼女はそれ以外がてんで駄目な事も知った。
座学も、家事も、計算も。
言葉遣いも女性らしいとは言えない。
不器用で、貴族としての所作も中々上手く出来ない。
人付き合いも余り得意ではない。
彼女には、剣を振る以外の才能が全くと言っていい程に無かったのだ。
伯爵家の娘として、それは致命的と言っても良かった。
しかし、トルガはそれも彼女の個性として認めていた。
別に人並みに出来なくたって良い。
剣の才能だけでも素晴らしいじゃないか。
ソフィアはソフィアらしく生きればいい、と。
そんな彼女が政略結婚なんぞの宛にされるのは向いていない上、その後もきっと苦労するだろう。
可愛い娘だ。
無理やりに何処かの貴族の息子に嫁がせ、その結果、彼女達を不幸にするような事はしたくなかった。
ソフィアの姉、テレサとリズボンにも、貴族の娘だからと打算的な結婚を強いるような事はしなかった。
政治は自分の仕事である。
他の貴族には自慢の娘たちだと紹介はしたが、嫁入りは彼女達自身が決めればいい。
ソフィアには自由に、自分のしたいように生きて欲しいと考え、他の貴族に紹介する事も少なかった。
ソフィアが武の才能を伸ばしたいと考えるのならば、それも良いだろう。
しかし、戦争などここ数百年起こっていない今、周りが男だらけの騎士になるのは何かと肩身の狭い思いをするだろう。
かと言って、粗雑な者も多く、生活も安定しない、加えていつ命を落してもおかしくない冒険者になるのは、まだ年若い娘であるソフィアが心配である。
ならば何処かで良い相手を見つけて来れば良し、それでなければ家で次期領主となる弟の補佐でも護衛でもすれば良い。
もしも、本当に自分のしたい事が見つかったなら、その時は喜んで送り出してやろう。
トルガはそう考えていたのだ。
しかし、トルガ・ヌーヴェルという男は不器用であった。
小さい頃からずっと「ヌーヴェルの者たるもの堅実で厳格であれ」と自分に言い聞かせてきた彼は、娘達の前では兎に角口下手であった。
彼は、娘たちの前では途端に本音で話せなくなってしまうのだ。
堅実で、厳格。
子供達には領主として伯爵家当主として、恥ずかしくない父親を見せなければならない。
そんな事を常に考えていた彼は、ソフィアに対しても、中々その本心を素直に伝えられずにいた。
所で、トルガは子供達に「ヌーヴェルの者たるもの堅実で厳格であれ」「常に領民の幸せを思い、己に厳しくあれ」と良く言い聞かせていた。
ヌーヴェル家の家訓のようなものだ。
それを姉や弟と共に聴いて育ったソフィアは、姉弟と違って剣を振ることしか出来無い自分に落胆したようだった。
そして、成人に近づいても嫁に行く宛の無かった彼女は、「このままでは父親は、出来損ないの自分に失望してしまう。ヌーヴェルの娘として、領主の娘としてこのままではいけない」と考えるようになった。
結果、才能の無い自分を卑下し、唯一持って産まれた剣の才能が自分の全てだと信じ込み、軈て自らを追い込むようになったのだ。
そうして、「自分の好きな事を見つけて自由に生きて欲しい」というトルガの気持ちと、「才能が無く落ちこぼれであるが、ヌーヴェルの娘として、父親が少しでも自分を見直してくれるよう頑張らなくてはいけない」というソフィアの気持ちが、次第に二人のズレを大きくしていく事になる。
気がつけば、ソフィアは毎日剣の訓練に明け暮れるようになっていた。
庭で早朝から剣を振り、騎士数人を一人で相手取り、実践を積むと言って街を出ていく日々。
身体を壊さないかいつも心配でたまらないが、娘の前では途端に本音を話せなくなるトルガにそんな事は言えない。
精々が母親に娘の様子をそれとなく聞いたり、家の者に言って食事に気を配らせるのが精一杯だった。
トルガは悩んだ。
ソフィアは自分が伯爵家の娘だからと誰よりも気負い過ぎている。
これでは、自分の才能に囚われ、本当にやりたい事が見つけられないのでは無いか?
