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6.現場検証と彼の囁き

 玄関を出ると日差しが目に刺さるようで、僅かにほっとした。太陽の熱を感じる、それだけで解放されたような気分だ。室内はそれほど湿っぽい。

 乾いた土に伸びた雑草が揺れる。足を進めると細かな土埃が上がった。


「玄関は視角になるのか」

 

 壁に遮られた庭を覗き込んで僕は言った。

 

 陽だまりの庭の建物は一見すると家のようには見えない。四角柱をふたつ、縦と横にしてくっつけたような形状をしている。背の高い方に玄関があり、子供達の部屋、屋根裏部屋へと階段で繋がっている。低い方はリビングや職員の部屋があり、こちらは一階建てだ。

 ただの箱との違いは茜色に統一された屋根がついていることくらいだが、美奈子さんはそこが気に入っていると言っていた。なんでも「子供がブロックで作りやすいから」だそう。新しい我が家は簡単な形状の方が受け入れやすいのかもしれない。

 

 端的に四角柱をふたつと称したが、ふたつが繋がる部分の幅は異なっていて上空から見ても綺麗な長方形にはなっていない。一角だけ正方形に窪んでいる、そこが玄関だ。つまり庭に居ても玄関は視角になって見えないのだった。

 

「全員が庭に出ている時に何者かが侵入した、というのもあながち無いとは言いきれないな」

「となると、他殺の可能性も」

「でも入れても出られなきゃ駄目だよ。確か裏口があったよね」

 

 正哉くんが「鍵がかかっているだろうから」と言うので、中に戻ると真っ直ぐ風呂場に向かった。

 入ると脱衣所になっており、正面に洗面台、右手の曇りガラスの向こうに浴室が見える。そして左手にもドアがあった。窓のない茶色いアルミのドアでいかにも裏口といった雰囲気がある。

 聞いた通りドアには鍵がかかっていた。サムターンを回してドアを開ける。

 足元にはコンクリートブロックが置かれている。台の代わりに使われているのだろう、誰かのサンダルが無造作に載っていた。

 

 足跡がある。しかもくっきりと一人分、裏口から数歩行ったところまで残っている。それは地面の土が柔らかくなるほど濡れていたからだった。

 

「この足跡っ!」

「あ、それは多分たかくんのです」

 

 まさかの大収穫と思いきや、まさかの勢いで否定された。

 

「どうして分かるの?」

「歩さんが来る前、そこのプランターに水をやってもらってたんです。外に繋いでいるホースで」

 

 真面目に水やりをしていた清貴くんだったが、もう終わろうかという頃悲劇に見舞われた。どこからともなく蜂が飛んできたのだ。

 

「悪ぶってますけど、たかくん虫が大の苦手なんです。蜂って言ってもミチバチだから慌てなくても良かったのに、防衛に水を撒き散らしちゃって」

 

 この有様です、と呆れるように笑んだ。その内側の哀しみの色は当然隠せはしないけれど。

 足跡をよく見ると、確かに爪先がこちらへ向かっているのが分かった。楕円より膨らみを帯びた先端は丁度その場に残されたサンダルと同じ形をしている。同じく横縞に波打つ底からどろりと湿り気の多い土が落ちた。


「つまりその後ここから出た人間は居ない、と」

「鍵もちゃんとかかっていましたし」

「出入りするとすれば玄関しかない訳だ。でも……」

 

 入るのはいつだって可能だ。しかし出るのは? どこかの部屋に隠れていてもそこから出ていくのはかなり難しい。まして玄関から出る前提で考えれば、三階から降りてリビングの前を通って出ていくのはリスクが大きすぎる。

 そもそもこんな人目の多い場所を選んで入って来るのはやはり考えづらい。……初めから殺害目的で侵入したのでなければ。

 しかしたった八歳の女の子を殺したいほど恨む人間が居るだろうか。まずあり得ない。

 そして相手を選ばず無差別に殺害することを意していたなら、僕が生きているのはおかしい。庭で片付けをしていた美奈子さんに気が付かなかったとしても、玄関から入って最初に見つけるのは確実に、かくれんぼで鬼としてリビングに立っていた僕なのだ。無防備に背を向けている恰好の獲物を逃す筈がない。


 現場は三階奥の部屋だ。外部の人間が狙うには馬鹿馬鹿しいほど袋小路である。何が何でも捕まりたくて警察署の前で罪を犯す方が潔く思えるくらい中途半端ではあるが。

 こうして外部からの侵入者による殺人の線は消えた。――予想通りだ。

 

「やっぱり無理ですね。邪魔をしてすみませんでした」

「気にしなくていいよ。実際に見ないと分からないことは沢山あるんだから」

 

 高い位置にある肩を軽く叩くと、正哉くんは目を伏せた。どうしようもなくやるせない、その気持ちは十分過ぎるほどよく分かる。彼をリビングに帰すのは簡単だ、それでも彼の意思でここに居るのを否定するべきではない。

