アリスさん、伯爵家を知る
ヌーヴェル領最大の街リアデ。
その街の中心部にある一際大きな屋敷。
ソフィア隊長の実家である、ヌーヴェル伯爵家に私達はいた。
伯爵家、つまりお貴族様のお家である。
私は日本のごく一般的なJKだったので、前世の貴族の家すら見た事もないが、少なくともこの世界のヌーヴェル伯爵家は絵本の中から飛び出たかのような、大きくて御洒落で豪華なお家だった。
広い敷地をぐるっと塀で囲み、正面の門からは綺麗な庭と石畳が続き、その奥にデンと煉瓦造りの豪邸が建っている。
見た事は無いけれど、きっと外国の富豪の家はこんな感じなのだろうと思う感じの家である。
そんな豪邸の中、綺羅びやかなインテリアで飾られた広い部屋の、見るからに豪華なソファーに私とエディルアは座っていた。
セチアは私の膝の上で丸くなって寝ている。
ヘデラは「わたくしはメイドですので」とか言って、そのソファーの後ろで畏まって立っている。
皆様どうぞお座り下さいと言われたのだから座れば良いのに、立っている。
彼女の拘りだろう。
よく分からない。
この部屋まで案内してくれた使用人のお爺さんは主人を呼んで来ると言って何処かへ行ってしまい、グロムさんはこの家の人に取り次いでくれると、さっさと帰ってしまったので、今この部屋には私達三人と、この家のメイドさんが一人いるだけ。
私達は今この部屋で、ソフィア隊長と彼女のお父さんを待っている所だ。
伯爵様のお家。
そう考えると、何だか落ち着かない気分になる。
友達のお父さんに会って話をするだけなので、別に普通にしていればいいのに、それが貴族の人なのだと思うと少し緊張してしまう。
不思議だ。
畏まったシチュエーションがそうさせるのか、権力には逆らえない人の業というやつなのか、何なのか。
待っている今も、お貴族様相手に失礼の無い所作や作法なんかの事を考えてしまうのだ。
そんなもの何一つ知らない癖に。
礼節に重きを置く日本人であった私は、そんな事がどうにも気になってしまうらしい。
エディルアは出されたお菓子を「あら、これ美味しいわね」とか言いながらひたすら食べているし、ヘデラは無言で直立不動。
そしてセチアは私の膝で眠っている。
そんな中、ソワソワした心地の私は、目の前に出されたお茶に口を付けてみた。
ぬるくも無く、熱くもなく。
きっとこれが温度に気を配ったお茶の淹れ方というやつなのだろう。
お茶には、それぞれの茶葉にあったお湯の温度があるのだとか何とかテレビでやっていたのを見たことがある。
扉の前に立っているメイドさんが持って来てくれたものなので、きっと彼女が淹れてくれたのだろう。
私はお茶に詳しいわけでは無いので、このお茶がどういうものなのかを味や香りで判断したり出来ないが、美味しい紅茶だ。
しかし、きっとこれも高価なものに違いない。
何せ、お貴族様のお家のお茶なのだから。
そう思うと、途端にとてつもなく美味しい物のように感じてくるのだから、不思議なものである。
それから部屋の中を見渡してみたり、お茶を飲んだり、眠っているセチアに悪戯したり、エディルア達と話をしたりしつつ、待つこと数十分。
「済まない。待たせてしまった」
そんな言葉と共に部屋の扉が開かれ、ソフィア隊長が部屋に入ってきた。
濃い金髪の長い髪が良く似合った、キリッとした顔立ちの美人さん。
1日ぶりに見たソフィア隊長は綺麗な青いドレスを着ていた。
鎧を着けた凛々しい雰囲気とは打って変わって、とても優雅で落ち着いた印象を受ける。
美人さんが綺麗な服を着て似合わないわけが無い。
つまり、とても似合っている。
しかし、そんな彼女を見て懐かしく感じるのは何故なのだろうか。
別れてから一日しか経っていない筈なのに。
格好が変わったからだろうか。
「あらソフィア。ドレス似合ってるわ」
「お邪魔してます。ドレス姿も綺麗だね」
「お邪魔しておりますソフィア様。ええ、良く似合っておいでですよ」
「ありがとう御三方。こんな物を引っ張り出していたら遅くなってしまった。済まないな」
そう言って、ソフィア隊長がはにかみながら私達の対面に座れば、すかさずメイドさんが彼女の側に来て、ティーカップを前に置いてお茶を注ぐ。
そんな様子を見ながら私は思う。
今の彼女なら伯爵家の娘だと言われても納得だ。と。