結局は、自分が、この家が、彼女を縛り付けてしまっているのでは無いか?と。
しかし今更、才能など考えるな。剣など持たずに、同じ年頃の他の娘のように、街で遊ぶなり、茶会を開くなりしろ。とは言えない。
それは自分がソフィアの姉や弟に言ってきた言葉を、ヌーヴェル伯爵家の教えを否定する事になる。
そこで、トルガは一つの賭けに出た。
ソフィアが成人した歳に、自分が持つ騎士団に新しく部隊を作り、ソフィアをその隊長にしたのだ。
それも隊員は知り合いに頼んで素人ばかりを寄せ集め、副隊長にはプライドが高く直ぐに周りに敵を作る、騎士団の厄介者を充てがった。
そして、隊を率いて領地の見廻りと村周辺の魔物討伐をし、何か功績を残せ。と、ソフィアに命じたのだった。
自分でも無茶苦茶な事を言っているのは、トルガとて承知であった。
ヌーヴェル領には討伐して功績と呼べるような強い魔物はほぼおらず、そもそも、隊員も1から育て上げなくてはいけない。
娘には自由に生きて欲しい。
けれども剣の才能しか見えていない今の彼女は心配でたまらない。
これで、諦めてくれないだろうか?
投げ出してくれないだろうか?
そうで無くとも、少しの我儘くらい言ってくれないだろうか?
そんなトルガの思いに反して、ソフィアは自分の言った事に躍起になってしまったようだった。
ソフィアは家に帰らない事が多くなっていった。
トルガはますます不安になる。
これでは余計に酷くなってしまったのではないか?
このままでは彼女は壊れてしまうのではないか?
自分のした事は間違いだったのでは無いか?
もっと他に彼女の無理を止めさせる方法があったのではないか?
娘は今日は何をしているのだろうか?
無事だろうか?
怪我などしていないだろうか?
体調を崩してはいないだろうか?
今すぐに止めさせるべきではないか?
そんな不安と苦悩が事ある毎に頭を過ぎり、心の中で葛藤を続ける毎日。
ソフィアが遠征に行くと街を出た日は、決まって眠れぬ夜を過ごした。
騎士団の者やソフィアの母親には毎日の様に彼女の様子を聞いた。
ソフィアが帰ってきた日は必ず顔を見に行った。
そして、ソフィアを隊長に就けてから一年が経った頃
『彼女の強さは本物、隊長としてもこれ以上無い程に優秀だ』
『彼女の隊が領内で有名になってきている』
『隊員達もそれなりに成長している。自ら部隊に志願する者まで現れる程だ』
そんな報告がトルガの耳に入った。
最初こそ「領主の娘のお遊び部隊」だの「ゴロつきを連れて歩く領主の娘」だのと街では言われていたが、自分に厳しいソフィアのその姿勢を、行動を、次第に誰もが認めていったのだ。
領地の街や村での評判も頗る良いといって良い。
予想外な結果にトルガは驚いたが、そんな事よりも心配なのはソフィアの事だった。
月を重ねる毎にソフィアは何かに取り憑かれたようになってしまったのだ。
鍛錬し、魔物を討伐し、遠征に出かけ、また鍛錬の繰り返し。
もっと強くならなくては、もっと努力しなくては、常に自分に厳しくなくては、早く功績を示さ無くては。
もっと、もっと、もっと……と。
そんな彼女の様子を見る度に、トルガは心を締め付けらる気持ちだった。
自分を追い込む必要など無いと言いたのに。
無理をするなと叱ってやりたいのに。
そんなに頑張らなくても良いと言って抱きしめてやりたいのに。
自分のやりたいことを見つけて、自由に生きて欲しいと伝えたいのに。
しかし、自分の頑固さがそれをさせてくれないのだ。
最早そんな自分に呆れてしまう。
娘が必死に頑張っているのに、何も言ってやらない自分に腹が立って仕方がない。
それでも、
明日には気が変わるかも知れない。
