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事件の後処理にあらかたのめどがついて城に帰ってきたのは夕暮れに近い時間だった。
部屋へと戻ってきたリベルトは事件の収束についてもそうだが、アーリアとどう仲直りをしようかと思い悩んでいた。
まさか自分がこんなことに煩わされるとは思ってもみなかった。自分の妻となる女性と心を通わせる予定など、今までのリベルトにはなかったからだ。
けれどリベルトはアーリアを愛してしまった。王家同士の繋がりも大事だが、それ以上に彼女の心が欲しい。
「それで、リベルト殿下はこのあとどうするんだ?」
「兵士は偽物だった。トレビドーナの兵士は品行方正に努めている。またどこかの誰かが我が国の兵士に成りすますかもしれない。だから兵士たちには身分証を常に持ち歩くよう徹底する」
「いや、そっちじゃなくて。俺が言いたいのはアーリア姫とのこと」
「ああそれか」
リベルトはそこで言葉を区切った。
正直、謝るのは何か違うと感じている。リベルトは彼女に対して酷いことをしたわけではない。ただ、事実を指摘しただけだ。
アーリアの、魔法に対する姿勢があまりにふざけていたから怒った。
というようなことを言い訳すればフィルミオはお手上げとばかりに本当に両手を上にあげた。
「いやあ、お堅いねえ殿下は」
「なんだと」
「こういうときは男から謝っておくものだって」
「俺は悪くない」
「これだから恋愛経験なしの堅物軍人は嫌だね」
「不敬罪で牢屋に入れてやろうか」
フィルミオの恋愛経験なしというリベルトへの評価に対して目をすがめた。
「うわ、怖っ。図星を指されたからって幼稚だぞ。わかった。降参。これ以降恋愛経験なしって言いません」
「いま言っただろうが」
「とにかく、だ。心にしこりを抱えているってことは殿下だって少しは言い過ぎたって自覚があるんだろう。そういうときは優しく謝り倒して、ついでに濃厚な接吻の一つでもしておくのが吉だって」
フィルミオはしたり顔でリベルトに持論を展開する。
「それはおまえの経験談か。妹相手に接吻だと?」
「いや、俺だって恋人くらいいるからね。グアヴァーレの娼館に三人くらいは!」
そっちか。それは恋人に入るのか。
「うわ、傷つくわ~、その目つき」
娼婦など恋人の内には入らないだろうという視線を向ければフィルミオは大げさに床に両ひざをつき両手で顔を覆った。
なんだか面倒になってきた。この愉快な幼馴染みの相手をすることが。
「あいつにも、もっと必死になってほしかった。俺と同じくらいに」
「じゃないと呪いが解けないもんな」
フィルミオにはコゼント王ビアージョルトからもたらされた海の王の魔法を解く鍵を伝えてある。
「それをそのままアーリア姫に伝えるのは駄目なのか?」
フィルミオは立ち上がる。
「この前も言っただろう。こういう気持ちは誰かに強制されたのでは意味がない、と」
「そうでした」
だからアーリアにも魔法についての本質は告げなかった。そのため、言葉を選んで話したらついきつい言い回しになってしまった。
リベルトはビアージョルトに言われた。
アーリアには告げないでほしいと。彼女に中途半端に期待を持たせたのは自分の至らなさのせいだと。確かに彼の言葉のせいでアーリアは魔法について楽観的だ。
その彼女が心から魔法に打ち勝つ、魔法なんかに負けないと強い意思を持つことができるようになるにはまだ時間を要するのかもしれない。
「とにかく、魔法を解くにも二人は同じ方向を向いてないといけないんだろう。だったら殿下の方から折れた方が俺はいいと思う」
とにかく女って生き物は怒らせると怖いんだ、根に持つし、どうでもいいことをずっと覚えているんだぞ、とフィルミオは親切に忠告する。
それはおまえの妹の話か、とリベルトは突っ込みたい衝動に駆られたが、勢いよく扉が開かれるのが先だった。
「リベルト殿下! 妹はこちらにいますか?」
前置きもなく入ってきたのはイルファーカスだ。彼にしては珍しくあわただしい。
「アーリア? いや、今日は一度も顔を会わせていない」
リベルトは事態が飲み込めないが、とりあえず事実を述べる。
「そ、……うですか」
イルファーカスはざっと室内を見渡し、それだけ言って踵を返した。
用件だけ言ってそのまま退室したイルファーカスをリベルトはすぐに追いかけて並走する。
「アーリアに何かあったのか?」
嫌な予感がする。
「誰も彼女を見ていないというのです。最後にアーリアと会話をしたのはテオドール殿下。殿下曰く、別れた後妹は書物庫に行くと。しかし……」
会話の続きを聞くまでもない。
アーリアは忽然と姿を消したのだ。
「今の今まで誰も気が付かなかったのか」
「妹は元気な時は割と自由に城の奥については歩き回っていたんです。外出禁止のせめてもの償いですよ」
「しかし!」
アーリアを狙う集団がいると知っている身としてはそれは暢気すぎるのではないか。
リベルトの言いたいことを正確に察したイルファーカスはちらりとこちらに目を剥けた。
「それでも、なんでも駄目だといえばあの子は反発します。家出でもされたらかなわないですからね。だからそれとなく見張りはつけているんですよ。けれど……」
「今日はごたごたしていた……そういうことか」
もしかしたら城下での揉め事は初めからアーリアを連れ出すための陽動だったのかもしれない。
「殿下!」
イルファーカスの部下が正面からやってきて、彼に何かを耳打ちする。
「最悪だ」
イルファーカスはぼそりとつぶやいた。
「何がだ」
「マリアナの姿も見えません」
彼の言葉にリベルトの背中に嫌な汗が伝う。
「彼女の身元は確か、なのだろう?」
「ええそうです。けれど、殿下に指摘を受けて今アーリア付きの侍女たちの身元を再度洗いなおしていたところなんですよ。その結果を待つまでもない」
イルファーカスの部下からもたらされたのはマリアナの姿が見えないこと、そして城下へ向かう荷馬車にマリアナと同じ背丈の少女が一緒に同乗していたということだった。
「今すぐに追いかけるぞ」
「けれど、どこを探すのですか?」
やみくもに探しても仕方ない。戦力が分散される、イルファーカスの主張することも十分わかる。
けれどリベルトは焦りを募らせる。
もしも、マリアナが海神狂とつながっているのなら。彼らに人の法律や理屈は通じない。
リベルトは自分だけでも城下に向かおうと厩へ足を急がせる。こんなところで報告を待つ気になどなれない。
王太子失格だな、と心の中で自嘲していると黒い物体が目の前に現れた。
「ナァァアン」
アーリアにやたらと懐いている猫のナッさんだ。
「おまえは一緒じゃなかったのか」
そう言うと黒猫は項垂れたように頭を下げた。
「ナア」
まるで言い訳できません、と言いたげだ。
この猫は時々人間の言葉が分かるような態度を取る。いよいよ自分も魔女や魔法と言う存在に毒されてきたらしい。
「邪魔だ、どけ」
猫の相手をする暇などなく、リベルトは走り出す。
驚いたことにナッさんはリベルトの横を同じように走る。
「ナアン」
ナッさんがリベルトを先導するように前に躍り出る。まるでついてこいと言いたげだ。
まさか、な。
しかしこいつは自称魔女のビルヒニアの使い魔だ。あくまで本人談だが。
「おまえ、アーリアの居場所がわかるのか?」
思わずそんなことを口走っていた。
「ナーン」
そうだといいたげな猫の瞳にリベルトは決意を固めた。




