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◇◇◇
「ねえお兄様。最近のわたし何かが変わったと思わない?」
明るい声を出すアーリアは全身から幸せオーラを発している。
イルファーカスはこれまで見たことがないくらい明るい表情のアーリアにくすりと笑みを漏らした。
「うーん。何か変えたのかい?」
イルファーカスはじっと妹を観察する。
頭から足の先まで一通り眺めてみたが、あいにくと変わったところは見当たらない。髪型は、いつものように左右の髪を後ろに持っていきりぼんで結んでいる。髪の長さは変わらないように思える。
「むううう」
兄の答えにアーリアは不満げだ。
「あ、もしかして枝毛を切ったとか?」
「違うもん!」
アーリアは悔しがる。
兄妹仲がいいとは言われているが、十代も後半に差し掛かったアーリアの複雑な心理を正確に読み取れ、なんていうお題はかなり難易度が高い。
「じゃあ新しいドレスとか?」
「それはそうだけど、それも違うの」
お手上げ、とイルファーカスは文字通り両手を上に掲げた。
アーリアは両手を腰に添える。
「んもう。お兄様ったら。ねえ、わたしの魔法解けたと思わない?」
妹の爆弾発言にイルファーカスは目を見開く。
「なんだって?」
「だって、もうずいぶんと人魚の姿になっていないわ」
アーリアがコゼント城に帰ってきてからかれこれ二週間ほどが経過していた。
イルファーカスは思い返す。たしかに、彼女が帰ってきてから人魚返りはしていない。
「本当に? でも、一体どうして」
兄妹水入らずのひと時。
イルファーカスは驚きのあまりいつもよりも大きな声を出した。
「それはもう、きまっているじゃない。愛の力よ」
アーリアは得意げに胸を逸らした。
「ええと……」
イルファーカスには訳が分からない。とにかく妹の言い分を全部聞く事が先決のようだ。イルファーカスはアーリアに先を促す。
「わたしね、家に帰ってきて昔読んでいた本とかつい懐かしてくて手に取ったの。ほら、トレビドーナへのお嫁入りの支度とかのついでに荷物の整理もしていたじゃない。それで、懐かしさで昔読んでもらった童話の本をめくったら、色々なお話がでてきて。それで、その中にね。王子様の愛の口付けでお姫様の呪いが解けましたっていうお話があったから、わたしピンと来たのよ。それで、リベルト殿下にお願いしたの……って、ここまでよ、お兄様にお話しできるのは。これからさきは聞いたらだめぇぇ」
アーリアは説明をしていくうちに徐々に赤くなって、最後は赤くした顔を隠すように手で覆った。
イルファーカスもなんとなく決まずくなって、「え、ああ」とか「うん」とか生返事をした。
そうか、妹とリベルト殿下はそういう関係なのかとか頭の片隅で思い浮かべてしまい慌てて首を横に振って自分が今考えた事柄を追い払う。
さすがに妹の色恋について深く考える趣味はない。
話を要約すると、昔読んだ童話に倣って恋人から愛の口づけをもらった。だから自分にかけられた厄介な魔法も解けているはずだと、そういうことのようだ。
「ナァァン」
いつの間にか二人の足元には猫がやってきていた。
態度の大きな猫は、トレビドーナでできたアーリアの友人の飼い猫だという。アーリアから聞かされる遊学生活の中には何人かの女の子の名前が登場する。同じ遊学仲間でもあるビルヒニア王女とは円滑な友好関係を築いているようで兄としても一安心だ。
「アーリア、きみの言いたいことはわかったけれど。それっておとぎ話の中の話だろう」
イルファーカスは一応指摘をしておく。
「あら、おとぎ話だって馬鹿にはできないわよ。それに、わたしたちのご先祖様だって愛の力で海の王さまの魔法を打ち破ったじゃない」
「あれはなんていうか、物語めいたオチというか」
「オチとか言わないでちょうだい」
身もふたもない解説にアーリアが拒絶反応を示す。
こういうもっともな指摘をするところがイルファーカスの駄目なところで、先日も殿下はデリカシーに欠けています、と某貴族の令嬢に言われた気がする。
「わたしだって真剣なのよ」
真剣という言葉にイルファーカスは首を横に傾むけた。彼の記憶が正しければ、アーリアは小さいころから魔法についてはかなり楽観的だったからだ。
そういえば今日はリベルトが父国王から呼び出されていたな、とイルファーカスは思い浮かべた。
見定めたいと、リベルトとの個人的な面会を避けていた国王ビアージョルトだが、ついに観念したのか、彼とさしで話す気になったのだ。