何だか、そんな雰囲気を醸し出している。
鎧姿の時は格好良かったが、本当は貴族なんだと聴いて私はびっくりしてしまった。
貴族に詳しいわけでは無いし、それも知らない世界の事なので何とも言えないが。
私の想像する貴族と、この世界の貴族がかけ離れているのかもしれないと思ってもいたが、今の彼女は見るからにご令嬢という感じである。
そんな風に思いながらソフィア隊長を見ていると、彼女と目があった。
ソフィア隊長の目は澄んだとても綺麗な蒼色をしている。
「ん?おお?アリス殿、その膝の上にいる黒いのはいったい何なのだ?」
しかして、ソフィア隊長は驚いた様子で、私の膝の上で丸まったセチアを指しながらそんな風に訊ねてきた。
今気づいたらしい。
「私の眷属のセチアだよ。元は大陸キツネっていう狐だったんだけど、今は魔物になっちゃった」
「アリス殿の眷属なのか。ふふ、眠っているようだ。とても可愛らしいな」
そう言って、私の膝で眠っているセチアを覗き込むと、彼女は優しそうに微笑んだ。
そうだろうとも。
やはりセチアは万人に受け入れられる可愛さなのだ。
「うん」
少し嬉しくなった私は、寝ているセチアを撫でながらそんな風に返した。
「今日はいきなり来てしまって申し訳ないわね」
そうエディルアが切り出した。
そう。
私はさっき気づいた事だが、私達は今日アポ無しなのである。
お貴族様のお宅にアポ無し訪問。
何と言う無作法だろうか。
ここが前世なら間違いなく門前払いだ。
何せ、ソフィア隊長とは一昨日知り合ったばかり。
更にここは彼女の実家だ。
何度も行った事のある、勝手知ったる友達の家に遊びに行くのとはわけが違うのである。
しかしグロムさんが何も言わずにホイホイ連れて来たので、この世界では別に気にする事でも無いのかと一瞬思ったりもしたが、そんなわけが無い。
親しき中にも礼儀あり。
いい言葉である。
私もちゃんと謝っておこう。
「ごめんね急に来ちゃって」
「いや、気にしないでくれ。私も今日御三方が来てくれて助かった」
少し疲れた表情でそういうソフィア隊長をの様子を見るに、グロムさんが話していた事は本当だったようだ。
お父さんに私達の事を話して、心配されてしまったという話。
少し面白いが、彼女からすれば笑い事では無いだろう。
何せ、本当の事を話しているのに、頭がおかしくなったと心配されてしまっているのだから。
「ソフィア隊長が何だか困ってるって、冒険者ギルドのギルドマスターに話を聴いて来てみたんだけど」
「ああ、そうなんだ。お父様……父が私の話を全然聴いてくれなくてな……。どうにも困っていた所なんだ」
「ソフィアの頭を心配されているんですって?面白いお父様なのね」
「お父さんは今いないの?」
「それが、御三方達だけで話がしたいそうなんだ。申し訳無いが、父の書斎まで来てくれるか?」
ソフィア隊長のお父さんは、私達と四人で話がしたいそうである。
きっと娘には聴かれたくない事か、娘の前では話しにくい事でもあるのだろう。
世の娘を持つ父親というのは色々複雑なのだ。
私はそんな、「娘を持つ父親の複雑な心情に、なる丈理解のある娘でいようと思っていた系」のJKだったのである。
「娘の前では素直になれない」、「会話が続かない」、「嫌われるのが怖くて普通に接する事が出来ない」、「と言うか嫌われているので話をしてくれない」……等など。
JKというお年頃の娘を持つ父親として、そんな悩みの一つくらいあるだろう。
何不自由無くすくすくと育ててくれた父親への親孝行の一つとして、私がそんな悩みを少しでも理解し、一つでも無くしてあげるべきでは無いか。
前世のある暑い夏の日の夜、そんな事を急に思い立った私は、お母さんに聞いた事があるのだ。
しかし、私のお父さんは特にそういうのは全く無いと言われた。
そんな馬鹿なと思い、お父さんに直接聴いてみると「お前は馬鹿なのか?そんな事を気にしていないで、彼氏でも作れ」と言って、笑われたのだ。
何だか残念なような良かったような、悶々とした気分になったのを覚えている。
否、そんな事はどうでも良い。
了承した私達はソフィア隊長に連れられて、ソフィア隊長のお父さんの書斎までやって来た。
