第八話
今回も建速津諒の一人称です。
宜しくお願いします。
姿の見えない人が自分に向かって降り下ろした鈍器が、あろうことか自分のすぐ横の地面に突き刺さった。鈍器が引き抜かれるような音はしない。
千載一遇のチャンス。頭を抱えていた腕を放し、匍匐前進で地面を這いずった───距離をとった。
少し離れたところで、自分は四肢に力を込めて立ち上がった。ふらふらするが歩くことはできる。
自分に鈍器を振りかざした人はどうなっているのだろうと思い、振り返る。そこには信じられない光景が広がっていた。
深緑色のパーカーを着込み目深なフードを被っている男が、片腕を手のひらで押さえて踞っていたのだ。男には見覚えがあった。焼肉屋の帰りに誠がぶつかっていた人だ。
そしてこの男が、颯雅君が言っていた“キリー”という男なのだろう。確信にまでは至らないが、状況から考えるにきっとそうだ。
何故、男は自分を襲うのだろうか。天月家の狙いは自分ではなく誠のはずだ。
男の近くには一匹の黒猫が倒れていた。倒れている猫───先程、自分の手首に噛み付いた猫。
「本当に役立たずですね……君のせいで計画が狂ってしまった」
立ち上がり、怪我をしていない方の腕で黒猫を掴む男。暴れる黒猫。
やはり黒猫と天月家の間には繋がりがあったのだ。
「もう君に用はありません」
そう言うと男は、暴れる黒猫の耳を力を入れて引きちぎった。
粉雪と共に地面に降り注ぐ血の雨。男は黒猫を放り投げた。自分の目の前の雪の上に落下する黒猫。
「なんてことをするんですか!」
静かな路地に響き渡る自分の怒声。猫を拾い上げた。猫はぐったりとしていて全く動かない。
怒る自分を見てクスクスと笑う男。
「君が……君が猫に細工をして、誠と自分を襲ったんですね!!」
男を睨み付けた。そのままの表情で男は言う。
「そうですけど。それが何か?」
「それが?って……君には心というものがーーー」
「そんなことはどうでもいいんです。それより……」
地面に突き刺さった鈍器を引き抜く男。
「少し遊びましょう」
男の体が動いた。自分の頭部目掛けて鈍器が降り下ろされる。一歩後ろに下がり、それをかわした。
続けて二、三度、鈍器が自分を襲おうとしたが、身を捩り最小限の動きで攻撃を流す。
「避けるだけかあ?反撃してこいよ腰抜け野郎!」
先程の口調とは一転、男は汚い言葉遣いで自分を罵る。
異能力を使うか迷った。使えば簡単に男を撃退できるだろうが、肉体の疲労が激しくなり失神してしまうかもしれない。
だからといって異能力を使わなければ、男を倒せない。いくら男の攻撃が単純で先が読みやすいといえども、判断力が鈍った今の自分ではずっと避け続けることはできないし、走って逃げるなんて論外だ。
運命の選択───異能力を使うことに決めた。
「十秒だ!十秒待ってやる!その間に異能力を発動しろ!」
自分に向かって吠える男。
腰を屈める。黒猫を道路の端に置いた。うっすらと目を開く猫。「ごめんなさい」と言い、立ち上がる。
両目を閉じた。外部の情報を全てシャットアウトする。自分の体が流水になるイメージを頭の中で描いた。
「へぇ。そういう異能力なのか。初めて見たな」
男が嬉しそうな声をあげた。
自分の異能力は“体を水に変える”という能力だ。
水に変えた体は自由に操ることができる。それだけでなく、水を気体、固体に変えることもできる。
かなり特殊で便利な異能力だが、それでも欠点はある。生き物に触れている間は異能力を発動できないのだ。
つまり敵に捕まったら最後、自分を待っているのは暗黒への道だ。
全身を水に変えた。目にも止まらぬ速さで、男のもとに行った。
「速っ!」
目を剥く男の首の回りを取り囲んだ。水の一部を右手に戻し、そのまま首を圧迫する。
「う、うぐっ」
苦しそうな声を出す男。右手で死なない程度に首を絞めたまま、水に変えた体をもとの状態に戻した。
無言で男の首を離す。背中から地面に向かって倒れた。鈍器が雪の上を転がる。空気中の酸素を貪るように吸う男。
「君は……なんという名前ですか」
「きっ、キリーだ!」
お互い疲労が限界に近い状態で会話を交わす。
「天月時織の護衛ですよね?」
「そうだ」
キリーはぶっきらぼうに答える。
「本名は?」
「言いたくねえ!」
「何故、自分を襲ったんですか?天月時織に自分を襲うように指示されたんですか?」
口を閉じるキリー。どういう返事をするか考えているようだ。
「……指示なんてされてねえ。お前がムカつくから襲っただけだ」
「そ、そう、ですか」
心臓に針を刺されたような痛みが生じた。覚えていないだけで、自分はキリーに何かをしていたのだろうか。
「さてと、こっからが本番だ。模擬と違って俺も異能力を使うけどな」
坦々とした口調で話すキリーが、ゆらりと立ち上がった。
「ま、まだやるんですか」
