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8.すれ違う思い

 僕がこの子に説教をしないといけないようなことが何かあっただろうか。元来そういう性格でもないし、はたから見れば今の状況は明らかに僕が説教されている側だと思うのだが。


「そんなつもりはないけど、どうして?」

「なんだ違うの、じゃ戻ってもいい」

「……極端だな」


 せめて疑問形の時には語尾を上げてほしい。先程からクエスチョンマークの欠片も感じられなくてとてもやりにくいんだ。

 何とか宥めると、視線の強さだけで次の言葉を催促された。背中に冷たい汗が流れる。十代の女の子に怖じ気づいている場合ではないぞと己を叱咤して、まずは中途半端に入った知識を補うことにした。


「朝陽ちゃんと満月ちゃんの「チョーワ」について知りたいんだ」

「さっきまでたえ姉と話してたんでしょ、聞けばよかったじゃん」

「聞こうとしたところで知里さんに呼ばれちゃったから」


 答えると心底面倒臭そうに自身の長い髪の先を弄ぶ。もしかするとこの子を呼び止めたのは失敗だったのではないか。清貴くんは今どうしているか分からないから置いておくとしても、多枝さんが戻ってくるのを待つとかもう一度正哉くんのところに行くとか、そういう手段を取った方が良かった気がする。これではいつまで経っても話が進まないじゃないか。……友好関係が築けていなかったことに問題があるのか。

 今更どうこう考えても仕方ない。何とか必要な情報だけは分けてもらえるようにするのが賢明だろう。僕は朝陽ちゃんから受けた“ごいらい”の話と、多枝さんからチョーワが双子特有の能力のようなものだと聞いたことを話した。すると不思議なことに蓮ちゃんの纏う空気が少しだけ和らいだように感じた。気のせいだと言われれば簡単に諦めがつくほど、ほんの少しではあるが。


「それならほとんど分かるんじゃないの」

「どういうこと?」

「さっき皆で集まってた時、まさ兄が満月に聞いてたじゃん。どこも痛くないかって」


 それは確かに聞いた。というより僕の目と鼻の先で行なわれたことだ。胸の辺りを示しながら苦しくないかと聞いていた。しかしそこに特別なものはなかったように思う。同じ場所に居たために怪我を心配したとか、気が動転してふたりを重ねたとか、その程度のものだろうと考えていた。だが実際は?


「……シンクロニシティ。聞いたことくらいあるでしょ」


 シンクロニシティ――意味のある偶然の一致。

 多くの人がその現象を見たことがあるだろう。同じタイミングで同じ反応をしたり、じゃんけんであいこを出し続けたり、離れた場所に居る相手と同じ服装を選んでいたり。テレビで飽きるほど取り上げられたものだ。勿論双子に限った能力ではないしすべての双子がそうである訳ではないが、驚くほどのシンクロニシティを見せる人達が居るのは事実だ。

 つまりチョーワとはシンクロニシティの呼び名、ふたりの内心がよく調和(チョーワ)しているということらしい。


「性格は違うし相手の気持ちがどのくらい伝わってたかは分かんないけど、怪我とか風邪に関しては一〇〇%のシンクロ率だった」

「それはどういう風に?」

「片方が怪我をしたらもう片方も同じ所に同じ傷や痣ができる。朝陽が言うには、同じように怪我をしたんじゃなくて勝手に傷が浮かんでくるらしいけど。風邪はいつも同時だった」


 これは実に特殊な例かもしれない。まさに痛みを分け合っているということなのか。

 そう考えれば正哉くんが満月ちゃんの身体を心配したのにも納得がいく。下手をすれば胸に致命傷を負うことになるのだ。現実になっていたらと思うと意識が飛んで行くような心地がした。


――チョーワ、だよ。

 それならあの時、朝陽ちゃんには何が伝わっていたんだ。満月ちゃんには傷ひとつない、ただひとり朝陽ちゃんだけが死に至る傷を負った。何がチョーワしたって言うんだ?

 その答えまではすぐに到達できない。もっと深く考えなければならないだろう。質問を続ける。


「何かトラブルとか気になるようなことはなかったかな? ふたりの間のことでもいいし、どちらかひとりのことでもいいんだけど」


 それに関しては、あたしそういうの鈍いから分からない、と言われてしまった。里親の件ももしかしたら知らないのかもしれない。そうだとすれば話題には出さない方がいいだろう。

 聞けるとすればこのくらいか。意外にも饒舌に答えてくれて助かった。礼を言おうと口を開いたが、生憎先を越された。


「……これから何が変わると思う」


 相変わらず語尾を上げてはくれなかったけれど、それは僕への問いだった。

 何が変わるか。それは挙げればキリがないようだが言葉にするのは難しく思えた。一緒に生活していた人がひとり居なくなれば全く違う生活が始まるだろう。ただそんなことを答えた。

