アリスさん、魔物を知る
夜。
空には満点の星空が広がり、地上は月明かりが照らし出した、また夕日に照らされたそれとは違う静かな美しさを魅せている。
眼下にポツリポツリと散らばる家屋が灯りを灯し、まるで夜の森に舞う蛍火のようである。
そして遠くに見えるリアデの街は煌々と明るく、人の営みを感じさせる。
建物は石か木造り、道は土道、移動手段は馬車、鎧を着ている人もいる。
前世と比べれば、まるでタイムスリップしてしまったかのような文明の落差。
車など何処にも走ってないし、鉄筋コンクリートの建物もない。電気やガスのインフラも無さそうだし、水道すら整備されていないかもしれない。
ここが、今私が住んでいる世界である。
「そろそろ行きましょうか?」
日が沈んでも暫く、それらを眺めていた私達であったが、エディルアがやがてそう切り出した。
この佳景にはまだ後ろ髪を引かれるが、何時までもここで景色を眺めているわけにはいかない。
私達は街に行き、冒険者とかいうよく分からない事をしてお金を稼がなくてはならないのだ。
「そうだね。取り敢えず麓まで飛んで降りようか」
空を飛ぶのは気持ちがいい。
最初は恐る恐るといった体であったが直ぐに慣れ、今は空を飛びながら宙返りもできる。
夜空を滑空し、麓の森を越えて草原に降り立った私達は、だだっ広い草原に伸びる土道を再び歩いてのんびり街を目指す。
草原には様々な生き物がいた。
牙が異常に長い大きなイノシシ、緑色の大きな狼、角の生えた大きな兎、馬鹿みたいな大きさの蝶、など。
その殆どが、私達が近づくと逃げて行き、500m程離れた場所から遠巻きに此方の様子を伺っている。
やはり異世界、見たことのない動物ばかりである。
何と言うか、全体的に大きい。
土道の向こうから走ってくる鶏なんて、家みたいな大きさである。
「あの大きい鶏は凄いね。お尻に蛇が付いてる」
というよりも蛇が生えている。
訳のわからない動物である。
「何でしょうか?此方に向かって来ているようですね」
「あれはコカトリスね、卵が超美味しいのよ。巣は何処かしら」
そう言って辺りをキョロキョロと見回すエディルア。
あのコカトリスとかいう鶏の巣を探しているようだ。
こんな草原を駆け回っているくらいなのだから、きっと飼育されていたのが逃げ出したとか、そもそも野生の動物なのだろう。
野生の鶏がいるんだなぁ……。
なんて思いながら、こっちに近付いてくるコカトリスを眺めていると、良い考えが浮かんだ。
即ち、捕まえて飼ってしまえば良いのではないか?と。
「捕まえよう。あれが雌なら、その美味しい卵が毎日食べ放題だ」
あんなに大きいのだ。
雄だったとしても鶏肉が食べ放題である。
鶏の捌き方とかは知らないが、街まで持って行けばお金を払って捌いてくれる所があるかもしれない。
家程の大きさの鶏だとしても、私の時空魔法にかかればそれを街まで運ぶなどお茶の子さいさいである。
異空間を創り出して、生きたままそこに放り込んでおけばよいのだ。
そう。
アイテムボックスなどというスキルがあったが、時空魔法を色々と試している時、これを使えばそんなもの要らないという事に気が付いた。
何せ、何時だって、何処にだって、好きなだけ異空間を作れちゃうし、大きさも中の環境も自由自在。アイテムボックスと違って生き物も入っちゃうし、態々血を間に挟まなくても良いし、自分が作った異空間は時間の流れを早くしたり、遅くしたり、止める事だって出来ちゃう。
瞬間移動や、空間を縮めて遠く離れた場所同士を繋げる事だって出来る。
正に凄すぎる魔法なのだ。
「それよ!ナイスアイデアだわ!流石アリス!」
「ではわたくしが」
