アリスさん、一攫千金を知る
私は今、夜の森を歩いている。
澄んだ空気の中、月明かりが薄く枝葉の隙間から差し込み、深い闇の中僅かに照らされたその場所は、延々と立ち並ぶ黒い木々せいでまるで暗い迷路か檻の様。
動物も、人も、魔物も、その殆どが寝静まり、夜を好むその一部のみが闇の中で静かに潜む。
聞こえるのは風が草葉を揺らす音と虫の鳴き音。そして時折遠くで吼える獣の声のみ。
静かで、どこか淋しげなその空間で、けれども今の私はとても気分が良かった。
何故なら深夜の森の中という、吸血鬼にとってはどうやら最高にテンションの上がるらしいシチュエーションだから。
暗い森の中を見ていると、まるで晴れ渡った秋空の下の紅葉でも眺めているような気分になってくるのだ。
なんともおかしな種族である。
そして、そんな私の気分を更に助長させているもう一つの原因が今、私の腕の中にいた。
胸に抱きしめるようにして抱えた私の腕から垂れ下がった、ふわふわサラサラとした黒と灰色の二本の長い尻尾。
私の腕にしがみついている肉球のついた小さな手足。
三角形のピンと立った大き目の耳に、ピクピクと揺れる突き出た鼻先。
細く釣り上がった目から覗く紅いつぶらな瞳は、私を逆さに見上げている。
何かなそれは?
正解は狐さんだ。
何故か尻尾が二本あるが、全体的に黒色をした小さな狐である。
おいどうした誘拐か?
ノンノン、拾ったのだ。
そして、私が眷属化したのだ。
私の最初の眷属であり、私の新しいお友達である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
時は遡り、冒険者ギルドにて。
ナンシーさんに冒険者になるのを止めた事を伝えると、彼女はギルドマスターが一向に帰って来ないことを仕切りに謝り、また後日改めて来て欲しいと言った。
何でも、ギルドマスターに私達を紹介したいのだとか。
結局冒険者にもならずに、土下座させて飲み食いお喋りしただけで帰るのだから、何だか騒がせにきただけの厄介な客みたいでこちらこそ申し訳無い気分だ。
因みに、私達にこれからの予定など無い。
明日の予定すら特に無いのだから。無職の特権である。
なので明日また来る事を告げ、私達が採った素材を買い取ってくれるようヘデラが取り付けてくれた後、私達はお城に帰ってきたのだった。
しかして、お城に戻った後は三人共好きに過ごす。
ヘデラはお城の周りの改装を、エディルアと私は冒険者ギルドで買い取って貰う素材を集める為、魔物を狩りに行くことにした。
だがしかし、てっきり一緒に魔物を探すのだと思っていたエディルアは、「きっと強そうな魔物の方が高く売れるわよね」なんて事を言い残して、さっさと何処かへ飛んで行ってしまったのだ。
きっと高く売れそうな、強そうな魔物を探しに行ったのだろう。
しかして、一人になってしまった私は、魔物を探すのは止めてお城の周りの森を散策する事にした。
なぜか。
ミスリルを掘り当てるためである。
私は世の大半の人間と同じく、お金は好きなのだ。
お金はいくらあっても困らない。
別にヘデラやガッツさん達が羨ましかったわけでは無い。
なので、土系統の原初魔法と魔眼を活用しながら、ミスリルが地中に埋まっていないか探しつつ、トレジャーハンター気分で森を見て回ることにしたのだった。
お城を造る前は無かったのに、知らない間に庭園と共に現れた広い湖畔の森。
聴けば、土道からの目隠し、防犯、それとお城から眺めた時に森もあった方が景観が映えるだろうという理由から、ヘデラが地面ごと何処かから持って来たのだと言う。
大胆な事を考えるものである。
しかして、ミスリルは呆気なく見つかった。
と言うか、試しにその辺を深く掘ってみれば出てきてしまったのだ。
魔法でチョチョイと掘った深い穴の底で、大きな岩の中に蒼白いメタリックな結晶がキラキラと僅かな月の光を受けて輝いている。
驚きつつも、絶対鑑定で確認してみると確かに「ミスリル鉱」のようである。
……おかしい。
いくら何でも直ぐに見つかり過ぎである。
もう少し私にトレジャーハンター気分を味わわせてくれても良いのでは無いだろうか?
