第十一話
息が詰まるような、物に溢れた空間に俺、建速津誠と彼女はいた。
「どうして貴方はこんな事をするのですか?」
彼女は、包丁を持って立ち尽くす俺に怯えながらも強い口調で理由を訪ねる。
俺は彼女の言葉に返答する事ができなかった。
無言でいる俺に彼女は再び質問をする。
「貴方は私を殺そうとしているのですか?」
包丁を握る手が汗でぬるついた。心臓が今までにない速度で早鐘を打った。
「ああ……」
短いながらも彼女に返事を返す俺。
俺は彼女を殺さなければならない。殺さなければ、俺は夢を叶える事ができない。
彼女を殺すか、俺の夢を殺すか。
二者択一───迷う余地は無い。
彼女を押さえつけた。激しく抵抗する彼女。
「止めてくださいっ!!死ぬのは嫌あああっっっ!!」
己の心情を封じ込めた。こうでもしなければ俺は彼女に同情し、殺すのを止めてしまいそうだった。
彼女の首あたりに包丁を押し込んだ。溢れ出る鮮血。血液が俺の手のひらを赤黒く染めた。
「ど……う………し……て…………」
悲しそうな声を出す彼女。徐々に彼女の抵抗する力が弱くなっていった。
そして、俺が首を切断する頃には───彼女は息を引き取っていた。
彼女は死んでしまったが、鮮血は流れ出るのを止めない。俺はそんな光景を見て、罪悪感よりも達成感が勝っていた。
俺は彼女を殺す事が出来た。これで俺はまた一歩前に踏み出すことが───
「誠!遅いわよ!まだサーモン捌けてないの!?」
異常な程の達成感に包まれていた俺の心が、姉の言葉によって急激に冷える。
姉の名は建速津詩。俺は詩姉と呼んでいる。行動的でリーダーシップがあるのはいいのだが、暴力的でちょっと口が悪いのがたまにキズだ。
サーモンの尾びれの方から包丁をいれて、そのままゆっくりと頭の方向へ動かしていく。裏も同じようにして身を切り取った。今回は、前に捌いた時よりも上手にできている。
だが、綺麗に三枚下ろしが出来ていても、それが時間をかけて出来たものならば喜ぶことはできない。
サーモンを一匹捌くのにかかった時間が約二分。前捌いた時は、三十秒程だった筈。いや、もっと短かったかもしれない。
それというのも全て、俺に目覚めた異能力のせいだ。
俺は“魚と会話できる”という異能力を持っている。少し前までは“クリオネと会話できる”という異能力だと思っていたのだが違ったのだ。
なんとも地味な異能力。異能力を発動している時に他人にその姿をみられたら確実に変人扱いされるだろう。
サーモンを切り身にして詩姉に渡す。基本的に俺が魚を捌いて切り身にして、詩姉が握る。
詩姉の握る寿司は大きさが全て均一で、どうやったら同じ大きさの寿司を作る事ができるのかと不思議に思う。その上、日本食ではないパスタやピザを作るのも上手いのだ。
俺はそんな詩姉に尊敬の念を抱いている。いつか、詩姉を超える料理人になり、独立して自分の店を持つのが俺の夢だ。
シンクに溜まった大量の皿やコップを慣れた手つきで洗う。皿洗いのスピードだけは詩姉に負けていないという自信があった。
そんな俺をじっと見つめる双眼。皿に向けていた視線を正面に移動させた。
「刺身の盛り合わせ頼む」
十人中九人の女が見とれてしまうような甘いマスクに深い青色の瞳を持つ男───颯雅が煮魚を口に含んだ状態で言った。
「お前、周りを見てみろ」
疑問符を顔に貼り付けて周りを見回す颯雅。
今は午後七時。一般的な料理屋に人が入る一番のピークタイムだ。無論、この店も例外ではない。
その上、今日は親父とお袋が親戚の結婚式で家を空けているので、俺と詩姉の二人だけで店を回していてとても忙しかった。
「全席埋まってるな。それがどうした?」
俺が言いたいことを全く理解していないようだ。
「あんまし連続で注文すんな」
「なんてこと言うんだ。俺は客だぞ」
