幼気
その視線が、必死に椅子によじ登ろうとしているレヴィに集まる。ミーティング室に置かれているのは、キャスターと簡単な肘掛の付いたもの。
今のレヴィには高過ぎ、キャスターが動いてしまうので思うようにいかないようだ。
薗田が抱き上げてやるべきか、彼のプライドのために放っておくべきか、と、困ったような視線で周囲に問いかける。と、椅子がカラカラと走りだし、水色の髪の幼女がぽてりと床に倒れ伏した。
「あ」
数名の声が重なった、その三秒後。
「ふ、えええええん」
「お前さ、そんくらいで泣くなよ、普通」
「大丈夫か? どこかぶつけ……ふおっ」
床に突っ伏したまま泣き出す最強の魔獣の化身と、呆れたような火焔魔人の声に、周囲がおろおろと僅かに席から腰を浮かせる中、ロキがゆっくりと立ち上がり、起こしてやろうと傍らにしゃがんだ。
と、飛びこんできた人影に弾かれるように、バランスを崩して尻餅をついた。
「痛くない、痛くないよー」
「いたいぃぃ、うええええん」
「菅原さん……」
唖然とする全員の前で、素早くレヴィを抱き起し、少し赤くなった膝をさすり、頭を撫でてやっているのは、医務局の菅原。初対面でもめて以降、レヴィと一番疎遠だった彼の行動に、衝撃半分、茫然半分、僅かに、そして確実に、どん引き。
「うわぁ……」
「菅原さんって、そういう人だったんだ……」
「元々、妹たんハスハスの人だったけど」
周囲の秘かな声は全く聞こえないようで、当の菅原は、ポケットから取り出したタオルハンカチで、涙でぐしょぐしょになったレヴィの顔を拭いてやっている。
「ほら、きれいになった。もう泣かないで、ね?」
「か、かたじけない、すがわらどの。
泣いてはいけない、と、じせいしようとしているのだが、かなしくて、む、むねが、苦しくて、とめどないのだ」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、涙をこぼし、苦しそうにそう告げる。
その体が、ひょい、と宙に浮いた。抱き上げた自らの肩に顔を伏せ、しゃくり上げる幼女の小さな背を撫でているロキが、ため息を吐く。
「この調子じゃ、レヴィはしばらく戦闘、無理だね」
「むりじゃない!」
「んなわけねえだろ。転んで泣かれたら迷惑だ」
取りつく島もないエンの言葉に、むりじゃなーい、と、泣いてロキに縋る。
「呪いが解けるまでは、ロキ達も戦闘は休んだ方がいいんじゃないでしょうか」
「そうだな、清羅君に、解析を急いでもらおう」
大槻の言葉に、吉井も頷く。
ロキは人類唯一の希望。その事実は、妖魔に対抗する手段としてだけでなく、精神的な支えでもある事を意味する。
以前行方不明になった時は、日本だけでなく、世界中の治安が格段に悪化した。
ジェーナホルダーの能力や個人情報は、国際規約で極秘事項になっており、一般市民は彼らの私生活を知り得ず、ロキの失踪だけが、恐慌の直接の原因だと断定はできない。が、各国の上層部の動きを変える程に、彼の存在の影響力は大きい。死なずにいる事自体が、不安に折れそうになる市民の精神状態の、人類の平穏な明日を支える柱の一つになっているのは確か。
万全と言えない状態で、前線に出すわけにはいかない。
困った状況になった。少女になってしまってむっとする少年を、得意げに胸を誇示する褐色の美女を、転んで泣いている幼女を、微笑ましく見ている場合ではない。