明後日には満足するかもしれない。
次の遠征で失敗すれば、折れてくれるかもしれない。
そんな風に思いながら影から見守り続け、気がついた時には三年もの月日が流れていた。
三年だ……。
あり得ない。
年頃の娘が一番輝き、人生の楽しい時期を、三年も自分のせいでつまらない事に費やさせてしまった。
父親の自分が馬鹿なばかりに、娘の人生を台無しにしてまうかもしれない。
自分が彼女にした事は、確かに間違いだった。
そうして、トルガは酷く後悔する事となったのだった。
彼の誤算は、ソフィアの恐ろしい程に愚直な真面目さと、人一倍強い信念だった。
そんなある日、トルガの元に自領のある村でコカトリスが現れたという話が舞い込んできた。
幸いにも被害は出ていないようだが、いつ村が襲われるやもしれない。
コカトリスはAランクの凶悪な魔物だ。
しかし今のソフィアの部隊ならば、討伐は可能だろう。
この討伐任務を与えて、もし成功するようなら功績として認め、今度こそ自分の思いを正直に伝えよう。
失敗したなら、部隊を解散してその後何をしたいかを聴き、今度こそ自分の思いを正直に伝えよう。
ちょうど三年だ。
どちらにせよ、もうこれ以上馬鹿な自分に彼女を付き合わせるわけにはいかない。
正直に話して、謝ろう。
最早、父親として、伯爵として、人間としてすら失格なのかもしれないが、こんな自分をもし許してくれるようなら、一緒に彼女のこれからの事を考えよう。
そう考えてソフィアにコカトリス討伐の任務を任せたのだった。
「娘たちの前ではしっかりした父親で無くてはと気を張り詰めてしまって、私はどうして素直に話す事が出来ないんだ。ソフィアには本当に悪い事をしてしまった。悔やんでも悔やみきれないよ……」
そう言って、トルガさんは悲しそうに微笑んだ後、肩を落として俯いた。
その姿は私の眼に、小さく、非道く哀しく映った。
自分の娘にしてしまった事、してやれなかった事、掛けてやれなかった言葉の数々、それらを思って肩を落とす。
悲しい沈黙だった。
「貴方も、馬鹿ね……。私と同じ」
そんな彼にエディルアは小さな声でそう言うと、優しく一度微笑んだ。
そこに、少しの憂いが見えたのは、私の気のせいだろうか。
私と同じ。
どう言う事だろう。
いつの間にか膝の上でまた眠ってしまったセチアを撫でながら考えてみるが、探偵役にはなれない私には、彼女の言った意味が分かる事は無かった。
私も余りお喋りというわけでは無い。
けれども、伝えたい事はちゃんと言葉で伝えられる。と思う。
少なくとも私自身はそうだと思っている。
だから、トルガさんとは違う。
彼の気持ちを、私が理解する事は出来ない。
けれども「娘を持つ父親の複雑な心情に、なる丈理解のある娘でいようと思っていた系」JKだった私にはほんのちょっとだけ分かる事もある。
彼は不器用で口下手なのでは無い。
最早信じられない程に、過保護なのだ。
それが空回りして、娘に対して何をして良いのか、どんな言葉を掛けるべきなのかが、分からなくなってしまっただけなのだ。
そして、きっとそれだけでは無かった筈。
三年。
時間は十分にあった筈である。
本当に何も声を掛けてやれなかったのか?
何もしてやれなかったのか?
そんな筈は無い。
彼は精一杯悩み、苦しみ、何かをしてきた筈だ。
彼の話に無かった事は、私には分からない。
けれどもきっとそうだった筈なのだ。
そうで無ければ、今、彼はこんなに苦しそうな表情はしないだろう。
あんなに悲しそうな眼をして笑いはしないだろう。
彼は、娘達の事を愛する、ただの一人の父親なのだから。
そして、何よりも気になるのは、
彼は、本当に後悔ばかりだったのだろうか?
