アリスさん、旅立ちを知る
他にも一通りスキルを試し、エディルアとヘデラのスキルの把握と確認も行った私達。
漸くリアデの街へ向かう頃にはすっかり朝になっていた。
全員で森を飛んで越え、そこから広がる草原を歩いて北東方向に向かう。
太陽の位置から何となくで進んでいる為、正確には北東では無いかもしれないが、別に急ぐわけでも無いので、気にしない。
やはりと言うか何と言うか、太陽の陽を浴びても塵になって消えるなんて事はなく、朝日が清々しいとさえ感じるのはどうも吸血鬼っぽくない。が、別に太陽光を浴びて塵になりたいわけでは無いのでこれでいい。
それはヘデラも同じようで、青空を見上げては「良い日和ですね」なんて言いながら目を細めている。
「そう言えばこの辺りに全く動物がいないのは何故なのでしょうか?」
ふと、ヘデラがそんな疑問を口にした。
それは私があの森にいた時から気になっていた事である。
きっと爆発したり、吹き飛んだりするからだろうと思っていたが、真相は分からないままだ。
エディルアならば何か知っているかもしれないと思っていたが、どうやらそれは当たりだったようである。
「ああ、それは死の森にある私の結界から漏れ出した邪気が原因で、ただの動物は愚か高位の魔物ですら近づく事が出来ないからよ。ほら、アリスが嫌な不快感って言っていたやつ」
「ああ、なる程」
あの不快感のせいで森には動物がいなかったのか。納得である。
嫌な気分になる場所には誰だって住みたくは無いもの。
ということは、動物がいなかったのはエディルアのせいで、急に森が爆発したり吹き飛んだりするのが原因では無かったようである。
否、それも原因なのかもしれないが。
「そうでしたか。流石は黒死の破滅龍であられるエディルア様ですね」
何が流石なのかは分からないが、そんな事を感心した様子で言うヘデラ。
「急に爆発して森が吹き飛ぶせいだと思ってた」
「……それはアリスが何かしたんじゃないの?私が封印されていた事を除けばただの森よ?」
え……そうなのか?
やはり私が叫んだせいなのか?
しかし叫んで森を吹き飛ばす、なんて事はステータスの何処にも書いていなかった筈である。
解せん……。
この世界は謎だらけだ。
「そう言えば、私お腹が減らない」
「真祖だからではないでしょうか?わたくし達は空気中の魔素を吸収して生命活動を維持しているようですので。消化器官は存在するようですが、人間のように食べ物から栄養を摂取する必要が無いのかと」
「へぇ、でも美味しいものは食べたい。街に行ったら何か食べよう」
「私も3000年程何も食べてないわねぇ。黒オークって今の時代まだ居るのかしら?あれ丸焼きにすると美味しいのよね」
「黒オークとは何ですか?」
「黒くて大きな人型の魔物よ」
「魔物って食べられるんだ……。そう言えば、ヘデラの知識ってどうなってるの?生まれた時から持ってるもの?」
「私が持っている知識は、アリス様のものをベースに構築されているようです。残念ながら、アリス様の前世の事や記憶などはほんの少ししか分かりませんが、アリス様の持つ基本的な一般常識や知識などは全て持っております」
「私の常識……この世界じゃあんまり意味無いね」
そんな他愛ない話をしながら私達は見渡す限りの草原を歩き続け、二日目の太陽が真上に登る頃には遠くに視界を横断する長く高い山脈が見えてきた。
実は私達三人共、睡眠は必要無い。
吸血鬼なんて、昼間は棺桶で寝ているイメージだったが、どうやら違うらしい。
エディルアは封印されていた間暇だから百年単位とかで寝ていたらしいが、普段の睡眠は趣味みたいなものだとか。
そんな三人だから、夜間も通して二日ぶっ通して行脚なんてぶっ飛んだ事が出来る。
休むこと無く歩き続けても全く疲れる事が無いのは、前世で運動音痴だった私には非常に気分が良い。
そして歩き初めて三日目の空が薄っすらと赤らむ頃、漸く山脈の麓にたどり着いた。
麓には鬱蒼とした森が広がっており、ここにも動物はいないようだ。
そんな森を軽々と翼を生やして飛び越え、一気に山頂まで飛んで行く。
切り立った崖が多く、標高も高い山である。
山頂に近付くにつれて植物が無くなり、赤茶けた岩肌ばかりの地面になる。
所々に、溶けかけた雪が積る岩場。
そんな、切り立った岩肌が尾根沿いに列なる山脈の頂に降り立った私達は、そこから反対側の景色を見下ろした。
しかして、溜め息をつくような美しい光景がそこに広がっていた。
視界の右手遠くには赤く陽を反射する海、左側にはこの山脈から連なる山々と、そこから裾に広がる大きな森と河、そして、それらに挟まれるように壁で囲まれた建物の大きな群れがあった。
きっとあれがリアデという街だろう。
街の周囲は開けた草原と疎らにある森林。
それらを縫うように、街から四方に出た土の道が地を走っており、その所々で煙突から煙を上げる建物が見て取れる。
あちらこちらに動物らしきものや、土道を行く馬車や人の姿まで見えるのは、きっと真祖の魔眼のおかげだろう。
そして、それら全てを海に沈み掛けた陽が朱く染め上げていた。
「……うわぁ綺麗ねぇ」
「ええ、絶景ですね」
「うん……カメラがあれば良かったのに」
私達はその光景に釘付けになっていた。
高所からの景色は何故これ程までに人を魅了するのだろうか。
それを夕陽と共に眺めるのは壮観の一言に尽きる。
この佳景を見られる人間は、果たしてどれ程いるだろうか。
死の危険を冒してまで山に登る登山家の気持ちが、少しだけ分かった気がする。
きっと自分で歩いて登った後に眺めるこの景色は、きっとどんな瞬間よりも素晴らしいに違いない。
陽が海に沈み切り、闇が地上を覆うまで、私達は静かにその風景を眺めていた。
魔法が使える、聴いたことのない人種がいる世界。
吸血鬼になってしまった自分。
黒死の破滅龍と真祖のメイドという風変わりな友達。
何もかもが違う新しい人生で、けれども通じるものは確かにあった。
美しいものを美しいと思えるのは、そしてそれを誰かと共有出来る時間というのは、こんなにも愛おしい。
私はこの世界で産まれて改めて。否、初めてそれを知ったのだった。