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◇◇◇
二日間人魚の姿で過ごしたのち。
人間の足へと戻ったアーリアはお城の長廊下へと足を向けていた。
歴代のコゼント王家の人間の肖像画が飾られた回廊は直射日光に当たらないよう、重厚なカーテンで窓が覆われているため、昼間でも薄暗い。
アーリアはお供にナッさんを連れて一人ゆっくりと歴代の王族の絵画を眺める。
お目当ての夫婦は大きな額に飾られていた。
アーリアと同じ青銀髪に深い海色の瞳を持った美しい女性と、金色の髪をした青年の絵画だ。青年は妻とした女性の腰に腕をまわしている。二人とも互いに寄り添った仲睦まじい様子で描かれた絵画。
アーリアのご先祖様で人魚姫。
アーリアは立ち止まって大昔を生きた人魚姫と王子を見つめる。
人間の足を手に入れた人魚姫。
人魚は魔法を使うという。人魚から人間に変化をし、恋しい人の王子の元へと身を寄せた。激怒した父である海の王は娘に魔法をかけた。強制的に人魚へと変化させる魔法。
彼女はそれを打ち破った。
いま、彼女が生きていたら。
アーリアはあり得ないことを考えずにはいられない。
どうやって魔法を打ち破ったの。
あなたは何を思ったの。
聞きたいことはたくさんある。
違う種族の、それも王子の元へ降嫁した海の王の娘。
リベルトから突き付けられた現実。
まさか、彼から言われるとは思ってもみなかった。アーリアの王子様はなかなかに厳しい人のようだ。まあ、出会いの頃からなんとなくわかってはいたけれど。
けれど、見ないふりをしていたのは自分自身。
ずっと怖かった。
人魚返りの魔法と向き合うのが。
だって、向き合って魔法を解こうと頑張って。それでも方法が見つからなかったらどうすればいいのか。絶望の未来なんて見たくない。
王女としての責務を果たせない罪悪感と悔しさ。それを差し引いても、最後に待ち受ける絶望を受け止めるのが怖かった。
けれど。それでは駄目だとリベルトは言った。
「ナァン」
ナッさんが小さく鳴いた。
「ごめんねナッさん。飽きちゃったかな」
「ナア」
腕の中の猫はふわりとあくびをした。
腕の中の体温が心地よい。ナッさんは賢いと思う。ここは本当は動物禁止なのよ、あなたがわたしについてきたいのならわたしの腕の中から抜け出したらだめよと言ったら小さく鳴いて今までずっとアーリアの腕の中でおとなしくしている。
アーリアは隣の絵に視線を移す。
全身の絵画よりももう少し年を重ねた人魚姫と王子の上半身の絵。二人は年をとっても、ずっとずっと仲が良かったと伝えられている。
子宝にめぐまれ、アーリアの代までその血は続いている。海の王の心配など吹き飛ばすかのように幸せな家庭を築いたのだ。
アーリアはそのあと少しぼんやりと夫婦の絵姿を眺めて、外へと出た。
太陽の光に目を細める。ずっと光の届かない場所にいたからいつもよりもまぶしく感じる。
大陸の南に位置するコゼントは秋と言ってもまだ火の光は強さを保っている。とはいえ、冬になると海からの風が強くなり、それなりに気温は下がるのだ。
アーリアはそのまま図書室へと向かうことにした。まずは自分のできる範囲で人魚返りについて調べてみることにした。
本で足りないことがあるなら、城下へと降りて人に聞くという手段もある。人魚返りの人間はアーリアだけではないはずだ。魔法が解けた人がいるはず。
今まで外に出してくれなかった両親と兄だが、リベルトに頼めばなんとかしてくれるかもしれない。
その前に仲直りか。と考えて心の中が重たくなる。
「あれ、アーリア姫?」
図書室への近道を歩いていると声をかけられた。
四角い中庭を取り囲むように設えられた外回廊の反対側に立っていたのはテオドールだ。
「テオドール殿下」
二人は中庭を挟んで対峙する。
そういえば、コゼントについてからは彼も多忙でゆっくりと会っている暇がなかった。ただでさえ彼からの告白を蹴ってリベルトを選んだ形となるアーリアは、彼と面と向かって話すのは決まずい。
そんなこともあり、会食の席などで同席することがあってもつい彼の視線から逃れるように誰かの陰に隠れていた。