 しかし首は横に振られた。


「何も変わらない。一緒に生活していた人がひとり居ない、それだけのこと」

「それは大きなことじゃないかな」

「何で。同じ家に住んでるだけなのに」


 胸の奥で嫌な音がした。


「家族じゃない、ってこと?」

「血の繋がりを家族と呼ぶならそうだけど、そんなことは関係ない。結局誰しも初めからひとりぼっちなんだから」

「そんなことないよ」

「気休めは要らない。……人間は卑怯だから。大切な約束を裏切って、血の繋がりも平気で裏切って、簡単に嘘をつく。繋がりなんて無意味なんだよ。孤独に自分のために頑張るしかないんだよ」


 そう言って立ち上がる。薄情でしょ、と初めて笑みを浮かべた。決して楽しくもなく喜びの感慨もない。笑っている蓮ちゃんが一番苦しそうだったから。皮肉っぽく歪めた唇の端がきつく自身を押し留めているように見えたから。


「泣けない。あたしだって朝陽を間近で見たけど、泣けない。死んだって聞いても、そんな泣けない自分が嫌でも、あんな風に泣けない。

 あたしは、たか兄を責める資格なんてなかった」



 遠ざかっていく足音は寂しい音がした。引き留めてそれ以上何か言えるほど、僕は強くなかった。

 気休め、卑怯、裏切り……。僕が経験したよりも遥かに重いものを、その大きくない身体で引き摺っている。その気持ちを本当の意味で理解できない人間に気休め以外のどんな言葉があげられるだろう。

 ここに居る子供達は皆そうだ。愛されたくて、守られたくて、確証のある約束が欲しくて。それでもそのひとつも実感できずに「血の繋がりを平気で裏切られた」。

 それぞれの顔に浮かぶ屈託のない笑顔に、今更心が掻き乱される。その裏に押し込んだ悲しみはいずれ薄まることはあっても取り除かれることはない。深く広く、巣食うように根付くから。……分かったように思い巡らしてみても、僕に根付くものは比べてしまえば微々たるものだ。手を伸ばせば届いた確かな愛は、ちゃんとこの胸の中で温かい。

 僕の声ではきっと、どれほど重ねても陰を払うことはできない。けれどどこかにそれができる人が居るから。必ずそんな人と出会えるから。出会った時、決して見逃さないでと願う。彼女が孤独じゃないと思える日々が来るように――願うことしかできないけれど。



**********



 ノックすると返事より先にドアが開く。まだ目元の赤い清貴くんが顔を出した。


「あゆちゃん」

「今、いいかな?」

 

 室内は清貴くんの好きなロックバンドのポスターやグッズと、ゆうくんの新幹線の模型やブロックがひしめき合っていて、一言で言えば騒がしい部屋だ。統一感はないのにどこか安心する気もした。

 僕に椅子を出してくれた清貴くんはベッドの縁に腰掛けて恥ずかしそうに頭を掻く。


「さっきの俺、格好悪かったよな」


 それで慰めに来てくれたんだろ、と聞かれて僕は首を振った。清貴くんのところに来たのは話を聞きたかったのと心配したのとその両方があったけれど、否定したのはそこじゃない。


「格好悪かったなんて思わないよ。男なのにって思ってるなら気にしなくていい。男だって思いきり感情を出していい筈だよ」

「そうかなぁ。まぁ今更言ったって仕方ねぇけど」


 そう言って年季の入った勉強机に手を伸ばす。明らかに使われておらず物置と化したそこから写真立てを取り上げた。一度こちらに向けて見せてくれた写真は、今ここに居る全員で撮った集合写真。失われた命もそこでは強く輝いていた。清貴くんもじっとその写真を見つめる。


「蓮に言われるまでさ、考えないようにしてたんだ。本当は俺がおかしいって分かってたけど間違ってないって思い込もうとした。言わなきゃ皆にそんな奴だってバレない、だからなかったことにしようって」


 自分の心に気付かない振りをしようとした。でもできなかった。


「でも今はちょっとすっきりしてんだ、家族なのに嘘ついてちゃ疲れるし。蓮が言ってくれてよかった」

「そうか」

「けど蓮の方が心配だな。あいつ今頃自分のこと責めてるだろうから」


 事実、彼女は自分のことを責めていた。泣けない自分に責める資格はないと言っていた。そんな資格、誰が与えるものでもないけれど、自責の念に駆られる姿に容易く触れることはできない。 

