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「解けるのか? どうやって」
「そこまでは存じません。姫様もコゼントの国王陛下から何度かそのように励まされておいででした」
「国王は解き方をご存じなのか」
フェドナは目を伏せた。
「わたくしには存じ上げかねます」
リベルトは前かがみになり、両肘を膝の上に置いた。
アーリアは人魚返り体質のことをさも当然のように受け止めているが、あの境地に達するまで、おそらく相当の葛藤があっただろう。明るく振舞っているからこそ余計にリベルトは手を尽くしてやりたいと思った。彼女の努力だって垣間見た。
「なにか条件があるのか……」
「魔法の解き方は存じませんが、姫様の人魚返りはどうか口外しないようお願い申し上げます。秘密を知るものは少ないにこしたことはございません」
フェドナは必死の形相で懇願をした。
「もちろんそのつもりだ。テオドールとフィルミオにもかん口令を敷いている」
「ありがとうございます」
フェドナは胸が膝につくくらい深く頭を下げた。
「知られたら大騒ぎになるだろう」
「はい。コゼントでも皆隠します」
「さっきも言っていたな」
フェドナは顎を引いた。
「人魚返りの人間は珍しいので人買いに狙われますから」
人魚はおとぎ話の生き物だ。特に沿岸国以外の、内陸国では。そういうところに人魚返りの子供たちを売ろうとする輩がいるとのことだ。
「物好きもいるんだな」
リベルトは胸が悪くなる思いだった。
人の売買は近隣諸国を含め禁止されている。
「けれど、人買いに攫われたならまだ救いはあります。彼らは商品にたいしてはそれなりに丁重に扱いますから」
愛玩用として連れ去るのだから体を傷つけることもなく、食事もきちんと与えるという。肌つやが悪いと商品としての値が下がるからだろう。
「お前のその言い方だと、他にもなにか脅威があるのか」
「ええ。ある意味彼らから隠すのが一番気を使います。単なる人買いでしたらまだ望みはあります。けれど、彼らは違います」
「彼ら、とは?」
「海神狂と呼ばれる人々です」
「海神狂?」
リベルトは復唱した。
初めて聞く単語だった。
「海の王を狂信的に信じ奉る人々のことを指します。彼らは、海の王が嘆き悲しんでいるのをどうにかしようと、生贄を差し出します」
海神狂の主張するところによると、愛娘を人の王の子供に取られた海の王の悲しみが今の人魚返りの魔法を生んでいる。それは広く知られたことだ。
そして、その嘆きを慰めるために人魚返りの者たちを海に沈めるという。彼らの身をもって海の王を慰めるために。
「沈めるって?」
「文字通りです。重石をつけて海に沈めます」
「生贄ってことか?」
「はい」
フェドナはこくりと頷いた。
古い因習だ。そんなものとっくにすたれたと思っていたし、トレビドーナを含む、周辺国で信じられている神はもちろん生贄を要求したりはしない。そういうものは古来からの土着信仰で主に行われていた。それでももう何百年も前にすたれたと思っていた。
「そんなことまだやっているのか」
知らずにリベルトは声を低くした。
「もちろん、わたくしたちコゼントはすでに貴国と同じ神に改宗済みです。しかし……海の王への敬意を忘れたわけではありません。人々の中に隠れるように、海神狂は存在します」
「要するに異端者ってことか」
フェドナは大きく頷いた。
「もちろんです。人魚返りが生まれた家では彼らから子供を守ります。だから、必要以上に自分の子について言いふらしません。それでも近所の人たちも察することもあります。月に何度か人前から姿を隠さなければなりませんし、水を多く必要としますから」
それでも善意で口をつぐんでくれるものが大半だが、どこに異端者がいるかはわからない。
「まさかアーリアも狙われているのか」
リベルトはその可能性に思い至った。
フェドナは黙ったままだ。
しかし、否定しないということは……。
リベルトはコゼント王の要求を思い出した。トレビドーナ入りするアーリアの護衛にトレビドーナの王族が付き従うことを要求したのはコゼント王だ。
父王はリップサービスの意味も込めてリベルトを指名した。リベルトは軍に籍を置いているし、自身が指揮する部隊も持っている。
いろいろなことを知ることができたが、肝心の魔法の解き方についてだけはなんの進展もないまま早朝の会談は終了した。
◇◇◇
リベルトは執務の合間の時間を見繕って書物室へと足を運んだ。
目当ては人魚伝説について。
魔法書などさすがに宮殿で保管はしていないだろう、と最初から期待はしていなかった。
あまり公にできない調べ物のため人を使って大がかりに捜索できずリベルトは空いた時間を使って地道に本棚を調べていく。
今日も同じように書架の間の通路を歩いていると、赤茶色の髪をした青年と出くわした。
「おまえも調べものか」
よく知った相手、弟のテオドールだ。
テオドールは読んでいた書物をぱたんと閉じた。
「兄上。珍しいですね」
「俺だってたまには本くらい読む」
「調べものですか?」
そう聞くということは彼もおそらくはリベルトと同じ目的で書物室の奥深くへとやってきたのだろう。
「まあな。アーリアの魔法について調べようと思って」
「……僕もです」
「そうか。何かわかったか。ここについては俺よりもおまえのほうが詳しいだろう」
リベルトの言葉にテオドールは小さな微笑みを返した。
控えめな彼は自分をあまり見せたがらない。
「いいえ。宮殿の書物室ですから、あまり魔法めいた本は置いていないのです。民話の類ならいくつかあったので読みましたが」
「民話?」
「ええ。アゼミルダやマリートと共通するような類のものなので誰かが情報収集の一環として置いたのかもしれませんね」
「そうか。彼女の魔法は、人魚返りの魔法は解けると思うか?」
「こればかりはなんともわかりません」
「だよな」
リベルトは嘆息した。
そもそも、そんな方法を知っていればまっさきに試しているだろう。アーリアにかけられた魔法は理不尽に彼女から自由を奪う。
これまでも王女としての尊厳を損なわれてきたことは想像に難くない。
「賢者と呼ばれた魔法の知識を持った者たちが王に仕えていたのはそれこそ大昔のことですし。国の書物庫にそういったものがあることの方が不思議でしょう」
古い時代の王が酔狂で集めたなど、そういった逸話があれば別だが今のトレビドーナは大陸で広く信仰をされている宗教を国教としている。
リベルトは思案気に手を顎に添えた。
魔法使いか。
眉唾物だと思っていたが、調べてみる価値はあるかもしれない。




