表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

齋藤のエッセイ集

時は今、まさにこの時。

作者: 齋藤 一明

 昭和三十四年九月二十六日。

 時は今、まさにこの時。


 私は外遊びから帰宅した。

 泥のような曇がビュンビュン飛びすさるのをチラッと目にして、強くなってきた風に逆らいながら、意気揚々と帰ったように覚えている。

 近所では、方々の家でトントンと釘を打ちつける音がしていた。

 ただいまぁと言うが早いか叱声がとんできた。

 大きな台風が近づいているなんて、小学校一年生の私にはわからないことだった。


 周りはシーンとしている。風がヒューヒューと唸りを上げ始めたけれど、木枯らしのようなものだと私は思った。

 今のうちに食べてしまえと、母が蒸かし芋を飯台に置いた。ほんのり塩気がするサツマイモが、その日の最後の食べ物だった。



 ピューピューと笛を吹くようだった風が、ブーブーと音を変える。すると、ガラス障子がガタピシ震えて隙間から風がなだれこんできた。

 そろそろ外は薄暗くなってきた。

 ガラス障子を私に押さえさせた母が敷居に楔を押し込むと、戸のガタツキがなくなった。

 二本ばかりの蝋燭を飯台に立て、もし電灯が切れたら火を点せと徳用マッチを押し付ける。一年生の私に役割を与えた母は、はぐれてしまわないようにと四歳の妹を背負った。


 ブワッと風の塊が叩きつけてくる。外はすでに真っ暗で、父はまだ仕事から帰ってこない。

 ふっと電灯が消えた。慌ててマッチを擦るのだが、風ですぐに消えてしまう。何度目かにようやく蝋燭に火が灯った。

 ほのかな明かりのはずなのに、家の中が明るくなった。しかしユラユラしている炎は、ちっともじっとしていてくれない。ブワッと風が叩きつけてくると、バタバタッと揺らいで、ふっと消えた。

 何度同じことを繰り返しただろうか。やがて一本目の蝋燭が半分ほどの長さになったとき、私はなにか他ごとに気を取られていた。そんなときに限って悪いことがおきるもので、蝋燭の火が消えてしまった。慌てた私は、真っ暗になった中で遊んでいた玩具がなにかに躓いてしまった。そのときに、マッチを蹴飛ばしてしまったのだった。

 すぐに探した。だけど真っ暗な中では手の届く範囲を手探りするのが精一杯。

 母の叱声にオロオロしながら時がすぎ、玄関が開いて強い風が入ってきた。ようやく父が帰宅したのだ。

 幸いなことに、父はタバコをしょっちゅう吸うのでマッチを欠かさない。それで蝋燭が灯った。蹴飛ばした徳用マッチもみつかり、失くさないように押入れの段に置いた。


 父が帰ってどれくらい経っただろうか、風にかき消されるように「水だー」という怒鳴り声が聞こえた。驚いて外を窺った父が、雨合羽を着るように言ったような気がする。そして私は、笊に残っていた芋をポケットに突っ込んだ気がする。

 チラッと見えた窓の外、闇に馴れた目にキラキラとウロコのような模様が見えた。


 ジュクジュクと床から水が沸きあがってきた。大慌てで父が裏口の戸を開ける頃には、畳が浮き上がった。

「屋根へ昇るぞ」

 父の決断で私たち三人は浮き上がる畳を踏んで裏に出た。しかしその間にもどんどん水かさが増してきて、庭へ下りたとき、すでに私の胸くらいの深さになっていた。それに、我が家には肝心の梯子がないのだ。

 と、そのとき父は、台所から流れ出てきた冷蔵庫を風呂の窓にもたせかけ、その扉を開いて足がかりにした。そして母を屋根に押し上げ、私を押し上げた。

 最後に屋根に上ってきた父が、這いながら母屋の屋根に私と母をひきずってくれた。


 掴っているだけでは吹き飛ばされるような風が渦巻いている。時折り、本当に大人の力で引き剥がされるような、風の塊りが襲い掛かってきた。

 私はただ、川のように雨水が流れる瓦に顔を伏せて、じっとしているしかなかった。母が妹を胸の下に敷き、父は私と母の上に覆いかぶさっていた。一年生の私は、そんなふうにしか覚えていない。