今夜の目的が直ぐに達成されてしまった。
……否、手っ取り早く見つかるに越したことはないではないか。
これで私も億万長者だ。
そんな風に自分を言い聞かせて、少し浮ついた気分の私は取り敢えずその大きな岩を丸ごと異空間にしまった。
するとどうだろう。
大きな岩があった下にも、何やら蒼白く輝くメタリックな物が見えるでは無いか。
「……ええ」
思わず私の口からはそんな声が漏れていた。
これが、戦慄を覚えるという事である。
こんなにポイポイ見つかってしまっては、感慨も何もあったものでは無いではないか。
ヘデラが言っていた山みたいに出てきたというのが、理解出来た瞬間である。
……もしかして、この辺一帯の地下、ミスリルだらけなのでは?
そんな事が頭を過ぎった私は、魔眼の「透視」と「絶対鑑定」を使って辺りの地下を見てみた。
私の眼に備わっている便利機能2つを組み合わせた「何でも何処にいてもお見通しの術」である。
そして分かってしまった、恐ろしい程にあるミスリル鉱達。
この辺一帯、大体2000mから3000mくらいの深さにミスリル鉱の層があるのだ。
最早恐怖映像である。
ミスリルって「それなりに貴重な物」とか言っていたのに、本当に山みたいにミスリルがあるのは、一体全体どういう事なのだろうか。
億万長者なんて目じゃない。
ミスリルで家が作れてしまう。
お城の敷地の地下にミスリルの鉱脈があるなんて、小枝社長もビックリだ。
これが誰かに知られれば、ガリンペイロが沢山来てしまう。
ゴールドラッシュならぬミスリルラッシュがおこってしまう。
そんな、まるで宝くじで一等を当てたかのような気分で辺りを見ていると、湖の底にも未だミスリルが沢山ある事が分かった。
と言うよりかは、湖底がミスリル鉱である事が分かった。
ヘデラが湖を掘る時に取り切れなかったのか、置いておいたのかは分からないが、水が透き通っていて綺麗な碧い湖だと思っていたのは、どうやら湖底にあるミスリル鉱達のせいだったようだ。
青の池もびっくりである。
湖に沈んでいるミスリルは綺麗なので放っておいて、地中からある程度のミスリルを採って全て異空間に放り込んだ後、やる事が無くなってしまった私は、森の中をお散歩する事にした。
やはり夜になると、吸血鬼である私は調子が良くなるようで、加えてこの森の中は薄暗いので更に気分が良い。
朝のお散歩も良いが、夜のお散歩も良いものである。
そんな風に森の中を彷徨い歩いていると、一匹の生き物を見つけた。
一本の木の梺で眠るように横たわったそれは、小さな犬か猫のように見えた。
小さくて可愛い。
丸まって眠っているようである。
まだ子供だろうか?
親と逸れて何処からか迷い込んでしまったのだろうかと思い近づくと、仄かに血の匂いがする事に気が付いた。
血が大好きな吸血鬼は、血の匂いにも敏感なのだ。
どうやら、この子は怪我をしちゃっているようである。
どうした事かと、その動物の側にしゃがんで見て見ると、それはどうやら子狐の様だった。
近づいた私に怯える様子も動く様子も無く、ぐったりと地に付したまま、濡れた瞳だけを私に向けている。
子供である今の私の身体でさえ抱きかかえられてしまう程に小さいその子は、しかし、そんな小さな身体は全身が血泥で汚れ、毛の色が分からない程であった。
前脚は一本無く、耳も片方千切れたように失い、そこからは赤い血がダラダラと流れ出ている。
血塗れである。
可哀相に……きっと他の動物か魔物に襲われたのだろう。
これが自然の厳しさ、弱肉強食というやつである。
しかして、小さな血溜まりの中で、細くか弱い呼吸を続けるその小さな命を見ていた私は、「そうだ、この子を私の眷属1号にしよう」と考えついた。
私が眷属化して吸血鬼になれば、不老不死になるので、この子は助かるだろう。
もしかすると、この傷も回復するかもしれない。
それに可愛い小動物を眷属にするという、私の野望も叶えられる。
そんな、屈託を感じたく無いが為の自分勝手な思いつきと、そんな自分への少しの言い訳から、私は自分の指先を掻っ切り血を出すと、その子の顔の前へと差し出したのだった。
「私のお友達になってくれる?」
そんな言葉と、少しの期待と共に。
目の前に差し出された私の指を見たその子は、弱々しく首を動かして鼻先を近づけた。
体に踏ん張りが効かず、首を少し動かすだけでも苦しいようで、か弱い鳴き声がその口からは漏れている。
痛々しくて、心臓が縮んでしまいそうなその光景は、しかし神様に色々と弄られた今の私には特に感じるものは無かった。
私はそれが何だか、少しだけ悲しい気がした。
しかして、小狐は指先を流れ落ちる私の血の匂いを二度嗅いだ後、ペロリと舐め取ったのだった。