第五話
ちらほらと降る雪が、地面に触れては消えるを繰り返す。それはとても儚く、俺をしんみりとした気分にさせてくれる。
腹一杯肉を食べて満足した俺と、詩姉に肉を殆ど奪われあまり食べていない諒兄は、我が家までの道のりをゆっくりと歩いていた。
焼肉屋に行く前に俺の食事代は奢ってくれると約束してくれた諒兄だったが、俺が諒兄に甘えて値段の高い肉ばかりを頼んでいると、途中から涙目になっていた。
その上、諒兄は詩姉に会計を押し付けられていたので、出費は一万円を越えているだろう。諒兄自身はおそらく二千円も食ってないと思うが。
そんな詩姉とは『友達との飲み会があるから』ということで、焼肉屋を出たところで別れた。店を出た所で代金を請求しようと思っていたのであろう諒兄は、たいそう悔しそうにしていた。
「うう……お金が」
己の財布に入っている千円札などを一枚一枚数えていた諒兄が財布をコートのポケットにしまったのを見計らい、俺は言葉を発する。
「なあ、諒兄」
「誠」
俺の言葉を遮るようにして口を開く諒兄。
「何だ?」
俺が諒兄に聞くのは異能力についての質問だ。特に急いでるわけでもないので先に諒兄の話に付き合おうと思った。
「誠が焼肉屋で言っていた異能力の事なんですけど……」
「異能力が何?」
早口に言葉を返す。俺が言おうとしていた事を諒兄に言われて内心焦っていた。
「誰に聞いたんですか?」
「へ?」
「異能力があるということを誰に聞いたんですか?」
諒兄は絵具で塗りたくったような漆黒の瞳を俺に向ける。
確定だ。諒兄は異能力の存在を知っている。
「颯雅に聞いたんだ」
「ああ……颯雅君に聞いたんですか」
まるで颯雅を知っているかのような口ぶり。俺が颯雅と出会うより先に、諒兄が会っていたとしても何ら不思議はない。
「諒兄は異能力者なのか?」
異能力を知っている時点で、諒兄が異能力者だというのはほぼ確定していたが一応聞いておく。
「そうです…………これから話すことは母さんと姉さんには黙っていてください」
「ってことはその二人は異能力者じゃないんだな。親父には内緒にしなくていいのか」
「はい。父さんは異能力者ですから」
相手を和ませる効果があるスマイルを俺に飛ばす諒兄。
「取り合えず誠が知っている異能力についての情報と、颯雅君に出会った経緯を教えてくれませんか?」
「分かった」
颯雅と話したことや、天月との出会いを詳細に説明した。
「なんで、あの天月時織は誠なんかに接触したんでしょうか……?」
思案顔になって唸る諒兄。
「天月を知ってんのか?」
「はい。まあ、彼女は自分の事を知らないでしょうがね」
天月は有名人なのだろうか。颯雅も諒兄と同じようなことを口にしていた。
「天月は有名人なのか?」
「いや、君が言っている天月さんはそこまで有名ではないです。有名なのは“天月”という家名です。天月家は異能力界を支えている右翼団体なんですよ。“異能力管理党”に天月家関連の人は多いんです。それと誠、君は“天月グループ”を知っていますか?」
「当たり前だろ」
“天月グループ”といえば今や日本人で知らない人はいないくらい有名な会社だ。銀行、ホテル、不動産や電化製品など様々な商業を手広く営んでいる。
「天月家は“天月グループ”を経営している一族でもあるんですよ」
「そうなのか!?」
思わず大きな声を出す。だが、冷静に考えてみればそうおかしい話ではないかもしれない。“天月”という名字はかなり珍しいし、異能力界で天月家が有名ならば、日本国内でもある程度の社会的地位が確立されているのが当然だろう。異能力者だといえども人間であることに変わりは無いのだから。
「びっくりしました?けど、異能力界で有名な一族は社会での立場も高いことが多いんです。天月家とライバルを張っている一族も社会で有名ですよ。誠も一度は聞いたことがある会社だと思います。ボディービルの会社なんですけど……ええと、会社名はーーー」
「ボディービルの会社!?」
ボディービルといえば、ムキムキの男たちがこれでもかというほど鍛えられた筋肉を見せつける競技だったはずだ。俺は、ボディービルの会社なんて聞いたことが無いと断言できる。
「あ、間違えました。ボディービルじゃなくてボディーガードの会社です」
「間違えるな!」
ボディーガードとボディービル。字面が似ているのは認めるが、間違えてほしくなかった。少し前にした想像を思い出しただけで、吐き気が込み上げてくる。
ボディービルのことを脳内から削除した。有名なボディーガードの会社を考える。
「有名どころといったら……“ヒュガ”あたりか?」
“ヒュガ”というのは“ヒューマンガード”の略称だ。俺が知っているボディーガードの会社はそれくらいしかない。
「あ。そうです、それです。よく思い出せましたね…………それにしても寒い。早く家に帰りましょう」
体を震わせる諒兄。焼肉屋で暖まった体はもう冷えきっていた。
「そうだな。ここにいたら凍死しそうだ」
俺と諒兄は人通りが非常に少ない路地に入り込む。強盗に襲われても誰も気づいてくれないような危ない通りだが、家までの最短ルートはこの道だ。
不意に、肩に衝撃が走った。誰かにぶつかってしまったらしい。
後方に視線を送る。視界に映るのはパーカーを着た人。目深なフードを被っているため性別は判別できない。
「す、すみませんっ!!」
慌てて頭を下げ、謝罪を口にした。
「いえいえ……こちらこそ申し訳ありませんでした」
俺がぶつかった人は、諒兄以上の畏まった丁寧口調で謝り、体を九十度に折り曲げた。声色から性別は男だということが分かった。
パーカー男はそれだけ言うと、俺たちと逆方向に歩いていった。
「大丈夫ですか?」
俺の事を心配して声をかけてくる諒兄。
「大丈夫だ。ありがと」
諒兄に返答した俺は、まっすぐ正面を向く。そこには真っ黒な物体が存在していた。
「…………っ!!」
俺はその物体を見て恐怖を覚えた。俺が世界で1番嫌いで、苦手なアレがそこにいる。
しかもアレは1匹だけではなく、何匹もいるではないか。
「誠?何、見てるのですか?」
俺の目線の先を見る諒兄。
徐々に俺の方へ歩み寄ってくるアレ。
諒兄は俺が見ている物体を確認すると、驚きと喜びが混じったような声をあげた。
「わあっ!可愛い黒猫がいるじゃないですか!」
俺が世界で1番苦手なアレ───俺は猫が大嫌いだった。