扉をノックした後に開いたソフィア隊長に続いて私達もその部屋に入り、ソフィア隊長のお父さん、ヌーヴェル伯爵様と初対面を遂げたのだった。
「では、私は弟の所に行ってくる。話が終わったらさっきの部屋で待っていてくれ」
そう言ってソフィア隊長は書斎を出ていき、私とエディルアはソフィア隊長のお父さんに勧められるままに椅子に座った。
そしてヘデラはまたしても私達の後ろに立っている。
また「わたくしはメイドですので」と言われて終わりなので、私はもう何も言わない。
移動の為に起こしてしまったセチアをまた膝の上に乗せて、そのふわふわした背中を撫でていると、対面の椅子に腰掛けたソフィア隊長のお父さんが口を開いた。
「今日は態々お越しいただき感謝する。私はソフィア・ヌーヴェルの父にしてヌーヴェル伯爵家当主、トルガ・ヌーヴェルと申す者だ」
そんな風に挨拶をしてくれたソフィア隊長のお父さん。
何だかやつれているように見える、ソフィア隊長より少し色の薄い金髪の中年男性だ。
トルガさんというらしい。
そういえば、ソフィア隊長が名前を言っていたかもしれない。
対して、私達三人もそれぞれ自己紹介をした。
自己紹介はお互いを知る第一歩目。
つまり、会話の握手であるからして、今度こそ普通に自己紹介をしよう。
「座ったままで失礼するわ。私は黒死の破滅龍エディルア。生きとし生ける総ての敵よ。始めまして、ソフィアのお父さん」
「私は真祖のアリスです。始めまして」
「僭越ながら。お初にお目にかかります伯爵様。わたくしは真祖の姫君であらせられるアリス様のメイドをしております、ヘデラと申します。主共々、お見知り置き下さい」
そんな風に私達が名乗った後、トルガさんは「うむ……」と言って、難しい顔で私達を見たまま黙ってしまった。
どうしたのだろうか?
何か気に触るような事でも言っただろうか?
私がそんな風に思っている中沈黙は続き、少し後、トルガさんは少し躊躇いがちに口を開いた。
「その、無礼を承知でお願いしたい。……誠に申し訳無いのだが、貴女方が本当に黒死の龍と真祖なのか、確認させて貰えはしないだろうか?」
なる程。
それを言い出すのを少し躊躇っていたのだろう。
自分の娘の言い分を信じられず、頭を心配する事になった原因が目の前に現れたのである。
しかと確認すべきだと思うのは当然だろう。
私達三人はステータスをトルガさんに見せ、私達が本当に真祖と黒死の破滅龍である事を確認してもらった。
「……確かに黒死の龍と、真祖の姫君、そしてその侍女のお方のようだ。申し訳無かった、無礼を許して欲しい。娘から貴女方の話は聴いていたのだが、どうも信じられずにいたのだ……。今日は遠いところを良く来てくれた。うちの騎士達が貴女方にとんだ無礼を働いたことは娘から聴いている。本当に済まなかった。心からお詫びしたい」
私達のステータスに目を通しそれを確認した後、トルガさんは立ち上がり、そう言って深々と頭を下げた。
そうだ。
ソフィア隊長の騎士達は、トルガさん家の騎士達でもあったのだ。
そうすると、私はトルガさんの騎士を30人以上殺してしまっている事になる。
何と、真っ先に私は謝ら無くてはいけなかったのでは無いか。
そんな事を考えついてしまった私はすかさず頭を下げた。
「騎士の人達、殺しちゃってごめんなさい」
と。
否、殺してしまってごめんなさいとは何事かとは思うが、しかしそれ以上の気持ちが湧かないのだ。
先に殺そうとして来たのはあの人達なのである。
思い返すだけでも腹が立つ連中だ。
「いいや、貴女がそんな事を気にすることはない。私の騎士がしでかした事だ。騎士達は自業自得として、私にもその責任があろう。何なりと仰ってくれ。甘んじて受け入れるつもりだ」
つまり、雇い主である自分にも責任があるから気にしないで良いよ、寧ろこっちこそ何かお詫びさせて。という事だ。
そんな事を言われると、少し申し訳無い気持ちになってくる。
トルガさんは別に何もしていないのだから。
お詫びなんていいし、いきなり斬り掛かってきたりしないのなら、何も気にする必要は無いのだ。
「気にしなくていいわ。でも、今度私のアリスにちょっかい掛けてみなさい、この街ごと消し飛ばしてあげるわ」
「僭越ながら、わたくしも同じ思いで御座います。くれぐれもお忘れなきようお願い致します」
