第十三話
部屋を満たす冷気。窓に叩きつけられる大量の滴。
俺はベッドの上に腰掛けてスマートフォンのゲームをしていた。
今日は中学校の同級生とボウリングに行く予定だったのだが、外は台風が来たのかと思ってしまうくらい激しい風に、屋根が壊れるのではないかと不安になる程の大雨が降っているので急遽予定を取り止めたのだった。
「クッソ……レア物が来ねえ」
スマートフォンの画面を穴が開くほどに見つめながら呟いた。
『そりゃ無課金でやってりゃねえ……』
正面にある水槽の中から声がした。俺が飼っている五匹のクリオネの中でも一番お喋りなクリオネだ。
『星五ってどれくらいの確率で出るの?』
『百回に一回くらいの確率だろ』
『ひええ……』
クリオネたちの話し声が俺の耳にこだまする。
「うるさい。黙れ。こっちは真剣にガチャ回してんだ」
『ガチャなんて真剣に回そうが回さなかろうが、星五出る確率は変わらないと思うんだけど』
「素直に『はい』と言えねえのか?」
このクリオネが人間として生まれていたら、将来きっと口で失敗していただろう。余計な言葉が多いのだ。
『そう言う誠こそーーー』
反論してくるクリオネを無視して、今日三回目のガチャを回す。呆れるほど見飽きた雑魚キャラクターが出た。
「なんで雑魚ばっかり出るんだよチクショーーー!」
思わず叫んで、手に持っているスマートフォンを投げた。ベッドの上でバウンドするスマートフォン。
『誠。いい加減、物にあたるの止めたら?この前も音楽プレイヤー壊したでしょ。あれで懲りたんじゃなかったの?』
「うるせえ……」
分かっていた。悪い癖だということは。だが、自分でも衝動を抑えることができないのだ。
それに、俺が当たっているのは物だ。人に迷惑をかけていないのだからいいはずだ。
スマートフォンを拾い、充電するためのプラグを差し込んだ。
ノックの音が聞こえた。扉の前まで行き、スライド式のドアを開ける。目の前には誰もいない。その代わり俺の横を通る小さな物体があった。
「おい!止めろ!」
小さな物体───猫。この前、諒兄が傷を負った時に一緒にやって来た猫だ。
家にやって来た猫は、諒兄に引けをとらないくらい酷い怪我をしていた。方耳がもげていたのだ。
流石にそのまま放置するわけにはいかず、その日に父親が動物病院に連れて行ってくれた。
治療が終わるまでは、俺が猫アレルギーであるということを考慮して、諒兄が自分の部屋の中から出さずに飼うことになっている。
「止めろ!毛を撒き散らすな!」
だが、このザマだ。
目から涙がこぼれ落ちる。くしゃみが連続して出た。諒兄がきちんと猫を管理していたらこんな苦しい思いをせずに済んだのだ。
猫は部屋のいたるところを走り回り、布団を引っ掻いている。この後の掃除のことを考えるとゾッとした。
このままではいけないので、とりあえず諒兄の部屋に行く。早く猫をどうにかしてもらわないといけない。
ノック無しに諒兄の部屋の引き戸を引く。埃っぽい部屋の中にある椅子に座っているはずの諒兄を見た。
目を大きく見開く。そこには見慣れているはずの『人』と比べて少しずれた生物がいた。
「なっ……なっ……」
驚きのあまり声が上手く出せない。
そこにいたのは頭部の無い人間の体だった。パニックに陥った脳に、デュラハンという言葉が思い浮かぶ。
デュラハンは膝の上に氷でできた日本刀らしきものを載せていた。
『ま、誠……』
頭に諒兄の声が響く。
「諒兄!?どこにいるんだ!?」
『部屋の中に頭の無い男がいるでしょう?それが自分です』
「あれが!?あれが諒兄なのか!?」
確かに体型は諒兄のそれだったが、それだけで信じることはできなかった。実の兄が化け物になったなんて話はフィクションの中だけで十分だ。
『誠の言う“あれ”は本当に自分ですから……今から証拠を見せるのでしっかり見ていてくださいね』
諒兄の声が聞こえなくなった。首から上の無い男を凝視する。
すると、氷の剣が端の方からどんどん水に変わっていった。水は、宇宙空間に存在しているときと同じように、空気中に浮遊している。
剣が全て溶けて水に変わると、そこらじゅうに浮いていた水が集まり、一つの大きな水の球体となった。それは男の首の上で留まり、徐々に人の形を象って行く。
数秒後、水は完全に諒兄の頭と化した。
「ほうら、本当に君の兄の諒だったでしょう?」
謎に誇らしげな表情を作る諒兄。
「りょ、諒兄は幽霊だったのか……?」
震える体。無理矢理、声を絞り出した。
「幽霊じゃないですよ。ちゃんと触れますから」
椅子から立ち上がった諒兄が俺に近づいてくる。
何をされるのかと身構えていたら、頭に諒兄の手が置かれた。優しく撫でられる。
「自分はここに居ますから。安心してください」
膝を少し曲げ、視線を合わせると、諒兄は俺の頭に手を乗せたまま笑った。
子供のような扱いをされ、恥ずかしくなって顔を伏せた。
「……幽霊じゃないなら、諒兄は一体何者なんだ?」
下を向いたままボソボソと喋る。
「君はその問いの答えを知っているはずです」
頭から諒兄の手が離れた。
先に考えるべきだった。諒兄の“あれ”が幽霊だからという理由でないのならば、解答は一つしかない。
「諒兄の“それ”は……異能力なんだな」
顔を上げて、真剣な眼差しで諒兄を見つめた。
「正解です」
諒兄はそう言うと両腕を水に変えた。支えていた物が無くなって、だらりと垂れ下がるシャツ。