「お兄様ったらひどいわ。わたしの言うこと信じてない」
すぐ横では妹の抗議が続いている。
「ああ、ごめんごめん」
イルファーカスはぽんぽんとアーリアの頭を撫でた。
◇◇◇
リベルトはコゼント国王の個人的な部屋に呼ばれていた。
侍従は抜きにした完全な二人きり。
二人は向かい合って椅子に座っている。
目の前のテーブルの上に出されたお茶に手を付けるわけでもなく、リベルトは相手の出方を窺っていた。
目の前の王とは、もちろんコゼント入りしてから何度か口を交わした。政治的なことやアーリアとの今後のことなどについてだ。
「今日は、一人の親としてあなたと話をさせてもらおうと思う」
先に口を開いたのはビアージョルト王のほうだった。
人魚の血が流れている一目でわかる銀色の髪は、流れた月日のせいなのか少し黒ずんでいる。年相応の皺が顔に刻まれている。
リベルトは何か言おうとして、口がからからに乾いていることに気が付いた。
王族として他国の国王相手でも緊張するなんてことはないのに、と思いそうではないと心の中で頭を振る。
目の前の男が恋人の父親だから緊張しているのだ。
「私もずっとあなたと話をしたいと思っていました。単刀直入にお聞きします。アーリア、いやアウレリア王女の魔法を解く方法をあなたはご存じなのですか? 彼女が以前言っていました」
リベルトは身を乗り出した。
公務の合間にリベルトはコゼント城の書物室へ案内してもらい文献を漁った。
しかし、まだ有力な手掛かりは得られていない。だったら人魚返りの人間を探そうとフィルミオに命じてスキアの街の人間で該当者を探させているが、こちらも成果は上がっていない。
ビアージョルト王は黙ったままだ。
リベルトは焦っていた。
このままだとアーリアを連れて帰ることができないかもしれない。リベルトの父は、アーリアとトレビドーナの王家の人間の間に子供ができることを望んでいる。
そこに価値を見出しているのに、魔法にかかったままだと子を成すことができないという。
「我が国は貴国の申し出の通り、王女アウレリアを差し出す所存だ。王女の身の振り方についてはアゼミルダやマリートも口出しを始めてきてな。コゼントと縁続きになって貴国との関係に釘を打ち込みたいらしい」
コゼントは強国三国の緩衝する役目も担う。ずっと三国とつかず離れずの距離を保ってきたコゼントがトレビドーナの従属国の道を選んだのは九年前にあたり一帯を襲った大凶作が原因だった。
長年領土拡大でつばぜり合いを行ってきたトレビドーナとアゼミルダとマリートは仲が悪い。二か国はトレビドーナがコゼントを従属国としたことを面白くなく思っている。
ビアージョルトはそこで一度咳払いをした。
「あなたは、アウレリアを愛しておられるのか。政略結婚の相手ではなく一人の女性として」
今の言葉は王としての言葉ではなく、父親としての想いなのだろう。
「もちろん」
リベルトは即答した。
「だからこそ呪いを解きたい」
「呪いか……」
ビアージョルトは自嘲した。
「ええ、私からみたら立派な呪いです。アーリアは、彼女は昔からその理不尽な呪いのせいで王女としての誇りを砕かれてきたのではないですか。私は彼女を解放したい」
アーリアが時折見せる寂しそうな、どこかあきらめたような顔。
そっと目を伏せるアーリアの心の中を占める罪悪感から彼女を解き放ちたい。
「海の王の魔法など、怖くないということか」
「怖いというよりも、ぶっ壊してやりたい」
リベルトはこぶしを強く握った。
魔法があるから彼女は理不尽に狙われる。
自由に外を歩くこともできない。
いつ人魚返りをするかという不安にさいなまれて暮らすことになる。
アーリアを自由にしてあげたかった。
「そうか。その言葉が聞けて私は満足だ。アーリアの、いや、海の王の魔法を解く鍵は……互いを想う心の強さ」
「想い合う心?」
「ええ。あなたは海の王と彼の娘の話を調べましたか? 魔法は真実あの話の通りに解くことができる。海の王は、人間が自分の娘を真実愛することなどない、と思い娘に魔法をかけた。しかし、二人は深く愛し合った。魔法は王の想いから端を発している。だから、我が先祖の王子は王の娘を深く愛することで魔法を打ち破った」
「それが、アーリアたちにも適用される、と?」
ビアージョルトは頷いた。
リベルトはにわかには信じられなかった。
しかし、思い出すこともあった。
コールドリスの森にすむ魔女フレヴィーは以前言っていた。彼らの魔法には法則がある。魔法の法則を見つけることができれば魔法を破ることはできるのさ、と。
 