 僕は真実を追う、ただそれだけだ。

 

 

 

 二階までは、良かったのに。

 階段を一段ずつ上がる度、濃くなる臭い。拭い去れないままでいた鼻の奥に追い打ちをかけるそれに、頭の芯がぶれる。

 僕の足がふらつく前に背後でたたらを踏む音がして、咄嗟に伸ばした手は正哉くんの腕に届いた。心なしか先程より顔が白く見える。

 

「大丈夫?」

「……すみません、臭いが思ったよりきつくて」

「無理しなくていいんだよ」

「いえ、もう大丈夫です」

 

 えずきそうになるのを必死で堪えて拳を固めた。その姿は大丈夫には到底見えないが、先に進むことにした。

 ドアは開け放たれていた。それもそうだ、最後に出た僕が閉めずに降りたのだから。そのせいで改めて何の覚悟もできないまま、惨状を直視することになった。

 

 目に飛び込んでくる赤い跡。窓から差し込む光に照らされて瑞々しささえ感じる、緋色。禍々しく深い闇のような、血の色。散らされた花。

 アンバランスで不釣り合いな光景は顔を背けることも許してくれない。無惨に散らかされた赤い布切れの塊の傍に見えるから。もう舞い戻らないあどけなさが、薄れ行く意識の中で零した笑みが。「死なないで」――そんな無意味な言葉が溢れそうで、きつく唇を噛んだ。


 部屋に足を踏み入れてから気が付いた。床に光るものが幾つも転がっているのだ。しゃがみこんでひとつを拾い上げるとそれは大玉のビーズだった。何角形にもカットされた透明な表面に光が当たり、共鳴するように床でその光を返している。

 僕の前に出てきた正哉くんが落ちていたプラスチックの容器を差し出す。元々ビーズはその容器に入れて、入口横の棚の上に置かれていたらしい。指し示された棚にはペン立てが横倒しになって残っていた。


「当たっちゃったんでしょうね。その、ハサミを取った時にでも」


 振り返り、血溜まりの中に沈むハサミを捉える。先端がやや細く鋭利で、刃渡りも一般的な工作用のハサミと比べるとこちらの方が長く見える。持ち手がデザイン性の高い変わった形をしているのが印象的だ。全体の色は銀色をしているが光沢はほとんどなく、暗がりに落ちていれば気付かず通り過ぎてしまうだろう。……あれが、刺さったんだ。


 倒れていたペン立てにそのハサミも立てられていた。そうしてハサミを抜き取った時にペン立てが倒れ、隣にあったビーズの入った容器が床へと落下し、ビーズが散らばった。

 かくれんぼの時、床に何かがばらまかれたような音を僕は確かに聞いた。それは恐らくビーズが四方八方に転がった音だったのだろう。

 つまりまさにその時、ハサミが彼女の胸を貫いたのだ。

 

 

 血に濡れたハサミというのは、どうにも忌まわしさを纏うものだな。

 放り投げていたタオルを拾い、その上からハサミを掴んだ。まだ乾かない血でタオルは更にぐっしょりと濡れた。そう言えば手に付いた血をろくに拭きもせずに抱き上げてしまったけれど、満月ちゃんのワンピースには付かなかっただろうか。


「歩さん?」

「変わった形のハサミだね」

「裁縫が好きなおばばに美奈子さんがプレゼントしたものらしいです。アンティークで結構値のはるものみたいですけど、今は使わなくなったので子供達が使ってます。魔法のハサミなんて呼ばれているんですけど……こんな風に使ってほしくなかったな」


 それでここにあった訳か。三階の窓には埃が溜まっていたからこの部屋もあまり使われていないのかと思ったが、そうでもないらしい。周りを見ても放置されていた感じは全くしない。部屋の隅に取り残された書きかけの絵や黄色いクレヨン、開いたままの絵本を見るに今日も下の子達が使っていたのだろう。

 屋根裏部屋は使い慣れた部屋だった。そしてハサミも。使い慣れているからと言って事故にならないとは決して言えないが、状況が特異すぎる。ハサミが偶然自らの胸に刺さる事故はそう簡単には起きない筈だ。


 勿論、「自ら」でなければ状況は変わってくる。あの場には満月ちゃんも居た。可能性としてはそうした事故もないとは限らない。ハサミを持った朝陽ちゃんに満月ちゃんがぶつかって、というのは不自然ではないように思える。

 しかし、その時彼女達はかくれんぼの真っ最中なのだ。隠れるために入った部屋で、おもむろにハサミを手に取る? 考えられなかった。気紛れな年頃ではあるがこれまで見てきたところから察するに、あの双子は一度始めると誰かが止めるまで熱中するタイプの子達だ。気が削がれて遊びを放棄するのは考えにくい。ましてよく教えられた子達でもある。刃物の扱いは特に厳重に注意されているようだし、普段から使っているハサミを今更珍しがる訳もない。

――逆はどうだ?