「こんにちは。なんだか、ずいぶんとひさしぶりな……気がするね」
テオドールの方からほがらかに話しかけてきた。
アーリアは目を瞬いた。
彼はいつもよりも流暢に言葉を話している。
立ち止まったままでいるとテオドールがえいっと中庭に降りて、アーリアのいるほうへ向かってきた。アーリアはそのまま待つ形となる。
テオドールは中庭から外回廊に足を踏み入れ、二人は向かい合う。
「あ……、その。えっと」
今度はアーリアの方が言葉に詰まった。
「今日は一人でお散歩?」
「ナアン」
ナッさんが抗議するように鳴いた。
「ごめん。ナッさんも一緒だね」
テオドールは困ったように笑い、アーリアに少し話がしたいんだけどいいかな、と問うてきた。
◇◇◇
二人は回廊を囲む形で作られた正方形の中庭に降り、片隅にあるベンチに座った。
ちょうどかんきつ類の木の下設えられており、木陰になっている。
「兄上と、喧嘩でもした?」
テオドールの言葉にアーリアは顔をあげた。
アーリアの顔の動きで色々と悟ったらしい。テオドールは柔和な瞳をさらに困ったように細くした。
「やっぱり。今日、その……。兄上の様子がちょっとぴりぴり、していたから」
弟というものは兄の小さな変化にもすぐに気が付くようだ。アーリアだってイルファーカスの機嫌の良し悪しには早く気が付く。
「ええと……わたしが怒らせちゃったんです」
アーリアは素直に白状した。
自分が掛けられた魔法について、今一つ真剣に向き合おうとしないアーリアの態度に彼は怒った。
そういうことをつらつらと横に座るテオドールに話した。
話をすべて聞き終えたテオドールは何も言わずにじっとしている。
そしてゆっくりと口を開いた。
「ええと……その……。アーリア姫って、僕の目から見ても……その」
テオドールは言いよどむ。
アーリアは辛抱強く待つ。
「自分のかけられた魔法について、あきらめているところがあるなあって思っていたというか。努力の方向性が、魔法にかかっていることが前提だったというか」
テオドールからも同じように指摘をされてアーリアの胸が波打つ。
「だって、それは……」
アーリアが少し反論しようとすると、テオドールは慌てて弁解する。
「わかっているつもりだよ。代々続く魔法の解き方なんて、早々にわかるものでもないことくらい……ただ……その」
「その?」
「兄上は、自分と同じ温度になってもらいたかったんじゃないかな」
「温度?」
よくわからなくてアーリアはテオドールの言葉を繰り返す。
テオドールはぎこちなく頷いた。
「アーリア姫にも、兄上が感じるのと同じくらいの気持ちを持ってほしかった……ってことじゃないかと思うんだ」
「リベルト殿下と同じ……」
「僕はね、小さいころから色々と不器用で、要領がよくなかったんだ。本を読むのはすきだったけれど、体を動かすのが苦手で。ついでに口下手で……」
だから、とテオドールはゆっくりと続ける。
六歳年上の完璧な兄。兄は王太子に生まれるべくして生まれたような子供だった。
勉強もでき、体を動かすことも好き。もちろん県の腕前だっためきめきと上達をした。人前で話すことも苦にならない。
それに比べておまえは、とテオドールは母から何度も言われて育った。
勉強だけできても何にもならぬ、と。
「僕もね……あきらめていたんだ。ずっと。よく兄上には怒られてきたよ」
「テオドール様が?」
「……情けない話だけどね。兄上はきっと僕のあきらめをわかっていたんだ。だから、歯がゆかったんだろうね。あきらめて立ち止まっている僕を見ていて」
テオドールはいつのころからかあきらめた。将軍直々に剣の稽古をつけられてもこんなの無理だと涙を浮かべる始末。
人前にでることも苦手。
父から従属国から迎える遊学者の面倒を見ろと言われても手探りの状態。年下のビルヒニアに翻弄されっぱなし。
本を読むことは好きだから、将来は文官のお手伝いでもできたらいいなあくらいにしか考えていなかった。
「だから、僕が、その。こういうことに気が付いたのは……本当につい最近のことなんだ。お恥ずかしい話だけれど」
テオドールはアーリアの顔を見て、それから照れくさそうに笑った。




