95章 邪悪に嗤いし道化
ふと、気が付くと屋上にいた。
時間軸が微妙にズレたような違和感。
再認する己が意識。
どうやら今見える世界こそが紛れもない現実のようだ。
いつから奴の術中に陥っていたのか?
自らの未熟さを感じ、厭わしく思いながら身を確かめる。
外傷はなく身体は好調。
気力、魔力共に最高潮。
傍らを見れば、澱みを振り払う様に頭を振りながらヘルエヌを睨むミーヌの姿。
幾分かふらつきが見られるも状態は良好の様だ。
視線に気が付くと、嬉しそうに微笑み返してくる。
心が満たされる熱い衝動。
俺も安心させるかのごとくミーヌの瞳を見、頷く。
口元に浮かぶ、大輪の花が咲いたような至福の微笑み。
些細な事とはいえ、その笑顔だけで俺は満ち足りていくのを実感する。
そんな俺達を面白そうに観察するヘルエヌの表情は変わらない。
ただ少し驚いた様に眉を顰めている。
「へえ~ボクの自信作だったんだけど……打ち破ったんだ?
五感を支配し、精神に強制介入する支配魔術奥義<侵心>。
神々の助力があるとはいえ、こんなあっさり打ち破られるとショックだな。
身も心もボロボロにしてやろうと思ったのに」
「内面世界へ干渉する手際は見事と称賛するしかない。
最も抵抗が激しい精神面へ違和感すら抱かせずアクセスし、瞬時に改竄を行うとは……正に恐るべき奥義といえよう。
だが刷り込まれた内容が最低だった。
設定にも不自然さが多い。
策士としては分からないが、小説書きなら三流だな。
すぐに見破ってやったよ」
「アルに同じく」
俺と同様の術を喰らったのか、ミーヌが豊かな胸を張って賛同する。
小首を傾げ納得のいかない顔をするヘルエヌ。
「ふ~ん……。
参考までにどうして内面世界と知ったか教えてくれない?
アレは対象者の一番恐れる現実を抽象化した現実体験とする術。
自分が望まない未来に対し人は簡単に心が折れる。
そう、抗う事すら出来ないの筈なのに。
いつ施術されたか不明なほど、術式を扱う手並みは良かった筈だけど?」
「攻撃魔術と違い精神魔術は害意が明確で無い分抵抗し辛い。
感知しにくい術式だというのもあるし、練達の者ともなれば必要魔力は針の一刺し程で事足りる。
要は頭蓋に刺し込む最初の一手が大切なのだろう」
「そこまで理解出来てるなんて凄いな、君は。
どこで聞いてきたんだい?」
「昔親父から、な」
「それはそれは。
君の御父上はボクと似たような術者と戦った経緯があるみたいだね。
だから傾向と対策が立てやすいのか……
それで、どう対抗したのかな?」
「親父曰く『対抗するな』、と」
「へ?」
「相手はプロ。
素人の付け焼刃で見抜く事は無理だと。
ならば『全てを疑え』と教わった。
自らの理解する知識、技術、交友関係。
現実を歪める術式にはどこかボロが出る。
例えば俺はお前の術式を受け内面世界でミーヌに闇刃で刺された」
「ああ、確かそういう設定だったね」
「だがその時『熱い痛み』を感じた。
現実なら確かに刃で刺されたら熱さを感じる事もある。
けれど闇魔術の術式で生み出されたものなら、アストラルを傷付ける創傷となるんだよ。
依って寒さを感じる事はあっても熱さを感じる事は無い。
闇魔術という特性を知らぬが故の凡ミスだったな。
勿論、恒常的な対魔術用抵抗式をミーヌによって事前に施して貰っていたのも大きいが」
「成程ね~彼女じゃない彼女の扱う魔術にそんな特性があったとは……知らなかったよ。
しかしそれだけじゃ術を破ることに繋がる確証には至らないだろう?」
「ああ、もう一つシンプルなミスがあるぜ」
「? 何だい?」
「お前なんかにミーヌが好意を持つ行為をする筈ないだろう。
ミーヌは俺の女だ。
誰にも譲らないし、俺が一番可愛がってやる。
あんな風にお前に揺らぐか、馬鹿」
「アル……その、言葉通りだし、嬉しいが……
もう少し表現を……(ごにょごにょ)」
赤面するミーヌを強引に片手で寄せ抱きすくめる。
陶然となりながらも恥じらうミーヌがいじましい。
「言うなればお前は自分が厭う絆や信頼とやらに負けたんだよ。
そうだな、お前風に言うなら……
今どんな気持ち?
自信満々。
ドヤ顔で屋上一杯にまで描き廻らせた魔方陣と莫大な魔力を使った術を簡単に打ち破られて、一体どんな気持ち~?
答えてみろよ……ヘルエヌ・アノーニュムス!!」
「……にするな」
「あ?」
「ボクを……
ボクを馬鹿にするなああああああああああああああああああああああ!!」
激怒と共にヘルエヌの影から立ち昇る闇の咢。
獰猛なその牙を俺達は僅差で躱し接近する。
周囲が見えないほど我を忘れてる。
俺の賭けは当たった。
自らは決して表に出ず、策に嵌める事を必定としてきたヘルエヌ。
故にいざという時、必殺の意がない。
俺はそこに突け込めると睨んだ。
奴の本質は「成長できなかった子供」だから。
だからこの結果は必然。
ミーヌが魔力付与した闇の拳で襲い来る咢を迎え撃ち砕き、
その背後を潜り抜けた俺が聖剣の刃を伸長、俺に出来るありとあらゆる対抗術式をその光の刃に乗せ、ヘルエヌを守る障壁ごと横合いから斬り掛かる。
均衡は一瞬だった。
鬩ぎ合い光と闇が互いを貪ろうと咆哮を上げる。
けど所詮一人は独りなのだろう。
処理能力の隙を突く様に剣先を斬り返す。
反対側からの再度の斬撃。
それはヴァリレウスによって威力を底上げされ、ついに障壁を打ち破り真横に振り抜く事に成功する!
「え……?」
両断された自分を理解出来ないと言いたげに倒れ伏すヘルエヌの上半身。
延命や若返りの代償とでもいうべきか、下半身は血が出るどころか足元から風に吹かれる砂の様に崩れ去っていく。
無理に現界に留まっていた反動。
数多の犠牲の上に成り立っていた仮初めの虚心。
俺は歪んだその在り方に吐き気を覚える。
しかし刹那の攻防であったのに俺もミーヌも疲労の色が濃い。
しばらくは動く事も叶わずその場で荒い息をつき鼓動が静まるのを待つ。
そんな時だった。
「まさかボクが敗れるとはね……見事だよ。
けれどこれも必然と知ったら君達は驚くかな?」
邪悪に溢れるヘルエヌが語り出したのは。