アリスさん、自分の死を知る
微睡むような心地の良い感覚の中、ぼんやりと覚醒していく意識を少し気鬱に思いながら、私はゆっくりと眼を開けた。
光に慣れていない為にぼやける視界は、それでも不自然な程に白く、眩しい。
「何処だろ……ここ……」
気怠い身体を起こして辺りを見回すが、視界は全くもって変化無い。
360度見回してみても真っ白。
急速に覚醒していく意識の中、これはもしかすると目が見えなくなってしまったのではないかという不安に駆られる。
何せ視界が白以外の色を映さないのだから。
どうしよう……。
そんな焦りと共に横たわっていた身体を起こそうとすると、裸の自分の身体が目に入った。
17歳という年齢の割に身長が低く凹凸の乏しい身体。体毛の薄い肌に、華奢な手足。
所々にコンプレックスが見え隠れする、見慣れた自分の身体である。
何故全裸なのかは分からないが、どうやら盲目になった訳では無いようだと分かり私は一つ息を付いた。
否、落ち着いているわけにはいかない。
この真っ白だとしか形容出来ない空間に、JKが一人全裸で寝ているという状況。
客観的に見ても主観的に見ても、多方向からの危険な香りがプンプン漂ってくるシチュエーションである。
私はこの状況でどうするのが正解なのか……。
どうするもこうするも、こんな状況での正しい対処法など学校では教えてくれなかった。
現代教育の杜撰さが伺い知れるというものだ。
三角不等式なんかよりも痴漢への対処法を、有機化合物の立体構造なんかよりも両親の離婚騒動への対処法を教えるべきなのだ。
否、違う。そんな事はどうでも良い。
そもそもどうして私はこんな状況に置かれているのだろうか。
私の記憶では今の今まで自宅で夕食を食べていた筈である。
献立は私の好きな煮込みハンバーグとサラダだ。
お母さんの手料理の中でも一二を争う私のお気に入りメニューである。
それなのに何故こんな所に裸で倒れていなくてはいけないのか。
それ以上にここはいったい何処なのか。
「ふむ……」
一つ、夢であるという可能性。
そう思い立った私は、頬を摘むというごく一般的な確認法をとってみることにした。
これで痛ければ現実なのだ。
テレビドラマとかで見たことがある。
「……痛い」
しかして、抓った頬は痛かった。
どうやら夢では無いらしい。
ではやはり現実の光景なのだろう。
……しかし、この方法は誰が編み出したのだろうか。
痛ければ夢では無いという事は、痛く無ければ夢だと言うことだ。
私は今までの人生で、一度も夢の中で頬を摘んだことなど無い。
そもそも、夢の内容など朝起きて顔を洗う頃には既に覚えていない。
これでは対比が出来ない無い訳である。
もしかすると夢で頬を抓っても痛いかも知れない。
私は宇宙人もお化けも見たことが無いので信じないタチなのだ。
つまり、これが夢なのか現実なのかは分からないという事だ。
いったい何処の誰が夢の中で頬を摘むと痛く無いなんて言い出したのか……。
否、夢の話はどうでもいい。そんな事よりも現状である。
現実的な所でいえば誘拐だろうか?私、裸だし。
理由とか方法とかは置いておくとして、誘拐され全裸で監禁されているという、思いつく限り最悪な状況はそれだろう。
それは勘弁してほしい。本気で漏らす自信がある。
しかし、もしそうならば、見張りとかいたり、拘束とかされていそうなものだが、今すぐにラジオ体操を始められる程に私の身体はフリーダム。
ロープも手錠もガムテープも猿轡も無い。
色々と考えてみても良く分からない状況である。
そして一番良く分からないのはこの白い場所だ。
改めて周りを見回してみるが、床も天井も壁も、あるのか無いのか分からない。
どこまで続いているのか、自分は本当に地面に立っているのかすら分からなくなってくる。
全てが真っ白で、ずっと見ていると頭がおかしくなってきそうである。
こんな謎体験は「奇跡経験、アンビリーバブル」でも聴いた事が無い。貴重体験なんてものじゃない。
さて、どうしたものだろうか……。
とりあえず叫んでみるのはどうだろう?