「金を払わねえ奴の注文をとり続けれるほど、こっちは暇じゃねえんだよ」
一週間前、傷を負って気絶した諒兄を助けてもらったので、一回だけうちの料理店の食事を無料にするというお礼を颯雅にした。
だが、それが悪かった。調子に乗った颯雅はあれやこれやと理由をつけて諒兄を丸め込み、タダで三回も食事を平らげてしまったのだ。颯雅は普通の大人の三倍以上の量を食べるので、金を払ってもらえさえいれば二万円程の売り上げが見込めただろう。
「ちゃんと建速津諒に、タダで食べていいって言われてるのに注文取ってくれないのか?」
「諒兄との約束なんて無効に決まってんだろ」
不満げな顔で舌打ちをした颯雅は、己の目の前にある茶碗蒸しを勢いよく口に掻き込んだ。
「……でもまあ、金を払ってでも来る価値がある店だよな」
茶碗蒸しの容器から口を離した颯雅がボソッと呟いた。時間差で、誉めてくれていると分かり嬉しくなる。
「もう諒兄に無料にしてって頼むの止めろよ。あいつバカだから口が巧い颯雅みたいな奴にすぐ騙されるんだ」
「建速津諒がバカなのは知ってる。だから、見え見えの嘘を吐いてたんだが……想像を絶する程のバカだったようだ」
ため息を吐く颯雅。吐きたいのはこっちの方だ。
「黙って聞いてれば好き勝手言ってくれてますね」
体が一瞬震えた。真横を見る。微笑をたたえた諒兄がいた。
「うわっ!諒兄!どうした!?」
「店が忙しいって姉さんからメッセージが来たので手伝いに来たんですよ」
相変わらず笑みを崩さない諒兄。繕ってはいるが、内心は穏やかではないだろう。
「おう建速津諒。傷は大丈夫なのか?」
諒兄が怒っているのを気にもかさずに尋ねる颯雅。
「薬が切れるとまだ痛いですが生活に支障はありません」
そう言った諒兄は頭に巻き付けている包帯を撫でた。
「ふーん。そりゃよかった」
颯雅が赤だしの中に入っているアサリの貝殻を取りながら返事をする。
『すみませーん』
客席から聞こえる呼び出しの声。
「行ってきますね」
素早い動きで諒兄は客席に飛んでいった。
「天月家の件なんだが……」
颯雅が諒兄に聞こえないくらいの声量で話しかけてくる。
「何かあったのか?」
「いや、この一週間、天月家は何の動きも見せていない」
苦々しい顔で言葉を吐き出す颯雅。
天月時織は俺を狙うのを止めると言っていた。あの言葉に嘘は無かったのだ。
「それが怪しいんだよな……」
颯雅は水が入ったグラスを持ち上げた。
「怪しい?」
「そう。何の動きも見せないことがな。一日に二回も危害を加えてきたのにその後何も無いなんて……何か裏があるに決まってる」
グラスを荒々しくテーブルに置く颯雅。低い音が響いた。
『兄ちゃん!久しぶりだな!ーーーどうした!?その傷!?』
『ああ、これはですね……』
客と話している諒兄の声が耳を素通りする。
颯雅は天月時織が動かないことに多大な疑いを抱いているようだ。天月時織が俺を狙うのを止めたことを伝えて疑いを晴らしてやりたかったが、その事を他人に話すことを口止めされているので俺は何も言えない。
「……どうした」
颯雅の訝しげな視線が突き刺さる。
「なんもねえよ」
言葉が硬くならないように気を付けて返事をした。
「そうか」
そう言う颯雅は俺の目をじっと見ていたが、しばらくすると興味を失ったように目の前の料理を食らい始めた。
客の楽しそうな笑い声が、随分遠くから聞こえてくる───そんな不思議な感覚に陥った。
バカガミ!!を読んでいただきありがとうございます。
久しぶりに連日投稿をしました。ゴールデンウィークという日だからこそできる技です。
なろうに毎日投稿している人は凄いですね。自分も見習わないと……
もう少しで中間テストがあるのでまた投稿進度が落ちると思いますが、これからもどうぞ宜しくお願いします。




