86章 口付に奪わる勇者
「あっ……んっ」
口付ける。
「うんっ……ん」
口付ける。
「ふあっ……ん」
口付ける!
「んん……
んー!!」
本能の命じるまま、俺は貪る様にミーヌの唇を奪う。
切なげに溜息を零していたミーヌだったが、突如身を翻した。
胸元を庇う様に腕を交差させながら、抗議するように俺を睨んでくる。
「い、いきなり舌を入れるでない!」
「あれ?
嫌……だったか?」
「嫌じゃないけど……
い、嫌じゃないけど……驚くわ!」
ほんのり上気し桜色に染まった頬が可愛いらしい。
俺は苦笑すると、むくれるミーヌの手を引き胸元へ誘う。
どこかビクビクと俺の様子を伺うミーヌの瞳。
多少の怒気を含みながらも陶然とした眼差しが何よりも愛おしい。
だから謝罪と意地悪の意を込めて耳元で囁く。
「ごめんな」
「うっ……」
「お前が愛おしくて我慢できなかった」
「そ、そうなのか?」
「ああ。やっぱ俺は勇者失格だな。
好きな女性の前では、どうしても欲望を押さえ切れない」
「そ、そんな事はないぞ。
アルは私に生きる意味を教えてくれた。
アルは私に生きる意義を導いてくれた。
アルは私を破滅から救い出しに来てくれた。
他の誰でもない。
アルは私にとって……間違いなく勇者なんだ」
「そっか……じゃあ俺も一つだけ」
「何?」
「俺にとって愛しい女性はお前だけだ、ミーヌ。
大切な存在、掛け替えのない人々は大勢いる。
でも共に在りたいと思ったのはお前だけだ。
今までも、これから先もないだろう。
だから誓う。
この身、この剣はお前を守る為に在ると。
勇者の誓いとして、今ここに誓約する。
汝に求めるは我が鞘とならん事。
返答は如何に?」
受勲を授与される騎士の様に傅き、ミーヌの手の甲へキスをする。
これは愛しい想いとは別に宣言する俺だけの誓い。
誓約にして制約となる成約。
誰かの剣になりたいと願う俺。
剣の主たる鞘と成るべき事を求める儀式。
ミーヌは驚いた様に俺を見詰め返すも、真剣な趣きで応じる。
「私で良ければ……喜んで御受け致します」
「主命を受諾。
想い出が追憶の彼方に砕けるまで、この身この心を汝に捧げん」
「アルは……私でいいの?」
「この瞬間より俺の想いはお前と共に在り続ける……
私で、何て言うな。
俺にはお前じゃなきゃ駄目なんだ」
「アル!」
感極まったミーヌが再度胸元に飛んでくる。
俺はその柔らかい肢体を優しく受け止めると、ミーヌに言った。
「さあ、私情はここまでだ。
俺達の帰還を待っている人達がいる。
帰ろう、現実世界へ」
「うん!」
重なり合う俺達の掌から膨大な光が放たれる。
楽園を照らす光は徐々に明るさを増していき、全てを覆っていく。
慈しみにも似た純粋な光輝に包まれながら、俺達の意識は共に何処までも上昇していくのだった。