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「その気の強い顔を泣き顔に変えるのも楽しそうだな。ねえ、お姫様。きみは自分のことをコゼントの姫だと思っているようだけれど、私たちからしてみればきみはただの従属国の人間だ。私たちと対等だとは思わない方がいい」
「なんですって」
「人質なんだから俺たちの言うことを聞いていたほうが何かと楽だと言っているんだ」
もう一人の青年の侮蔑を含んだ台詞があたりに響く。
人質と言われてアーリアは固まった。
トレビドーナ王家の人たちはみんなアーリアに親切だった。一応の独立国の王女として接してくれていた。リベルトはちょっと尊大だけれど、それでもこんなにもねっとりとする背筋が怖気だつ視線をアーリアに向けたことはない。
彼らから感じるのは純粋な悪意。
「毛色の変わった女もいいな。この見事な青銀髪。本当に美しい。もう少ししたら陛下に願い出て私の愛妾にでもしてもらうか」
愛妾という言葉にアーリアは目を見開いた。
「そんなこと!」
「しようと思えばできるんだよ。きみはトレビドーナへの貢物だ。私は王家の血を引く公爵家の人間だ」
アーリアは青年を睨みつけた。
こんな男最低。それなのに彼から感じる気配に完全に呑まれてしまいアーリアは一歩も動くことができない。
喉がからからに乾いているけれど、アーリアはなけなしの勇気をかき集めた。
「わたくしはコゼントの第一王女よ。確かにコゼントは現在トレビドーナの庇護下に入っているけれど、れっきとした独立国だわ。あなたたちに不当に貶められる謂れはないわ」
そうだ。
コゼントはトレビドーナに併合されたわけではない。経済や軍事力で協力関係にあるだけで、れっきとした独立国。
「ふんっ。生意気な女だ」
まさか反論をされるとは思っていなかったのか、金髪の男が不快そうに舌打ちをした。それからアーリアの腕を掴んだ。
「いやっ! 離しなさいよ」
「せっかく独立国のお姫様がいらしたんだ。私がもてなしてあげようではないか」
「あなたたちほんっとう性格が悪いわよ!」
アーリアは虚勢を張るが、掴まれた腕がぶるぶると震えだすのを止められない。
男たちは笑いだす。
「こんなに震えて。まだ強がるのか。本当に飼いならすのが楽しみだな」
アーリアは腹が立って仕方ない。
「おいおまえたち。誰の許可を得てアウレリア王女に触れている」
聞こえてきたのは、知った声だった。
けれどアーリアが知っているよりもずいぶんと低い声だった。
「リベルト殿下」
金髪の男は慌ててアーリアから手を離した。
「もう一度聞く。誰の許可を得て彼女に触れている」
目の前の青年よりも背の高いリベルトだ。
高圧的な物言いに、彼は目に見えて慌てている。
「い、いやだなあ殿下。私はただ、アウレリア王女と友人になりたいと思っただけですよ。こんなにも可愛い王女なのですから」
取り繕う言葉に他二人もこくこくと頷いた。
「他国からの遊学者たちは俺とテオドールの管轄だ。俺たちの許可を得ずに何先走ったことを話している」
リベルトは彼らの言い分を一蹴した。
それは彼が、先ほど目の前の貴族青年の、アーリアを貶めるような発言をきっちり聞いていたことを証明している。
もちろん、彼らもそのことについて思い至ったのだろう。だんまりを決め込んでいる。
相手を食い殺すような視線に臆したその他二人はリーダーを置いて逃げ去った。
完全に分が悪いと悟ったのだろう。
金髪の青年も後ずさり、その場から離れようとする。
その腕をリベルトが掴んだ。
「おまえはアウレリア王女を脅せるくらいに、いつからそんなにも偉くなったんだ? トレビドーナから独立でも考えているのか? そういうことならいつでも俺が直々に領地まで出向いて話し合ってやろう。兵はどれくらい連れて行ったほうがいい?」
「まさかっ! ほんの冗談ですよ。戯れだ!」
「戯れにおまえは他国の王女を貶めるのか?」
最後の台詞に顔を赤くした男は今度こそ逃げて行った。リベルトが腕の力を緩めたからだ。
アーリアは大きく深呼吸をした。
どうして、リベルトがやってきたのだろう。
「ちっ。今度本当に特別監査でもやってやろうか。腹立たしい」
逃げ去った青年に向かって毒づいたリベルトは、アーリアの方に向き直った。
アーリアと目が合う。
アーリアはなんて言っていいのか、口の中でもごもごと言葉を探した。
と、それは別の問題が発生していることにアーリアは慌てた。
本能的に思った。
あ、これまずいやつ! と。
アーリアはリベルトの存在を無視して脱兎のごとく逃げ出した。
後ろの木立の中をドレスが翻るのも気にせずに走る。
今日のドレスは胸元で切り返す、圧迫感のない意匠だ。足元を完璧に隠すくらいの長い裾に足を取られそうになりながらもアーリアはかまわずに駆けた。幸いだったのは、王宮の木立の中は下草がすべて取り払われていたことだ。
早く離れないと、という思いでいっぱいだった。
走っていると、途中で転んだ。
「あっ」
バタンと顔から地面に突っ込む。
海の王の魔法だ。下半身が淡い光に包まれ、今まで足だったものが尾ひれへと変化した。
「あああ……」
アーリアは項垂れた。
◇◇◇
アーリアが逃げ出した。
リベルトはしばし呆然とした。
それからほどなくして苛立ちが頭の中に浮かんできた。
(せっかく助けてやったのに、お礼の一言も言えないのか?)
