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「あなたは……結婚相手がある日突然決まっても、それでいいの?」
アーリアはつい勢いで聞いてしまった。
本当は一番気になっていたことだった。
あの晩餐会の席で、フレミオ王から提案をされたとき。アーリアはリベルトが王の提案に何を思ったのかが気になった。
なのに彼は自分は蚊帳の外、みたいに何食わぬ顔をして食事をしていたし、口を挟むこともなかった。
晩餐から三日たって、あの日以来初めて会ったリベルトは今日も平常運転だ。
「それが王太子に生まれた者の義務だろう。あてがわれた相手と婚姻を交わして、子を成す。それが務めで義務だ」
リベルトははっきり言い切った。
よどみのない口調だった。
自分の結婚相手は誰でもいい、ともとれる発言。
アーリアは心の奥にとげがささったかのような痛みを覚えた。
「あなた、結婚相手は誰でもいいっていうわけ? わたしのお父様とお母様はとても仲が良かったわ。二人とも、よく笑い合っていた……」
「俺だって妻になった女性とはそれなりに信頼関係を築いていくよう努力するつもりだ」
リベルトが心外だと言わんばかりに反論をした。
アーリアは反射的に尋ねた。
「それって、わたしとはまだ信頼関係が築けていないって、そういうこと?」
「べつにおまえ一人に限定した話じゃない。おまえはまだ誰とも婚約をしていないんだ。不用意な仮定法は使うな」
リベルトの口調が少しきつくなる。
アーリアは立ち上がりざま語気を荒げる。
「ああそう。いいわよ、もう! 今日は色々と教えてくれてありがとう」
中庭に設えてある小さな屋根付きの東屋で二人は話していた。
「ちょっと待て。アーリア!」
リベルトの早口が後ろから聞こえたがアーリアは振り返らずに自室に戻った。ものすごく腹が立っていた。
部屋に戻ったアーリアは寝室の、大きな天蓋付きの寝台に飛び込んで枕を抱えて横になった。
自分でもわからないけれど、とても傷ついていた。
◇◇◇
何がアーリアの機嫌を損ねたのか分からなかった。リベルトの引き留める声に反応することもなく、彼は一人中庭に取り残された。
こっちはこれでも色々と気を使って話をしていたというのに、一体何なのだ。
リベルトは乱暴に頭を掻きむしった。
こっちだって色々と大変なのだ。
具体的に何がと言われればはっきりとは分からないが、アーリアがリベルトの妻になるかもしれない、と理解したとき。
いつの日か自分に向けてくれた太陽のような純真な微笑みを思い出した。
あの笑顔を独り占めすることができるのか。そんな風に考えてしまった。
リベルトはつい先ほどアーリアの機嫌を損ねてしまったから、しばらく彼女は自分に対して笑顔を見せてくれることはないかもしれない。
「ったく、女ってわからねえ」
仕方なくリベルトは戻ることにする。
どうして突然怒ったのか見当もつかない。こちらは客観的に今回の結婚相手選びについての父王の思惑を伝えようと心を砕いたというのに。
リベルトが退出を告げると、見送りとして付添に来たのはマリアナだった。
彼女はアーリア至上主義のようで、とにかく彼女に男が近づくのを嫌っている。
侍女という身分のため、一応王族であるリベルトやテオドールなどには気を使っているが、彼女は自分の背後から立ち上る嫌悪感という感情を隠しきれていない。わりいつもとダダ洩れている。
リベルトの後ろにひっそりと付き従う彼女マリアナの様子をなんとなく気にしながらリベルトは離宮の入口へと歩く。
「そういえば、殿下はご存知でしたでしょうか」
リベルトが去ろうとした頃合いにマリアナが小さな声を出した。
疑問形に、リベルトが振り返る。
マリアナの顔には何の感情も乗っていなかった。アーリアに近づく男はみんな虫だと言わんばかりの目つきでもなく、少し虚ろ気な視線は、リベルトを見ているようで、別の何かを捉えているようでもあった。
「姫様のような海の王の魔法にかかった、半端者の人たちは、子どもを身籠ることはないんですよ。身籠れないんです」
マリアナはうっすらと笑った。
リベルトの目を見て、優越感に浸るように口元を持ち上げる。
「なにを根拠にそんなことを言う」
リベルトは思わず反論した。
「殿下こそ、人魚返りの何をご存じなのです? ああでも、このことは姫様も知りません。王様はお姫様に隠し事をたくさんしているんですよ。でも、このことは本当ですよ。だから、姫様をわたしから取り上げるようなことはしないでください。お願いしますわ殿下」
マリアナは歌うように滑らかに言い、ぺこりと深くお辞儀をした。
自分の用が済んだ彼女はリベルトの言葉を聞く気もなさそうに、その場でくるりと向きを変え離宮の中へと引き換えした。
彼女を追って真実を問いただせばよかったのに、リベルトはそれができなかった。
まるで影を縫い留めれられたかの如く、その場から動くことができなかった。
マリアナの言葉が頭の中で何度も繰り返される。
人魚返りの人間は子を身籠ることができない。半端者。王様の隠し事。
彼女は自分は嘘を言っていないと言う。
リベルトにはそれを確かめるすべがない。
どうして彼女は人魚返りについて詳しいのか。
まだ、何かあるのか。
「殿下。いかがなさいましたか」
微動だにしないリベルトの元に外で待機を指せていた近衛隊の男が遠慮がちに声をかけてきた。
「いや、なんでもない。戻るぞ」
リベルトは歩き出した。