てっきり、さっきので終わりだと思っていた。こんなことになるなら、首を締めたときに気絶させておくべきだった。
「ああ」
気味の悪い微笑を口元に浮かべるキリー。
「俺の首を離したのが…………運の尽きだったなあ!!」
キリーの体から黒い物体が吹き出した。それが自分に向かって飛びかかってくる。
頭を氷の日本刀に変化させた。それを左手で構え、臨戦体勢をとった。
ここで自分を倒した後にキリーは、誠がいる自宅に行くだろう。颯雅君に誠の護衛を頼めなかった今、誠を守れるのは自分しかいない。
黒い物体を氷剣で切り裂こうと振りかぶった。
「止めなさい」
透き通るような美しいソプラノ声。キリーが出した黒い物体の動きが止まった。自分も氷剣を頭に戻し、麗しい声の主を見た。
月明かりに反射し、きらびやかな光を放つ銀髪。宝石を埋め込んだような薄紫色の瞳。きめ細やかな白い肌───“美しい”という言葉がここまで似合う人はそうそういない。
「……天月さん」
そこに立っていたのは天月時織本人だった。噂で“百年に一人の美少女”だとか“地球に舞い降りた女神”だとか色々聞いていたが、その噂は嘘ではなかったようだ。
けど、そんなこと今はどうでもいい。天月時織は何故ここに来たのか。誠に危害を加えてはいないか。それらを最優先で聞かなければいけない。
「し、時織様!どうしてここに!?」
驚愕の表情で天月時織を見つめるキリーが自分の心の内を代弁した。
「貴方が近くにいないので、探しに来たんですよ」
「そうだったんですか……」
「キリー。貴方が建速津諒に何をしようとしたのか後でじっくり聞かせてもらいますからね。取り合えずここから去りなさい」
「……分かりました」
借りてきた猫のように大人しくなるキリー。彼は自分の家とは逆方向に歩いて行った。
「天月さん。君に聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?なんでしょうか」
首を傾げる天月時織。自分が彼女に真っ先に聞くことなんて予想がついているだろうに。
「自分がここにいる間に、誠に危害を加えたりなどしていませんか?」
「していません……と言えば貴方は信じるんですか?」
言葉に詰まった。確かにここで『誠に悪いことをしました』なんて馬鹿正直に答える人はいない。
「建速津諒。貴方は何か勘違いしているようですね」
「勘違い?」
「私たちは建速津誠に危害を加えるつもりはありません」
天月時織は何を言っているんだろうか?誠の髪の毛を抜き取って操ろうとしたり猫を使って嫌がらせをしてきたくせに。今更そんなことを言われて、信じるなんてできやしない。
「何を言ってるんですか!?誠に嫌がらせをしてきたくせに、そんな言葉で自分が信用するとでも思いましたか!?」
右腕を日本刀に変化させ、左手で持った。日本刀の先端を天月時織の喉に向ける。彼女の無表情だった顔が少しこわばった。
「誠に何もしないと誓ってください!!もし君が誓わなかったり、誓いを破った時は……」
日本刀の先端が天月時織の喉に当たる。皮膚が破れて、鮮血が彼女の首を伝った。
「自分が君を殺します」
降っている雪の勢いが一段と強くなった。日本刀を持っている左手が震えた。
「……そんな怖い顔をしないでください。もう事情は変わったんですから」
天月時織は冷静を保っているように見えたが、語尾が僅かにうわずっていた。
「早く答えてください」
いつもより低い声で彼女に告げる。
「誓います……私は建速津誠に何もしないということを誓います」
絞り出すようにして声を出す天月時織の喉から、日本刀の切っ先を離した。
「君がさっき言った言葉、忘れないでくださいね」
「……勿論です。それでは、さようなら」
品のある佇まいで、その場を去る天月時織。彼女の姿が暗闇に溶け込んだ。
「もう二度と現れるな……」
姿の見えなくなった天月時織に対して言った言葉。彼女は誠に危害を加えないと誓ったが、それが守られることは無いだろう。口約束よりも信用ならないものは無い。
左手の日本刀を右腕に戻す。立ち眩みがして倒れそうになった。異能力は普通の状態より体力を消耗する。
本当は天月時織を取り押さえて颯雅君に引き渡したかったのだが、彼との連絡手段であるスマートフォンが破壊されてしまったし、そもそもこんな体力を消耗した状態では彼女を取り押さえることが不可能だ。
道路の端に目を向けた。踞る黒猫。近付いて、猫を包み上げるようにして両手に乗せた。動かないが、温かいので生きているはずだ。
「怖かったでしょう?もう大丈夫ですからね……」
猫に、安心してもらえるような言葉をかけた。
まるでモザイクがかかったようにぼやける視界。力が抜けた。意識もあやふやになった。
「大丈夫か?」
意識を失う直前、そんな誰かの声が聞こえたような気がした。