リベルトは礼を欠いたアーリアの態度に内心悪態をついた。
別に彼女のことを見直したから気に留めていたわけではない。
そんなことを差し引いてもアーリアの態度は不審だ。というか、ビルヒニア一人の奇行に日々振り回されているのに、コゼントの王女までも自由気ままに振舞われたのでは大国の威厳が台無しだ。
だったらビルヒニアの監視をもっと強化すればいいのだが、それをしようとするとテオドールとセレスティーノが止めにはいるからなし崩し的に彼は彼女のこじらせ行為を黙認している。
しかし。
ここで甘い顔をすれば新参者のアーリアまでつけあがる。
フィルミオも年頃の少女は何かと多感なんだ、と気にも留めない。
リベルトはアーリアが逃げて行った木立を睨みつけた。
「ねえ兄上。アーリア姫は?」
少し遅れてやってきたのはテオドールだ。
「一人になりたいんだと」
リベルトは嘯いた。
間違ってはいない。リベルトから逃げ去ったのだから。
「大丈夫だった? 彼女……その」
テオドールは言いにくそうだ。
たしかに、あまり口にしたい話題ではない。彼らは一人の少女を取り囲み、いたぶろうとしていていた。周囲の参加者たちは気づいていながら、見てみぬふりをしていた。
「僕がもっと、ちゃんとできたらいいのに。ビルヒニアに対しても……、ちゃんと謝らせないといけないのはわかっているんだけど」
テオドールが眉を下げる。
彼は争いごとが苦手だ。温厚な第二王子ということで件の侯爵家の令息はテオドールを見下しているところがある。
「あいつ、ビルヒニアにも同じようなことをしたのか」
リベルトの確認にテオドールは頷いた。
「それから彼女は余計に頑なになっちゃったんだ」
「その件については俺があとでちゃんと調べておく」
テオドールはぎゅっと手を握りしめた。
「アーリア姫。大丈夫かな」
「……」
リベルトは黙り込んだ。
彼女も、怖いと思ったのだろうか。
精一杯反論をしていたが、その腕は小刻みに震えていた。
ここでリベルトが後を追いかけても、怖がらせるだけはないか。
「僕、探してくる」
「あ、おい。待て」
木立へ分け入るテオドールにリベルトも続こうとする。
「殿下、何やっているんですか」
背後から声をかけてきたのはフィルミオだ。彼はこういうときもリベルトとつかず離れずの距離を保つ。
「アウレリア王女が逃げた」
リベルトは完結に答えた。
「逃げたというか、ちょっと色々とあって怖がって一人になりたいみたいだそうなんだ。だけど、人気がないところでまた怖い目に合っていないかと思うと……」
テオドールの方が泣きそうな顔をしている。
「そういうことだ。俺たちで彼女を探して保護する」
リベルトは顎をしゃくった。
おまえも来い、という合図を正確に読み取ったフィルミオも一緒に付いてきてアーリアを探す。
宮殿内とはいえ、元は林だった自然をそのままに生かした造りをしている。
木々はお生い茂り、下草が刈り取られているとはいっても、薄暗い木立の中はここが宮殿の敷地内ということを忘れさせるように静かだ。