ヘデラがそう言って手を横凪に払うと、唐突に走っていたコカトリスがつんのめり、地に倒れてもがき出した。
突然の出来事である。
正体はヘデラの糸操術。
彼女の指先から伸びた極細の糸がコカトリスの両脚から胴体に掛けてを雁字搦めにしていた。
糸はヘデラが魔力で作りだした物で、血液操作の様にこの糸を自在に動かし、伸ばし、敵と闘う技だそうだ。
何故態々糸で戦うのかは分からない。
私達が近づくといっそう暴れだすコカトリスに、ヘデラが「影魔法」で操る影が纏わり付き動を封じる。
暫くはギャーギャーと暴れ喚いていたが、やがて諦めたのか静かになった。
こうしてみると虐めているみたいだ。
動物愛護団体とかに怒られないだろうか。
というか、今更だが野生動物を捕まえても良かったのだろうか。
「雌よ、やったわね!」
エディルアが躊躇無くコカトリスの股座を覗き込んでそんな事を言う。
乙女としてどうなんだろうかとは思うが、期待の雌鳥である。
エディルア曰く凄く美味しい卵を産む鶏。こんなに大きいのだから、産む卵もさぞ大きい事だろう。
「捕まえたは良いけどどうしよう」
首輪にリードをつければ大人しく着いてくるだろうか?
それとも、私の時空魔法で異空間を作り、そこに入れるか?
「眷属化するのが良いかと」
なる程、眷属化すれば意思疎通の出来るペットみたいなものだ。
離れても位置が分かるし、召喚も出来る。
眷属化は試せていないので、丁度よい機会かもしれない。
ただ問題があるとすれば、眷属化したものは吸血鬼になってしまうということだ。
「吸血鬼になっても、ちゃんと卵産むかな?」
「大丈夫じゃない?駄目なら駄目でまた見つければ良いのよ」
「そうだね。じゃあ捕まえたヘデラがどうぞ」
「良いのですか?」
「いいよ」
私はその辺のもっと小さくて可愛い動物を捕まえよう。
「かしこまりました」
ヘデラがコカトリスの口を開かせ、自分の血を一滴、口内に垂らす。
するとコカトリスは一つ鳴き声を上げた後、身体の色を見る見る変色させた。
黒い身体に、紅い瞳。お尻から生えていた緑色の蛇も禍々しい黒と赤の斑模様を持つ毒蛇のような装いに変わった。
色が変わるなんて驚きである。
「烏骨鶏みたいになったな」
「随分格好良くなったわね」
ヘデラが拘束を解くと、大人しくなった黒いコカトリスは立ち上がり私達に頭を垂れる。
随分と躾のなった鶏だ。
「身体が黒くなったので、この子の名前はシュバルツです」
ヘデラがそんな事を言いながら黒いコカトリスの頭を撫でると、黒いコカトリスは目を細めて嬉しそうに鳴きながら頭を擦り寄せていた。
既に懐いているなんて……眷属化、凄い魔法だ。
本当は動物と美人なメイドさんが戯れる微笑ましい光景なのだろうが、相手が馬鹿でかい真黒な鶏であるため、ヘデラが食べられたりしないか心配になる図である。
なかなかに可愛いペットが出来た所で、この黒い鶏のステータスも見てみる事にする。
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個体名:シュバルツ
種族:吸血黒毒鶏
性別:♀
識別:真祖メイドの吸血鶏
レベル:93
称号:真祖メイドの眷属
魔力:8632/9115
スキル:黒毒霧
石化の嘴
風魔法(Lv.4)
吸血
不老不死
備考:コカトリスが真祖のメイド、ヘデラによって眷属化され、吸血鬼化した魔物。尾の蛇が放つ黒毒の霧はアダマンタイトをも腐食させ、その嘴で突かれた者は瞬時に石化する呪いを受ける。卵はこの世のものとは思えないほど美味。
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何と読むのだろう。
きゅうけつ、くろどく、にわとり?