それだけが気になって、それだけが、私は少しだけ悲しく思えた。
静寂の中、軈て口を開いたのはヘデラだった。
「僭越ながら……」
そう言って、彼女は私達の前に静かに進み出る彼女の横顔は、少しだけ悲しそうに見えた。
「わたくしが申し上げるような事では御座いませんが、しかし今の貴方には少し言葉が必要なようですので、ソフィア様の友の一人として、わたくしが申し上げさせて頂きます」
「まず最初に。ソフィア様は精一杯、貴方の為を思って頑張られてこられました。貴方に認めて貰う為に、壊れそうになりながらも必死に足掻いたのです。貴方はそれを一番近くでご覧になられてきたのでしょう?そして、嫌と言う程に理解してこられた筈です。ならば、そんな貴方が、彼女のして来た事を否定するべきではありません。彼女に言った言葉を悔やむべきではありません。ましてや、彼女の三年をつまらないなどと言う言葉で表すなど、何事ですか」
静かな書斎に、ヘデラの声が染み渡るように飽和する。
それはまるで、子供を叱る母親の様だった。
優しくも厳しい口調と言葉。
諭し、言い聞かせ、教え導くように、彼女は続ける。
そんなヘデラを見るのは初めてだった。
「終わった事を後悔し続けるのは愚か者のする事です。彼女の事を思うのならば、後悔するよりも謝罪するよりも先に、貴方は認めてあげるべきなのです。頑張ったなと言って、その手を取り、笑いかけてやるべきなのです。何がしっかりした父親ですか?何が素直に話せないですか?そんな事よりも、貴方はまずきちんと目の前にあるものをご覧なさい」
「何度も壊れそうになりながら、必死で貴方の為を思い頑張り続けた自分の娘を三年も見守り続けた貴方が、そんなに弱くてどうするのです!顔を上げなさい!胸を張りなさい!貴方の娘は真祖の姫、黒死の破滅龍、両名と親交を結び、他の人類の橋渡しになるかもしれないのです!
これ以上の功績がこの世界の何処にありますか!」
慰めでは無く激励だった。
自分の間違いを嘆く前にやる事があるだろう。
貴方の娘が頑張った三年は、悔に思うような時間だったのか?
そんな事は無いと、彼女の頑張りを一番近くで見てきた貴方は分かっている筈だろう。
ウジウジ悩んでいずに、目の前をしっかり見ろ。
貴方の大切なものが、より輝いた事を誇りに思え。
そんな、気を引き締める為の、厳しくも優しい言葉。
私はヘデラの大声にびっくりして起きてしまったらしいセチアを撫でながら、二人の事を見守る。
しかして、そんなヘデラの言葉を聞いたトルガさんは驚きの表情を目一杯に貼り付けた顔を上げた。
「……ッ!……ああ。ああ、そうだ……その通りだな」
そんな呟きと共に微笑んだ彼の心には、ヘデラの言いたかった事は確かに届いたらしい。
今度は悲しみの混ざっていない、少しやつれた中年男性の素敵な微笑みだった。
「伯爵家などと、口下手などと、そんなのはただの言い訳に過ぎない……悔やむべきでも後悔するべきでも無かった……ソフィアの頑張りは、努力は、才能は、私が一番良く知っている。彼女が私の為を思ってくれた全てを、私は見てきたのだから。私は父親としても、領主としても、まだまだ未熟だな」
そう。
悔む事はいつだって、何に対してだって出来るのだ。
人間とは常に後悔出来てしまう生き物なのだから。
そうして、直ぐに前が見えなくなってしまう。
ならば、そんな事に目を囚われてはいけないと、たまには教えてあげる人が必要なのかもしれない。
後悔なんかするよりも、とっても素晴らしいものが貴方の目の前にあるじゃないか。
まず、それを確かめて、手を取り、抱きしめて、万の言葉にして、誰かと喜びを分かち合いなさい。
その方が、きっと幸せになれるから。と。
それはとても幸せな事で、きっととても大事な事だと私は思う。