「ごめんくださーい」
「はいはーい、ごめんね遅れちゃっ……て……。何で裸なの?」
まさか反応があるとは思わなかった私は、真後ろから掛けられた声におっかなびっくり振り返った。
そこにいたのは白いローブを着た男性。歳は二十代くらいだろうか。
白髪の整った顔立ちをしている。
いつの間にそこにいたのか、その人は気不味そうな表情でこちらを見ていた。
何故か。
私が全裸だからである。
「……ああ。私裸だった」
なんてこった……異性に裸を見られてしまった。
なんて事を思うが、こんな良く分からない不思議体験をしてる現状、意外にもさして気になる事では無かった。
別に私、大層な身体してないし。
一応手で身体を隠しながらその男の人に向き合うと、彼は喋喋しい身振りと共に語りだした。
その様は遊園地のアトラクションが始まる前に説明する人のようである。
「いやまあ、気にしないんならいいんだけどね……。さて、有栖川京子ちゃん。突然だけど君は死んだ。そして、ここは魂の管理者である僕の空間、時空と世界の狭間にある場所だ。そして君はこれから輪廻に従って元の世界で新たな生を受けるか、特典チートを貰って違う世界に行くかを選べるよ。因みに僕のオススメは後者だね。というか異世界に行って欲しいからお願いに来たんだ。やったね、これで君もテンプレ異世界モノの主人公だ!」
急に畳み掛けるように難しい事を話されて、よく分からなかったのだが、最初の二言、三言は理解出来た。
有栖川京子は私である。
そして、突然だが私は死んだらしい。本当に突然だ。
一息に喋り終えた男の人はニコニコとした笑顔を貼り付けて私の反応を待っている。
対して私はそれを聴いて、意外にも落ち着いたものであった。
もう少しパニックになるなり、驚いて腰を抜かすなりするかと思ったが、思考は自分でも驚く程に達観したもので、ひと呼吸おいた後には何故かその男の人の言葉を簡単に受け入れていた。
私は死んだのだ。
そう言葉を並べてみれば何とも呆気ないものである。
それ以外にも目の前の男の人は言っていたが、その言葉の意味は良くわからない。
魂の管理者?だとか特典チート?だとか……。
一つ、分かる事があるとすれば、ここは死人がくる場所なのだろうという事。
天国とか地獄とか、閻魔様のいる所とか。
そうであるならば、この良くわからない白い場所も納得がいくような気がする。こんなに良くわからない場所なのだから。
死んだら三途の川じゃ無かったのか……。
「……因みに死因は」
「えーっと……お風呂で転んで頭を打ったみたいだね。ああ、だから裸なんだ」
「え……そういう……」
何て事だ……。
バカみたいな死因だ。
いや、それよりも死んだ時裸だったから死後も裸だというのは不平等だ。
やり直しを、死に直しを要求したい。
しかしそれを聴くと、何故だか急に死んだ実感が湧いてくるので不思議だ。
……否、死んだ実感って何だ。
そうではなく。お風呂場で転んで死ぬなんて、何とも私らしいでは無いか。
お父さんお母さん。先に逝く親不幸をお許し下さい……。
生まれて17年、なんと短い人生であった事か。
高校生になっても彼氏は出来ず、仲のいい友人など数える程もいない。
唯一隣ん家のみっちゃんは親友だと思っているけど、他に特別仲の良い人はいない。人付き合いが苦手で、普段言葉数が少ないせいで中学、高校とクラスでは浮いていたのだ。
クラスメイトとも挨拶程度の言葉しか話さないし、私が特に言い返さないのをいい事に、皆直ぐにコンプレックスである小さい身長をからかってくる。
やれ小さいだの、触ると折れそうだの、体が弱そうだのと……。
体育の授業でも運動が苦手な私を見てニヤニヤと皆笑ってたし。きっと嫌われてたのだろう。
……あれ……もしかして、イジメられてたのだろうか?
ああ……なんかちょっと涙出てきた。
「え……ちょ、何泣いてんの!?ほ、ほら、大丈夫だよ。お風呂場で転けるなんてよくある事じゃん!世の中もっとバカみたいな死に方してる人も沢山いるから元気出しなって!」
「いえ、お気になさらず……」
男の人が慌てて私を慰めるが、そうでは無いのだ。
それにもっとマシな言い方は無いのか。
考えてみればこの男の人も謎である。
ここが死後の世界だと言うことは、この人は神様か何かなのだろうか。
少なくとも仏様という見た目はしてない。洋風な感じである。
先程、輪廻がどうとか、違う世界とか言っていた事を鑑みるに、ずばり、この男の人は死んだ人のその後を案内する、閻魔様的なポジションの人だと言うことだろう。
これから私はきっと、舌を引っこ抜かれたりするのだ。
私の罪は幾つだろうか?
そんなに悪い事はしてきていないと思うけど……。
「私は……地獄ですか?天国ですか?」
「……ん、ん〜??」
天国に行けるといいな。などと考えながら意を決して尋ねてみれば、男の人は何とも不思議そうな顔で首を傾げた。
「えっ……と。僕の話聴いてた?剣と魔法のテンプレ異世界にチートを持って行けるんだけど……」
剣と……魔法?
異世界にチートを持って行ける?
何を言っているのだろうかこの人は。
「……はあ」
「冒険者になって超高ランクの魔物を無双しまくったり、異種族の美少女美男子に生まれ変われたり、貴族になったり、奴隷ハーレム作ったり。気に入った国を内政チートで大陸最強の国にしたり、現代知識チートで経済掻き回したり……」
「ふむ……なる、ほど?」
……駄目だ。1割も言ってる意味がわからない。
これはあれか?
信心が足りないのか?
確かに「神社は神様でお寺は仏様」程度の知識しか持ち合わせて無いが、しかし今時のJKなんてそんなものではなかろうか。
専門用語で話されても難しい事は分からない。
こんな時にスマホがあれば簡単に意味を検索出来るのに……。
しかしそんな事よりも、結局私は天国で死んだお婆ちゃんと再会出来るのかが気になる。
なんて考えながら私が首を捻っていると、男の人が何故か興奮気味に詰め寄ってきた。
「え!?……もしかして知らない!?異世界とか、そういうお約束とかテンプレとか、全然知らない感じ!?」
「何を言ってるのか良くわからないんですが……顔が近いです……」