94章 戯言に断切る勇者
「ミ……
ミーヌ……?」
誰何する俺の声にミーヌは答えず無表情に応じるのみ。
思わずその容貌に手を伸ばそうとする俺。
ミーヌは厭う様に避けると、突き刺さったままの闇刃を無造作に引き抜く。
「ぐはっ!」
勢いに呼応するかのごとく胸元から凄まじい量の出血が迸る。
明滅する視界。
急激に喪われる血に意識が跳び掛ける。
片膝をつき息を荒げる俺を飽いた様に見ると、ミーヌはヘルエヌに近付く。
そしてヘルエヌにしな垂れかかり、媚びる様に艶やかな表情を見せる。
邪悪に歪むヘルエヌの顔。
小馬鹿にする様に俺を見下ろす。
「あはははははははははははははははははは!!
ねー今どんな気持ち?
惚れた女に裏切られた気持ちはどんなものなんだい?
恋慕を重ね、両想いになった?
馬鹿だね~。
そんな都合のいい御伽話、現実にある訳ないだろうに。
君はそんな事を信じたのかい?
いや、ホント馬鹿と云うかお人好しだ。
全てはボクの筋書き通りさ。
君は最初から最後まで騙されてたんだよ。
哀れなる異世界の勇者君。
ミーヌに宿った異界の神々の力は確かに魅力的だった。
しかし簒奪するにも彼女には隙が無い。
そこで君を利用する事にしたんだよ。
君に思慕を募らせる要素をボクの自慢の洗脳魔術で精神にそっと忍ばせて。
窮地を演出すれば彼女が無理をするのは簡単に連想出来た。
結果彼女は魔力を使い果たしね。
そうして君を庇う為に力を割いた彼女を、精神・肉体共に貶める。
君は間に合ったと思ったろ?
残念、彼女は既に身も心もボクの忠実なる奴隷だよ。
光明だか希望だか知らないが、君は勇者の責務を果たせなかったんだ。
ん?
どうしたんだい?
ああ、出血で目が霞むのか。
それとも涙で前が見えないのかな?
無様だねーその面。
素直にボクに服従すればいいものを……
身の程知らずに刃向かうから、そうなる」
一軋り罵るとすっきりしたのか、ヘルエヌは俺に近付き顎を爪先で掬い上げる。
為す術もなく従順に応じる俺。
無抵抗な反応に気を良くしたのか、哄笑を洩らす。
「大体、愛だの恋だの嘘臭く曖昧な感情だ。
所詮仮初めの幻想。
種を継続する為に人に備わったプログラムに過ぎない。
時と場所、揺れ動く因子さえ備われば誰でも替りはきく。
その点、恐怖と絶望は素晴らしい。
シンプルにしてベスト。
人の生の感情が浮き出る。
さあ、君も堕ちるがいい。
甘美なる絶望の淵に惑いたまえ」
俺の髪を鷲掴みにし、嘲笑うヘルエヌ。
得意絶頂とでもいうべき愉悦に浸っている。
確かに奴の言う事にも一面の真理はあるのだろう。
ミーヌとの馴れ初め、加速するシュチエーション。
どこか作為的なものを感じていたのも確かだ。
策士気取りもいい。
だがそれ故気が付かぬ誤算が在る事を奴は知らない。
最初はぎこちなく擦れ違いながらも、細い糸を束ねていく様に強く結ばれる絆。
互いを知り、惹かれ合う心。
相克とも云うべき魂の在り方。
偽物から始まった想いかもしれなくとも、
俺とミーヌの想いは『本当』だった。
故に奴の戯言に付き合うのはもうこれっきりだ。
俺の中にある彼女の闇が激しく怒りと抗議の自己主張をしてるし、
手中の聖剣からは、
(いい加減目を覚まさぬか、ド阿呆)
という剣皇姫の思念がひしひしと脅迫するように伝わってくる。
だから俺は傷を物ともせず、立ち上がり様自分に出来る最速の剣速でヘルエヌを斬った。
心身共に屈した相手に警戒は不要と思ったのだろう。
回避する事も能わず身体の半ばまで斬り裂かれる。
「ば、馬鹿な!
お前の大切なものを奪い取って身も心も折った筈。
何故……何故動ける!?」
驚愕の視線で茫然と俺を見詰めるヘルエヌ。
苦笑しながら俺は答えてやる。
「さあ……何故かな?
ただ……理屈じゃ図り切れないものがこの世界にはあるのだろうよ。
それにいい加減、貴様の戯言遊戯に付き合うのも飽きた」
俺は聖剣の向きを変え自らに突き刺す。
間髪入れず対抗状態変化の最高峰、気と魔力の融和を発動。
黄金の闘気が立ち昇り身体を覆う。
更に聖剣が体内に潜り込んだ何らかの術式を砕くと同時、
世界が壊れた。