「差し出がましい事を申しました。大変な御無礼、お許し下さい」
そう言って頭を下げたヘデラに、トルガさんは首を横に振った。
「いいや、ありがとう。大切な言葉だった、感謝する」と告げた後に、代わりに暫しの躊躇と共に彼は訊ねた。
「……なあ。私はまだ、父親でいても良いのだろうか」
きっと、彼はとても不安なのだ。
娘と上手く話せなかった彼は、自分が彼女にどう思われているのかすら知らない。
それでも、最後に少しだけ背中を押して欲しかったのだろう。
「そのような事。御本人にお訊ねになられては如何かと」
そんな、一見突き放したようなヘデラの言葉に、トルガさんは安心した笑みを浮かべて「そうだったな」と呟いた。
「本当は、最初に隊の良くなった評判を聴いたとき、良くやったなと褒めてやりたかったんだ。彼女の活躍を聞くたびに心が踊った。嫁にも、他の貴族連中にだって直ぐに自慢してやった。ソフィアに助けられたと感謝される度に鼻が高かった。この街を歩くのが嬉しくて仕方が無かった。御三方は知らないだろうが、ソフィアは、今では『リアデの正義の娘』などと呼ばれているんだ。私は少し、そんなソフィアがこの先どんな事を成し遂げてくれるのか、ほんの少しだけ、楽しみでもあったんだ」
「そして、それがどうだ。貴女方のような方々と知り合い、友になり、挙句一緒に住むなんて言いだした。ああ、そうだ。大した功績なんてものじゃない。この街の、ヌーヴェルの誇り。王国一の功労者だ。ソフィアは、可愛くて頑張り屋な私の大切な、自慢の娘だ。私はそんなあの娘を誇りに思う」
トルガさんは一息にそう言って、素敵な笑顔で笑った。
「御三方、娘はずっと同世代の友達なんていなかったから、良ければ仲良くしてやってくれ。……ソフィアの事を宜しくたのむ。」
しかして書斎からの去り際に、トルガさんはそんな事を私達に真剣な表情で告げた。
父親らしい言葉。
彼のその表情は「もう大丈夫だ」と私達に言っているようだった。
そして、私達の答えは最早決まっているようなものである。
「勿論よ。ソフィアはとっても良い子だもの。」
「そうだね。こちらこそ宜しく。ソフィアのお父さん」
「わたくしも、彼女ならばきっと上手くやっていけると思っております」
仲良くする。
勿論だ。
一昨日からもう、ソフィアは私達の大切な仲間で、お友達なのだから。
「そうか、ありがとう」
やつれた顔をくしゃりと歪めたトルガさんは、そう言って頭を下げた。
この日、非道く不器用な一人の父親が、少しだけ前に進む事が出来た。
そして、伯爵家末娘の騎士隊長が、一人の少女になった瞬間だった。
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私達が部屋から出ると扉の側にソフィアが立っていた。
扉の側の壁に凭れ掛かるように、額をくっつけている。
何の体操だろうか。
「あら?ソフィア、弟さんとの用事は済んだのかしら?」
「……ああ」
鼻声でそう答えたソフィアは、涙と鼻水でグチャグチャになった顔を両腕で隠しながら、私達に振り返った。
弟の所に行ってくるだなんて部屋を出たソフィアだが、実はずっと部屋の外の扉の前にいたのを私達三人は知っている。
けれども、今の彼女に何かを尋ねるのは無粋の極みというものだろう。
少なくとも、こんなに気分の良い日に、掛けるべき言葉は楽しいものであるべきだ。
「引っ越しの準備しよう」
「そうですね。わたくしに任せて頂ければ直ぐに終わらせますよ」
「ソフィアの部屋はどっちかしら?」
「……こっちだ」
私達四人は伯爵家の廊下を歩く。
赤い絨毯がしかれた、広く、長い、綺羅びやかなそれは、まるで私達のこれからを祝福してくれているようだった。