 考えて、けれど同じことだ。これまでの理由に加えて、発見時の満月ちゃんは入口を入ってすぐのところで座り込んでいた。僕が立ち上がらせるまで動けなかったし、救急車を見送る時にやっと窓までの数歩を進んだだけだ。それほど目の前の光景に圧倒されていた。大きな部屋ではないが、朝陽ちゃんが倒れていた中央とは少し距離がある。満月ちゃんの持っていたハサミが刺さってしまった事故なら、ふたりがもっと近くに居るかそもそもの位置が反対である方が自然だろう。そちらの線もかなり薄く見える。


 自殺、なのだろうか。僕はまた、目の前の命をみすみす逃してしまったということなのか。


 ふと顔を上げれば正哉くんと目が合った。不安に沈む表情に、自分がどれほど険しく顔を歪めていたのかに気付く。これじゃいけない。溜息と共に力を抜くと何だか気が楽になったように思えた。

 

「知里さんのことはおばばなのに、美奈子さんは名前で呼ぶんだね」

「え、あっ、その」

「ごめん、言ってみただけだよ」


 こんな場所でするには不謹慎極まりない内容だったけれど、正哉くんがそれに不快感を示すことはなかった。寧ろ抑えた調子でこう言った。


「今は自分のことを考えてる余裕なんてないですけど、落ち着いたら相談に乗ってもらえますか?」

「……僕が力になれることはほとんど皆無だと思うけど、それでも良ければ」


 

 

 屋根裏部屋を後にして、話がしたいと隣の部屋に移った。

 これから聞くのはデリケートな部分だ。朝陽ちゃんのこと、家族のこと。その答えには恐らく個人的な主観も入ってくるだろう。仲が良い彼等だからこそ、妙ないざこざを招いてしまわないようにふたりきりで話がしたかった。所詮事情聴取だと言われればそれまでだが。


「最近、朝陽ちゃんのことで気になることはなかったかな?」

「いえ、特には。あの、歩さんは、自殺だと思っているんですか?」


 直接触れたくないことではあるが隠すことに意味がある訳でもない。素直に頷いた。


「自殺を考えるような子ではないですよ?」

「勿論だよ。でも状況を見れば他にないように思えるんだ。それに直前、あの子は僕に満月ちゃんがひとりになったら守ってほしいって言ったんだ」

「そんなことを……」


 やはりこの事実はどう考えても、自殺の予兆だったとしか考えられない。正哉くんも同じ考えだった。しかし「自殺を考えるような子ではない」という考えもまたもっともだろうと思う。何かに思い詰めたりそれを苦に死のうと決め実行するには性格的にも年齢的にも不釣り合いに思えた。

 正哉くんが声を潜めて言う。

 

「正直、みいちゃんだと思ったんです」

「え?」

「みいちゃんが自分を刺したんじゃないかって」


 一卵性双生児。誰もが動揺していたあの状況では同じ服装のふたりは見分けがつかなかった。しかし、大人しい性格の子とはいえ、満月ちゃんならあり得ると言えるほど彼女達に差はあるだろうか。


「あの子、あっちゃんのことは大好きだけど自分のことはあまり好きになれないみたいで」

「何か理由が?」

「ちょっと僕には。おばばや美奈子さんなら分かると思います」


 正哉くんはまだここに来て三年と比較的浅い。いきなり踏み込めない部分は多くあるだろう、特に女の子相手では。満月ちゃんのケアのためにも、あとで聞いてみよう。

 それ以上の情報を彼から得ることはできなかった。自殺に繋がるようなトラブルは勿論、これといった揉め事もなく平穏な夏休みを過ごしていたと言う。夏休み前に数件あった里親候補も保留になっており、外部の人間が一切入らない、稀に見るほど落ち着いた時期らしい。その中に僕が呼ばれたのはかなり光栄なことだ。


「お役に立てず、すみません」

「いいや、僕は警察じゃないし探偵でもないからね。ただ真実を知りたいだけの野次馬だよ」

「でも歩さんが居てくれなかったら何もできなかったと思います。必死に止血して助けようとしてくれていた姿を見たから、こうして立っていられるんです」


 だから、ありがとうございます。そう言って、正哉くんは頭を下げた。

 どれほど必死になっても助けられなかったことに変わりはないけど、これからどれだけのことができるかも分からないけれど。たった一瞬でもその疲れた中に安堵の色が見えただけで、僕は頑張れる。僕でも助けになれるって、信じられそうな気がする。だから悔しがってる場合じゃない。やらなきゃいけないんだ。

 乾く血に突っ張る掌を思い切り握り締めて、決意は一層固くなった。



 

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