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アーリアのことをどう思っているか。
そう弟は問いただしてきた。
彼女に好きな男がいる。それを知らされたリベルトは自分の足元が大きく崩れて奈落の落とし穴が生まれたような錯覚に陥った。
自分が選ばれる立場など、なんて脆いものなのだろう。
胸が痛かった。
王族の婚姻に個人の感情など必要ないなどよく言えたなと思った。
リベルトはその時初めて、自分がアーリアに心惹かれていることを認めた。
リベルトの心情など気にも留めない弟はその後一方的に言いたいことだけを言って部屋を出て行ってしまった。
彼の言葉を頭の中で反芻して、リベルトはぎくりとした。
彼女が言ったという言葉。
それはあのときの自分の言葉と似ていたからだ。
もしも、彼女の想い人が自分だったら。
いや、そんな都合のいいことが起こるわけもない。日に何度も相反する考えが頭の中に渦巻く。
「おまえは……好きな男を夫に選ぶのか?」
ついそんなことを口にしていた。
アーリアがリベルトの方に顔を向けた。
こちらに向けるまなざしの中に、逡巡が見てとれた。
アーリアの視線は結局迷ったようにリベルトを何度か眺めて、それから下へ向けられた。
「おまえは、テオドールに……好きな男がいると言ったんだってな。どんな……男なんだ?」
リベルトはつい、その先を促すようなことを言う。どうしてだか止めることができない。
アーリアはリベルトを見上げた。その眉が苦し気に歪んでいる。
「テオドール殿下のおしゃべり……」
ぽつりとつぶやかれたのはここにはいないテオドールへの苦情。
「あいつを責めるな。俺が全面的に悪い」
「わたし……、片思いのまま結婚なんてしたくない……。わたしだけが好きなのに、彼は……その人は、結婚は義務だって言うの。だから、わたし……だれも選びたくない。だって、わたしだけが結婚出来てうれしいのに、相手が、義務感だけでわたしを妻にしてくれるのなんて……そんなの、辛すぎる」
アーリアはゆっくりと言葉を紡いだ。
時折言葉が詰まるのは、そこに乗せている感情が苦いものだからだろうか。喘ぐように先を続けた。
「おまえの……想い人はひどい奴だな」
「……ほんとうよ。最初は怖い人だなって思ったのよ。でも、あとから優しい人だなってわかったの」
最後の柔らかな笑顔に、リベルトは嫉妬する。自分から聞き出しておいて、誰かもわからない、彼女の口にする好きな男に激しい怒りを燃やした。
「けど、おまえのことなんとも思っていないんだろう、その男は」
アーリアは寂し気に口元を緩めた。切な気なその表情にリベルトはぞくりとする。
リベルトは動揺を隠すように言葉を連ねる。
否、言葉が勝手に出てきた。
「だったら、……俺を選んでくれないか? 俺は……いつの間にか、おまえのことを好きになっていた。だから、トレビドーナの王子の中から伴侶を選ばないといけないのなら……俺を選んでほしい」
リベルトは真摯に伝えた。
結局、言わずにはいられなかった。
アーリアはリベルトの言葉に目を見開いた。大きな瞳が零れ落ちそうなほどだ。
「え……」
「おまえのことが好きなんだ、アーリア」
リベルトは今度は簡潔に伝えた。
アーリアは大きな瞳をさらに大きく見開いている。
「ばか……最初から……あなたのことよ……ひどい人ね」
やがて漏れ出たのはそんな言葉。
言葉と一緒にアーリアの瞳から大粒の涙が一筋頬を伝った。
その涙が、アーリアの頬を伝う瞬間丸い塊へと変化する。涙はカランと音を立てて床へ落ちる。何度も乾いた音があたりに響いた。
「半信半疑だった。おまえの好きなやつの言った言葉をテオから聞かされて。聞かずにはいられなかった」
「あなた……ひどいのよ。あんなこと言われたら、わたし……あなたを選ぶことなんてできないじゃない」
アーリアはまだしゃくりをあげている。
リベルトはアーリアの座る隣へ移動した。
馬車の速度がそこまで早くなくてよかった。
「弟に先を越されて、それで初めて自分の気持ちに気が付いた。本当、情けないな」
リベルトは床に落ちた白い玉を持ち上げた。
それは、暗がりの中でも不思議と光沢を放つ、真珠玉だった。
「おまえ、泣くと涙が真珠になるんだな。人魚姫らしいな」
「こ、こんなの……初めてよ」
アーリアは驚いたように、ひっく、としゃっくりをする。
「わ、わたし……おか、おかしくなっちゃったんだ」
アーリアがぽろぽろと涙を流す。
アーリアは自分の体の変化に驚いたようで、子供のように声を出して泣いた。
「俺のための涙だから真珠になったって、うぬぼれてもいいか?」
リベルトはアーリアの頭を引き寄せた。
彼女を宥めるために、自身の胸に彼女の顔を押しつける。髪の毛に指をうずめる。細くてやわらかなくせ毛の感触。
きっともうずっとリベルトはアーリアに触れたくてたまらなかった。
「……っく……あなた、意味わからないのよ」
「大丈夫。俺がちゃんと魔法を解いてやる。だから、もっとおまえも前向きになれ。魔法が解けるって信じろ」
「……解けるのかな?」
アーリアは顔を持ち上げた。
「ああ。言霊って案外大事なんだぞ」
リベルトはアーリアの目元をぬぐってやった。
アーリアはされるがまま、リベルトにゆだねている。
「だから、ちゃんとおまえから聞かせてくれ」
「なにを?」
「俺のこと、好きか?」
アーリアは無言になる。
暗がりで顔色が分からないのが残念だった。と思うのはリベルトが浮かれているからだろうか。
アーリアは眉根を寄せる。
「……好き」
小さな声は、馬車の音にかき消されることなくリベルトの耳に届いた。
◇◇◇
もう何年も会えることもないという心構えの元送り出した妹が数か月も経たないうちに帰国するという。
それも、トレビドーナの王子二人も一緒に、だ。ついでに、トレビドーナの王子二人の内どちらかがアーリアの夫になると書簡には書いてあった。
現状コゼントを取り巻く環境と、王の娘であるアーリア。この二つは切っても切り離せないもので、トレビドーナがそんなことを提案してくるのは至極理にかなっていることだった。
そんなわけでアーリアの兄であるイルファーカスはアーリアの政略結婚に驚くことはなかった。
心の中では人魚返りはどうするんだろう、魔法解けるかな、とは思っていたけれど。
トレビドーナの王太子とは今回の訪れに伴い文のやり取りをしていた。彼はアーリアの人魚返りを存じており、(やはりというか、ばれたのだ)コゼント国内でのアーリアの安全について思うところがあったようで本隊とは別行動をする旨連絡を寄越してきた。
イルファーカスの目の前に佇む妹姫は記憶にある笑顔を彼に見せている。
「お兄様、久しぶりね」
王子二人とアーリアは数日前にはコゼント城に到着していたけれど、本隊が到着を待ってイルファーカスと対面をすることになった。対外的には昨日トレビドーナから王太子一行が到着をしたことになっているからだ。