 そうして風が治まるまで、私はひたすら瓦にしがみついていた。


 そうしてどれくらい待っただろうか。さしもの風もやがて威力をなくし、弱まるのを感じてからはあっという間に穏やかになった。

 父に促されて私たちは部屋に戻ったが、畳はすべて無くなっていて、床板が剥き出しになっていた。

 押入れの上段までは水がきておらず、とりあえず布団は無事だ。それを奥へ押しやって、私と妹は壁にもたれて眠った。そのとき父は、きっと安心させるためだろう、水に浸かった自転車をそこにもってきて、ぺタルを扱いだ。すると、ランプが光る。明るくなったり暗くなったりする光を朧に感じながら、私は眠りに落ちていた。


 目が覚めた。朝がきたのだ。

 私が目覚めたとき、母はご飯を炊いていた。

 幸いなことに半分ほどしか入っていなかった米びつは浮いて室内をグルグルまわっていただけだったらしい。釜も同様に浮き上がったのだろう。そして水道は生きていた。

 なにを燃やして炊いたのかは知らないが、そうして朝はおにぎりを食べることができた。


 外へ出てみると、見たことがないような青空が広がっている。そうだ、今日は秋の大運動会。私にとって生れて初めての運動会の日だ。けれど誰も学校へ行こうとしていないし、母もそんなことは一言も口にしない。それに、父が仕事に行かないのが不思議だ。そう思って訊ねてみると、当分は学校は休みだと父が教えてくれた。そして、近所の様子を見てこいと言いつけられた。


 町内を一巡りしてみると、どの家も畳や箪笥を表に出して洗っていた。そのまま隣の町内へ行ってみたが、どこも同じだ。ついでだからと、私は市電の通りまで行ってみた。すると、通りのむこうへ降りる坂のところで人がたくさん集まっていた。人垣をぬって前に出てみると、坂を少し下がったところからむこうは、海になっていた。

 海の上に屋根だけが出ている。その屋根に人がぼんやりと座っていた。

 うわぁ、すごいことになった。早く報せなきゃと電車通りに戻ると、線路の先を指差して人が騒いでいることに気付いた。

 巻き上がった泥でツルツルすべる道を私は駆けた。遠くに道路を塞いだものの正体を知るために。

 タッタッタッタ……


 道路を塞いでいるそれは、大きな材木。きっと貯木場にあった丸太に違いない。傍にいる大人よりも太い丸太が二本、ズデーンと道路を塞いでいた。そして、自分の背丈くらいの丸太が通りをこえて、むこうの家に突っ込んでいるのも見た。

 自分の行動範囲はこれくらいだったので、それを報せに家に戻った。


 九月二十六日がくるたびに思い出すのは、あの伊勢湾台風をしのいだ記憶だ。偶然にも私の住む地域は洪水が通過しただけですんだ。しかし、水面に屋根だけが並んでいる光景は約六十年という年月を経ても忘れることができない。



 当時からすれば、現在は排水が整備されています。道路が舗装されて足元もより安全になりました。なのになぜ、いまだに被害がでるのでしょう? 

 一夜、ゆっくり考えるべきではないかと思います。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 痛烈に胸に迫る小説です。うまく感想を書けず申し訳ないです。
[良い点] いつもと変わらない日と感じていた時、突然迫りくる台風と水害。とても生々しく恐ろしかったです。 私の故郷では狩野川台風がありましたが、同じ九月二十六日でした。今では放水路が作られて悲惨な被…
[良い点] 大変な体験をされましたね。 冷蔵庫を開けて足場にするという発想が、とっさに思いつくお父様はすごいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