85章 誓約に成約す勇者
幾度も幾度も確かめる様に、ミーヌをこの手に抱く。
労わる様に抱き締め返し俺の胸元に顔をうずめるミーヌ。
精神体とはいえ、その感触は現実面の肉体に準ずる。
間近に感じる確かな鼓動。
嬉しさに泣きながら微笑む、金髪碧眼の美しい少女。
何よりも失いたくない存在が俺の腕の中にいる。
変えられないその事実が心に沁み渡っていく。
「醒めない悪夢の中を彷徨う様な感じだった」
ふと見上げたミーヌが、俺の顔を見ながら述懐し始める。
安堵からやっと震えが治まった俺。
反対に語り始めたミーヌは指先が小刻みに揺れている。
短く切られたその髪を痛ましく見詰めながら、俺はミーヌの頬を撫でる。
その手を愛しげに自分の掌で包み込み、ミーヌは躊躇う様に続ける。
「もう駄目だと思った。
執拗に心と身体を苛むヘルエヌの術式と暴力による攻め。
殺意じゃない。
苦しめる事を喜びとする歪んだ悪意の発露。
見知った者達を私への人質として使い、武装解除を促す。
その周到さが……偏執性が理解出来なかった。
この世界に転生し、ミーヌ・フォン・アインツベールという人間になれた私。
でも相対的に私は弱くなっていったと思う。
法輪世界では凪の様に揺るがなかった怪物のごとき私の心。
なのに……この世界では耐える抵抗も空しく、徐々に蝕まれていったの。
だって私は知ってしまったから。
苦しいのが辛いんじゃない。
アルや皆に二度と会えないということが哀しかった。
誰にも知られず、こんなところで朽ち果てるのが怖かった。
だから私は無意識に使ってしまった。
我等の一族に伝わる秘儀<事象干渉>の力を。
そうして私は<停滞>した。
もう二度と会えなくなる事を朧気に感じながら」
一気に喋り涙を零すミーヌ。
荒い息が落ち着くまで俺は髪を撫でる。
猫の様に目を閉ざし陶酔するミーヌ。
やがて呼吸が整ったのか、再び可憐なその唇を開く。
「停滞した私を待ち受けてたのは自戒の連鎖。
自責と悔悟が織り成す後悔の檻。
誰よりも罪深い暗天蛇たる私の過去。
私は生きてはいてはいけないんじゃないか?
自問自答し、明確な答えがないまま堕ちていく。
あと数日で私は『壊れて』いたと思う。
でもそんな時、声が聞こえたんだ」
「声?」
「私を……
暗天蛇じゃない、ミーヌを呼ぶ声。
こんな私でもいていいと。
貴女といると幸せだよ、ってそう言ってくれる皆の声が」
「それは俺と共にここ(内面世界)に来た皆の祈りだ。
間違いなく真実の想いが込められた、な」
「うん。だからかな?
嬉しかった。
皆と在るのが。
満たされた。
皆に必要とされるのが。
私がここにいてもいいと、皆に認めてもらった気がして」
「ミーヌ……」
「そしてアルの言葉が一番響いた。
『人は誰しも孤独で哀しい。
だからこそ寄り添い合うんじゃないかな?
欠けたピースを互いに埋め合う様に』
アルの指摘通り、アルという存在は欠落した私の心を補ってくれる。
それに……」
「?」
「一緒に作っていこうと言ってくれた。
俺と共に、って」
「いや、あの、それは……」
慌てふためく俺。
そう、見様によってはプロポーズの様な言葉。
俺は当惑し、その発言を撤回すべくミーヌに弁解する……
……等という事もなく、ただ優しく微笑みながらミーヌの顔を両手で包み込む。
俺は英雄叙述詩に出てくる優柔不断な主人公が嫌いだ。
その気がないのに女性に期待を持たせるのは残酷だと思うし、寄せられた好意に応じられないならきちんと断るべきだと思う。
無論俺だって年頃の男だ。
様々な女性の容姿や身体、個性などに揺れ動く事もある。
だけどそれを凌駕し、
自制し、
心を潤してくれるのは最愛の人の存在。
いつの間にか、俺にとってミーヌはそんな大きな存在になっていた。
だから、
「アル……?
えっ!?
ふあっ……んっ……」
万感の想いを秘め、自らの唇をミーヌの唇に重ね口付ける。
誓いの言葉を。
この瞬間が永久に続けとばかりに。
語り尽くせぬ願いを込めながら。