「自分の異能力は体を水に変える異能力なんです」
「水に変える……」
呟きながら、空気中に浮かぶ無数の水滴を眺めた。この水が諒兄の体の一部だなんて実感が湧かない。
「水は自由に動かせることもできますし、気体や個体に変化させることもできるんですよ。もちろん、元の体を本体から分離して動かすこともできます」
水が一点に集まり、諒兄の腕となる。
「分かったよ。分かったから、早くその腕をどうにかしてくれ」
腕だけが宙に浮いているのは、見ていて気味が悪かった。
「むう……今からマジックでもしようと思ってたんですけどねえ……」
不満を言いながら、両腕を体にくっつける諒兄。
「で、誠は自分に何の用で?」
諒兄がさらりと言う。
しまった。異能力のインパクトのせいで、猫の事を完全に忘れていた。
「俺の部屋に諒兄の猫が入ってきたんだ」
「なんですって!?あ、そういえばジャスティスがいない……」
取り乱す諒兄。ジャスティスというのはあの猫の名前だろうか。よくもまあ、そんな恥ずかしい名前を付けたものだ。
「早く連れていってくれ。掃除もしてくれよ。猫アレルギーだから毛が残っていたら困るんだ」
「分かりました。あれ、でも……」
「どうしたんだ?」
首を傾げている諒兄に問う。
「猫の毛なら君の部屋より、自分の部屋の方が散っていると思いますが…………大丈夫なんですか?」
「え?」
言った瞬間、喉に異変が起き始めた。違和感が生じる鼻。
「ぶえっくしゅん!!」
大丈夫だった猫アレルギーが今更自己主張を始める。
「誠……自身が猫アレルギーだって思い込んでいるだけなんじゃ……」
「そんなわけあるか!」
部屋を飛び出し廊下を走った。
「待ってくださいよ~」
後ろから気の弱そうな諒兄の声。
「なんでついてくるんだよ!早く、俺の部屋にいる猫を出してくれよ!」
「あ、そうでした」
俺に背を向け、部屋に入る諒兄の姿が見えた。
階段を下りてリビングに入る。そこには誰も居なかった。
とりあえず気を鎮めるために、テーブルの上のコップに入っている麦茶をがぶ飲みする。ひどくぬるかった。
「誠~猫をゲージの中に入れてきました」
「掃除は?」
俺がギロリと睨むと、諒兄はしどろもどろになりながら「誠がお昼御飯を食べている間に掃除します」と言った。
それについて特に不満はなかったので、無言で椅子に座る。諒兄はテーブルを挟んで前の椅子に座った。
「お昼になるまで何か話をしましょうか…………そうだ!君が高校生になったときのワイルドな自己紹介の仕方を教えてあげますよ」
「いや、別にいい」
盛大にスベって悪目立ちする未来が簡単に予想できる。
「ふーん。そうですか。なら……」
「諒っ!」
甲高い声。怒りの感情を表に出した詩姉が俺達に近付いてきた。
「どうしたんですか?姉さ───」
「どうしたんですか?じゃないわよっ!!」
両方の手のひらでテーブルを叩く詩姉。コップから麦茶が溢れてテーブルを濡らした。
「母さんから聞いたわよ。あんた、引っ越しするんだってね」
「え!?諒兄が!?」
驚愕の声を張り上げる。今日は驚いてばかりだ。
正面を見ると可哀想なくらい青ざめた諒兄がいた。
「諒!あんたなんかが一人暮らし出来るわけないでしょう!料理だって掃除だってロクにやったことないんだから!」
まくし立てる詩姉。諒兄に救いの手を差し出してやりたかったが、俺が庇ったところで詩姉の態度は変わらないだろう。
「大体ね!生活費はどうするのよ!四月から働くといっても───」
「どうしてそんなに言われなきゃならないんですか!!」
諒兄が立ち上がった。テーブルが派手に揺れる。
「姉さんが思っているほど自分は子供じゃありません!!全部考えて行動してるんです!!話も聞かずに全否定しないでください!!」
あまりの諒兄の剣幕に、詩姉が気圧されて蚊の鳴くような声で「ごめん……」と言った。
詩姉の謝罪を聞いた諒兄の頬がみるみる赤くなる。
「す、すみません。こんなこと言うつもりじゃ───」
「謝らなくていいわ。確かにあたしが間違っていたもの」
きっぱりと言い切る詩姉。
「あんたがしっかりと考えて導き出して決めた選択なんでしょ。なら、あたしには何も言えることはないわ」
詩姉は最後に「決めつけてごめんね」と言って部屋を後にした。
「ああああ……姉さんも自分を心配して言ってくれたんでしょうに。自分ったら何てことを……」
「さっきのは諒兄の方が正しかったと思うぞ。詩姉は言い過ぎだ」
励ますために言葉をかける。
「そうですかね……?」
「少なくとも俺はそう思ったけどな。それに詩姉はさっぱりしてるから、諒兄が思ってるほど気にしちゃいないだろ」
「そうか……そうですよね!考えすぎですよね!」
暗かった諒兄の顔が明るくなった。
調子が良くなった諒兄と、引っ越し先のことや何を持っていくつもりなのかという話しているといつの間にか昼になっていた。
俺の部屋の掃除をするべく去っていった諒兄を尻目に俺は、もうすぐこの家も少し寂しくなるなと思った。
バカガミ!!を読んでくださりありがとうございます。
今回も遅くなってしまいました。
スマートフォンが没収されているので次回も遅くなってしまうと思います。
色々と問題がありますが物語を途中で終わらすつもりはありませんので、これからもよろしくお願いします。




