9
◇◇◇
テオドールの前方方向にパラソルをさした少女が侍女と一緒に歩いている。
パラソルから見え隠れするのは目立つ青銀色の豊かな髪。少しくせっ毛の髪が風にそよいでいる。
コゼントからやってきた王女アーリアだ。
彼女に会ったとき、テオドールは雷を受けたかのような衝撃が体に走った。
事前に見せられていた絵姿よりも、本物の彼女は生気にあふれはつらつとした少女だった。
お城の奥で育った彼女は、物怖じしない伸びやなか娘だった。テオドールの挙動不審な態度に眉を顰めることもなくて、そこも好感を持った。
今日アーリアがビルヒニアの元へ行くと聞きつけ、どうにか会話をする機会があれば、と公務を抜け出してきた。
第二王子でもあるテオドールは兄に比べるとまだ任されている執務は少ない。
体を動かすことよりも読書が好きな物静かな青年に成長した彼だったが、ここ数日心が落ち着かない日々が続いている。
女性と話すのは苦手なはずなのに、アーリアとはもう一度話をしたいと思った。
テオドールは意を決して彼女の後を追いかけた。どこのタイミングで声をかければいいのだろう。迷っていると、先に彼女の侍女の方がテオドールの存在に気が付いた。
侍女はアーリアに何かを告げると、アーリアが振り返る。
なんとなく心の中を敗北感が占める。
「ごきげんよう、テオドール殿下」
「ごき……こんにちは。アーリア姫」
テオドールははにかんだ。
彼女の笑顔がまぶしすぎて直視できない。
「ええと、お散歩?」
気の利いたことが言えなくてテオドールは事実確認を口にする。
「ええ。ついさきほどまでビルヒニアのところでお茶をしていたんです。最近は体調が良いものですから、物珍しくてついお散歩を」
アーリアははつらつとした声でテオドールの質問に答えた。
日傘を持つのは金色の髪をした侍女で、心なしかこちらを見つめる瞳が険しい。
もう一人の侍女は銀色の髪をしている。
テオドールはどうにかして会話を繋ごうと意を決して言葉を出した。
「コゼント王国にも、金髪の人っているんだね。みんな銀髪なのかと思っていたよ」
「コゼントにもさまざまな髪をした人がおりますわ。銀も金も茶色も黒も」
アーリアはゆるりと笑った。
テオドールはぽうっと見とれた。
「え、ああ。そうだよね。でも、その。姫君の髪の毛はとてもきれいで珍しくて。最初初めてみたとき、とてもその……。ええと」
最後は何が言いたいのかわからなくなって、意味もない言葉を繰り返す。
テオドールは昔から女性を前にすると緊張してしまう。
「ありがとう……ございます」
テオドールの褒め言葉を聞いたアーリアの顔がほんのりと赤く染まった。
「銀髪の人はみんな人魚の血を引いているの?」
「人魚は青銀髪をしているのだそうです。昔は人魚は人間の前に頻繁に姿を現し、人間を伴侶に選ぶことも多かった、と」
「ぼ、僕も本で読んだよ。なんていうか、おとぎ話のような世界だなって思った」
コゼントから姫を迎えるにあたりテオドールは沿岸部の民話を集めた本を幾つか読んだ。
「コゼントだけでなく沿岸国ではよくある話です」
世界が違うなと思う。
内陸部と沿岸では風土が異なる。同じ文化圏だが、祭りや進行する土着の神や風習など、珍しいものが多く記されていた。
コゼント以外の海に面した国で、トレビドーナとも国境を有しているアゼミルダとマリートとは仲が良くない。昔から国境線を巡って戦ってばかりの歴史を繰り返している。
「いままであまり積極的に海辺の風習とか文化を学ぼうとはしなかったんだ。アゼミルダとはあまり仲が良いとは言えないし」
アーリアはだまってテオドールの話に耳を傾けている。
「けれど、その……コゼントとの関係が、その、あれになったし、これからは僕ももっといろいろなことを知ろうと思うんだ」
「ありがとうございます。わたしでよければお教えしますわ」
アーリアの笑みが深まった。
自国に興味を持ってもらったことが嬉しいらしい。
思いがけず次への約束に繋がるような会話ができてテオドールは天にも昇るくらい心が沸き立つのを感じる。
けれど、ここで次の具体的な約束を取り付けられないのがテオドールだ。
恥ずかしくて視線を逸らせつつ、「そういえばアーリア姫はどこへ向かおうとしていたの?」と尋ねた。
「どこも。物珍しくてつい散歩が長引いてしまいました。そういえば……この先には何がありますの?」
トレビドーナの宮殿は広い敷地を持つ。
王都の南側の、森を切り開いて作られた宮殿はいくつもの庭園や館、離宮などを抱えている。
「え、ああ。そっちには離宮があって、今は兄上が一人で住まわれているんだ」
「まあ。王太子殿下が、離宮に、ですか?」
アーリアは目をぱちくりとする。
「普通、びっくりするよね。もっと昔は僕の姉上が住まわれていたんだ。姉上が嫁いで行って、そのあと兄上がこじんまりとしたのがちょうどいいって、移ったんだ」
テオドールとは違い、王太子として執務に追われるリベルトは私的な時間くらいゆっくり過ごしたいと、妹が嫁入りし空いた離宮を占領した。
「そうですか」
「だからあんまり近寄らない方がいいよ。兄上は自分の領域に人を入れるのを好まないんだ。要件があるときは執務室の方へ行くことをお勧めするよ」
テオドールはそう締めくくった。
アーリアは少しの間視線を離宮へと続く小道へとやって、それから「それではそろそろ帰ります」と言ってもと来た道を戻っていった。
◇◇◇
ここ数日リベルトは不機嫌だった。
「リベルト、そんなにぎゅっと眉間に皺寄せていたら取れなくなるぞ」
執務室にはリベルトとフィルミオの二人きり。他の人間がいないとき、彼は途端に砕けた口調になる。
「うるさいな。これはもともとの顔だ」
「殿下にテオドール殿下の振りまく愛想のかけらでもあれば……」
「俺だって愛想の一つくらいは持ち合わせいる」
「うわ、初耳」
フィルミオは盛大におどけた
「それで。どうしてそんなにも怖い顔をしているんだ?」
「あれしかないだろう」
リベルトは窓の下を顎でしゃくった。
ちょうどここから宮殿の庭園が見える。侍女に日傘をさしてもらってゆっくりと歩く少女の姿が見える。
「ええと……、あああの髪はコゼントの姫さんか」
日傘から洩れる長い髪の毛は特徴的な青銀髪だ。腰まであるゆるやかなくせっ毛が風に揺れている。
「あんな色の髪、沿岸国の人間にしかいないだろう」
「人魚の末裔だっけ」
フィルミオは感心したように、口笛を吹いた。軽い態度だが公式の場では一転、名門トゥーリオ家の名に恥じない落ち着いた所作になる。
「眉唾物だけどな」
リベルトは肩をすくめた。
確かに、最初であったときは感心した。見事な青銀色の髪だから。
しかし、魔法や精霊、妖精の類が物語の中のものになりつつある時代、素直に信じることができない。