oh……。
何とも物騒な事を言う二人。
しかし、私も二人に何かあれば黙ってはいないだろう。
また私達を殺そうとしてくる人がいれば、私は容赦なく返り討ちにするつもりである。
殺される前に殺せ。
何も教えてくれない神様が私にくれた、唯一役に立つアドバイスである。
「私も」
私も二人と同じ、私の友達に危害を加えようとするなら何としてでもそれを止めてみせる。
場合によってはまた殺すだろう。
人の命が軽いのだとあの神様は言った。
それでも守りたいものが出来た今の私は、躊躇しても大切な物を傷つけない程に、この世界の事も、自分の弱さも、まだ何も知らないのだ。
「ああ、しかと心に留めておこう。寛大な御心に感謝する。それで本題なんだが……どうにもうちの娘のソフィアが貴女方と共に暮らすとか」
しかして、今日ここに私達が来た理由とも言える話になった。
そう、ソフィア隊長が私達と暮らすから家を出ると言ったら、そんな彼女の頭をトルガさんが心配して、グロムさんに相談したという話である。
「ええ。何でも貴方に家を追い出されると言っていたわ」
「そうか……」
そう言ったトルガさんは少し悲しそうだった。
ふむ。
トルガさんのこの反応。
これは何かあるなと、私の中の何かが告げている。
「娘を持つ父親の複雑な心情に、なる丈理解のある娘でいようと思っていた系」JKの私には分かる。
『今度こそ私は、伯爵家から爪弾きにされてしまうだろう……』
『リアデに帰っても自分の居場所は無く、父親に見せる顔も無い。』
そんな風にソフィア隊長は言っていたが、何かこの親娘の間でコミュニケーションの齟齬があったのでは無いだろうか。
少なくとも、これまでトルガさんと話してみて、剣の才能しか無い娘に失望し、無理難題を押し付け、それが無理なら問答無用で家から爪弾きにするような人には思えないのだ。
などと推測してみるが、全て私の勘である。
「ソフィアの話は本人から少し聴いたわ。貴方は、本当はどうしたかったのかしら?」
「ソフィアが……貴女方に話たのか?」
「ええ。それで、気掛かりだったのよ。ソフィアに騎士の部隊なんてものを与えた癖に、肝心の騎士達は素人ばかり。出した要求は不可能に近いような無理難題。おまけにその理由がソフィアを他の貴族に紹介する為の泊付けですって?全てがおかし過ぎるわ。そもそも、貴族同士の政略結婚なんて親である貴方が勝手に決めるものなのではないのかしら?」
おお。
まるで探偵みたいだ。
エディルアはそんな事を考えていたのか。
なる程、確かに言われてみればトルガさんのしたい事が分からない。
ソフィア隊長に失望したのなら元からさっさと家を追い出せば良いだけだし、剣の才能で功績を作れというのならもっと他にやり方はあった筈だ。
更に、嫁ぎ先が見つから無かったとソフィア隊長は言っていたが、政略結婚は親の貴族同士が決める事だとエディルアは言う。
そうすると、トルガさんはソフィア隊長を家に留めておきたかったのだろうか?
しかし、ならば騎士の部隊長なんてものにした理由が分からない。
ううむ……分からないな。
嫌がらせかな?
どうやら私は探偵には向いていないようだ。
「……それは、ごもっともだな」
「貴方の行動は矛盾だらけ。貴方は彼女をどうしたかったの?ソフィアに、どうなって欲しかったのかしら?もし良ければ、話して下さらない?」
そんなエディルアの問の後、トルガさんは少しの間考えるように黙って俯いていた。
ソフィア隊長が隊長になった理由。
トルガさんがソフィア隊長に望んだ事。
トルガさんがソフィア隊長にしてあげたかった事。
きっとそれは悲劇などでは無かった筈だ。
少なくとも、問答無用で家から叩き出す事なんてトルガさんは望んでいない筈なのだ。
トルガさんが何を考え、ソフィア隊長が何を考えたのか。
私もとても気になる。
しかし、そんな親娘の問題に踏み込んでも良いのか躊躇する気持ちもある。
「そうだな……何とも、情けない限りだ……。恥を晒すようで忍びないが、貴方方には聴いて欲しい。何でも、御三方は大切な友達なのだと、ソフィアが言っていたからな」
長いような、短いような沈黙の後、そんな風に言ってトルガさんは少し悲しそうに笑った。
そうして彼は、ある親娘の話をし始めたのだった。