分からん。
それよりもこの備考欄である。
……この鶏は魔物だったのか。
と、少し面食らう私であるが、しかしこんなに大きな鶏は怪物と言われても違和感無い事に今更気づいた。
「魔物=怪物」とは、神様が言っていた唯一の私のこの世界の基礎知識であるが、そうなると動物なのか魔物なのかの見分け方については全く分からない。
まあ、魔眼を使い絶対鑑定で調べれば良い話なのだが。
この世界の鶏は家みたいに大きいと言われれば、「へぇ……」と信じてしまうくらいには、私はこの世界についてまだ何も知らないのだ。
「この子弱っちいわね。私の加護をあげましょう」
「じゃあ私も」
エディルアに続き私も加護を付与する。
鶏に弱いも何も無いとは思うが、色々と物騒なこの世界で、少しでも強いに越したことは無いだろう。
というか、私の加護は転けなくなるという便利機能なので、強くはならない。
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識別 真祖メイドの吸血鶏:真祖のメイドヘデラによって眷属化されたコカトリス。
称号 真祖メイドの眷属:真祖のメイドヘデラに眷属化された証。
全能力値極大上昇
スキル 黒毒霧:尾にある蛇が、あらゆるものを腐食させる黒毒霧を吐く。
石化の嘴:嘴で突いたものに、瞬時に石化させる呪いを付与する。
風魔法(Lv.4):6属性魔法の内、風を司る魔法。
吸血:吸血する事により対象の生物、魔物が持つ魔力、生命力を取り込む。吸血衝動が定期的に起こる。
不老不死:老いが無くなり、自然死をする事が無くなる。
死の舞踊:触れると即死効果のある羽毛を魔力で作成し、自身の周囲に舞い降らせる。(死神エディルアの加護により習得)
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シュバルツのステータスが知れた所で、再び街に向かおうと思ったのだが、ふと、「コカトリスって街まで連れて行っても良いものなのだろうか?」なんて事を思いついた。
「ただの大きな鳥だし、大丈夫じゃない?」
「この世界の人間って魔物と闘ってるんでしょ?連れて行ったら怒られるんじゃない?」
見た目は大きな鶏と言えども魔物らしいし、怒られるかもしれない。
ペットと言い張ることも出来るだろうが、何せ大き過ぎるので、連れて歩いていると邪魔になって怒られるかもしれない。
そもそも街に入れてくれないかもしれない。
そうなると街の外で待っていてもらう事になるが、大人しく待っていてくれるか分からないし、家畜を街の近くで勝手に放し飼いにするなと怒られるかもしれない。
かと言って、その辺に放っておくと他の魔物がやって来て、シュバルツが食べられてしまうかもしれない。何せ魔物と言えども鶏。ドラゴンとかがやって来たら一溜りも無いだろう。
「じゃあアリスが異空間作って、そこにいてもらいましょうか?」
つまり、それがベストな選択な訳である。
「それが良いかな。コカトリス……シュバルツは何を食べるの?鶏だし麦とか穀物?」
「基本魔物や動物の肉なら何でも食べるようですね。特にワーラビットという魔物がシュバルツちゃんの好物だそうです」
「肉食なのか……」
なんて話をしていると、道の前方から人が大勢やって来るのが分かった。
だだっ広い草原に伸びる土道を、ガシャガシャと着ている鎧を鳴らせながらの大行進である。
まだ大分離れているが、魔眼のおかげでよく見えるのだ。
数は百人程と、兎に角多い。
月明かりと、数人が持つカンテラに照らされ、皆一様に同じような鎧を着て、頭にはヘルムを被っているのが分かる。
鶏の次はこれである。
何かのパレードのようだ。
「何か沢山こっちに来てるわね」
「道から退けて見てようか」
「こんな夜中に何処行くのでしょうか?わたくし達が来た道中には特に何も有りませんでしたが」
確かに。
こんな夜更けに大人数で鎧なんて着て何処にいくのだろうか。とても気になる。
ともかく、第一村人達発見である。
この世界の人類はどのような人達なのか見てみたい。
こんな時間に大勢で何をしているのかは分からないが、大行進の邪魔にならないように、道からそれた草原で彼等を眺める事にした。