 つい先程まで自分のことで涙していたのに、もう違う人のことを清貴くんは心配している。よく気付いたものだ、彼にとってこの家族は確かに繋がっているようだ。

 心配なのに様子を見に行かないのかと聞くと、それは駄目、と自嘲気味に笑う。


「気の利いたことのひとつも言えたらいいけどさ、俺頭悪いから絶対怒らせるし。蓮は俺なんかより余程強いからいつもひとりで何でも解決するんだ」


 こうして勘違いが生まれてしまう。決して強い訳ではなかった。寧ろ弱くて、弱い自分を守るために孤独を選んだけれど、そのせいで受けられる筈の助けからも自分を遠ざけてしまった。俯いた顔を上げるだけで、ずっと傍に居てくれていることに気付けた筈なのに。脆く霧散していくような不確かなものでないと信じられた筈なのに。

 人の寂しい心がもっと上手く伝わればいい。そして優しい心も。そうしたらきっと誰もが幸せでいられる。どうして不満や傷付けるものばかり過剰に伝わってしまうのだろう。

 何もできないのがもどかしい。何でもできると思っていた大人になっても結局この手には大した力なんてなくて。それを思い知っても尚望んでしまうのは、間違いではないと思いたいけれど。


 あいつは強いんだ。清貴くんはまた、蓮ちゃんをそう称した。


「殴られ続けるのに我慢ならなくて楯突いて逃げてきた俺と違って、蓮も他の奴らも訳分かんないままここに連れてこられてる。蓮なんてそん時小三だったらしいし、突然知らないとこに置かれて親も迎えに来なくて……って一番苦しい思いしたんじゃねぇかな。

 それでもあいつは自分の境遇から逃げたりしない、境遇を逃げ道にもしない。本当にすごい奴だよ」

「よく見てあげてるんだね」

「違う違う。あいつらがもう無理って思った時に颯爽と助けてやって株を上げるつもりなだけだから。俺はあいつらの兄貴だからな」


 そんな打算的なもののように彼は言うけど、本心はもっと繊細でシンプルだ。助けてあげたい、家族だから、兄貴だから。課せられた使命ではなく、ただそうしたいという気持ち。理由を付けなければ照れ臭くて表にできないから。

 蓮ちゃん。ここに君の声を待っている人が居るよ。颯爽と格好良くは助け出せないかもしれないけれど、きっと明るい場所へ連れ出してくれるよ。――君はひとりじゃないよ。




「そういや何か用事だったんだっけ?」

「実は皆から少し話を聞かせてもらってるんだ」


 脱線していた目的を果たすために改めて時間をもらうことにした。


「率直に聞きたい。もし朝陽ちゃんの死が自殺だったとしたら原因になるようなことがこれまであったかな?」


 清貴くんは他の人と同様に、何もなかったと答えた。明るく温厚な性格だから彼の知る限りは一度も、喧嘩や諍いはなかったと思うと話してくれた。蓮ちゃんの時とは違い、朝陽ちゃんに里親候補が居たことは知っていたものの実際に見た訳ではないらしく、やはり細かいことは知らないそうだ。しかし新たな事実も出てきた。


「その里親候補が最初にここに来た日、満月がやけに嬉しそうにしてたんだ。どうしたんだって聞いたら朝陽にパパとママができるかもって言ってさ。

 俺だったら双子の兄貴だけが引き取られるかもってなったら、悔しくて満月みたいに喜んではあげられないだろうから、まだ八歳の癖に大人だなって思ったよ」

「満月ちゃんは自分がひとりになることを不安に思っていたりはしなかったってことだね?」

「あぁ。満月は自分のことより朝陽の嬉しいことで喜ぶって奴だから。逆に、いつも自分の方が大きい怪我するのを良かったって言うんだぜ? みぃのより大きくならなくて良かったねって」


 既に聞いていた意見を真っ向から否定する解が出てきた。

 満月ちゃんはひとりになってしまえば壊れるような子ではなく、朝陽ちゃんが旅立てることを自分のことのように喜んでいた。チョーワによって余分に負い合う傷にでさえ、朝陽ちゃんへの安堵しか持っていなかった。それは一見異常にも思えるけれど、ただ何よりも朝陽ちゃんを大切に思っていただけなんだ。

 こんなに心強い後押しがあったなら、すぐにでも里親を決めることができたのではないか。しかし実際は保留もしくは破談になっている。となると里親側からの打診だろう。そうだとすれば断られたことがショックで自殺? ……飛躍しすぎているようだが、それ以外に頭が回らなかった。


「聞かせてくれてありがとう」

「いや、もっと色々朝陽のこと見ていてやれば良かった」

「……君はよくやってると思うよ」


 また気休めでしかない励ましを僕は贈る。頼りない気休めでも言葉が欲しい時がきっとあると思うから。

 ありがと、と頭を掻いた清貴くんがすっと背筋を伸ばして目を瞑った。何事かと様子を見ていると自信の篭った顔を僕に向けてきた。


「美奈子が帰ってきたぞ」

「え、どうして分かるの?」

「車の音。俺、耳は良いからさ」


  

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