84章 安堵に崩れる勇者
輝きの失せた後、周囲の風景は一変していた。
穏やかな陽光が色彩豊かな草花を優しく照らしている。
小気味よい涼風がたわわで鮮やかな果木を揺らす。
黄金の稲穂と麦が稜線を描き、澄み透った小川には様々な動物が水を求め集う。
命豊かな大地と脈動する木々の鼓動が静かに響き渡る空間。
そこは誰しもが夢に描く理想郷の姿だった。
変容した景色にただ驚く。
これほど劇的に変化したのは皆の祈りのお蔭だろう。
様々な人々の様々な想い。
頑なに心を閉ざしたミーヌを揺り動かしたのは間違いなく彼等だ。
皆を幸せに出来ないと嘆いたミーヌ。
しかし実際には彼女がいるだけで皆は救われ、幸せだったのだ。
支えられ支え合う比翼の幸福。
この世界で生きてきたミーヌの半年間は無駄じゃなかった。
俺が手助けできたのはホンの僅かに過ぎない。
切っ掛けとなる最後の後押し。
共に在りたいと願う本心からの言葉を届けただけだ。
でもそれが良かったのかもしれない。
シンプル故に純粋な想い。
偽りのない剥き出しの情動の数々。
装いもないそれらは、ミーヌの心を覆っていたあの内罰的な意識の象徴、無明の闇を見事に消し去っていた。
(これがミーヌの本当の心象風景なのか……綺麗だな)
幻想的とも云える光景に心奪われる。
その時、俺の耳が微かな足音を捉える。
俺は王宮庭園の様な広場を抜け足音を追う。
豊穣の楽園を抜けた先、こちらに背を向け、足元に寄り添う小鳥達と戯れる一人の女性がいた。
絹の様に鮮やかな金髪は肩口で切り添えられ、たよやかで華奢で守ってあげたくなる白い衣を纏った女性。
「ミーヌ……」
恐る恐る口にして尋ねてみる。
俺の誰何の声に女性は驚いた様に立ち上がる。
そしてゆっくりと振り返ったその女性は、
俺が今まで見た事もない程美しく微笑むミーヌだった。
美麗な容貌が神秘さを増し煌めいている。
ただ彼女に見られてるだけで、呼吸が苦しくなる。
何だコレ?
ヤバイ、マジで顔が赤くなる。
「ミーヌ、お前さ……」
「アル……ありがとう」
「え?」
「アルは私を……
決して救われない身である筈の私を、救ってくれた。
皆と幸せになれる世界を提示してくれた。
我は……私は幸せになっても良いと、
こんな罪深き私でも幸せになる権利があると主張してくれた」
「ミーヌ……生きとし生きる存在には義務があると俺は思う。
続く事と幸せになる事。
例えどんな咎人だろうが、この権利は失われない」
「私は多くの罪を重ねてきた存在。
この業は死ぬまで……
いや、死しても赦されないと思っていた」
「過ちは償え。
罪科は贖え。
死して楽になるのが罪なんじゃない。
忘却という彼方に追いやってしまうのが一番の罪なんだと思う。
だからミーヌ、生きろ。
お前が不幸にした者達の分までお前は幸せにならきゃ駄目だ」
「いいのかな、私でも?」
「いいんだよ、お前で。
皆が望むのはお前が幸せになれる世界。
お前が笑顔で暮らせる日々なんだから」
「アルも?」
「無論、俺もだ」
「ありがとう」
何度も繰り返される「ありがとう」の呪文。
その都度彼女の翠瞳から零れ落ちる涙。
俺はミーヌに近付き抱き締めると、その涙を指で掬う。
「んっ……」
恥ずかしがる様に身を捩るミーヌ。
俺はそんなミーヌにすら欲望を覚え、強く抱き締める。
「アル……」
そんな俺を拒絶するのでもなくミーヌは優しく抱き締め返してくれる。
幼子をあやす慈母の様に。
何故ならミーヌを抱き締める俺の身体。
前衛職として幼少から鍛え抜いたその身体は……激しく震えていた。
怖かった。
大切な存在が失われるのが。
認めたくなかった。
もう二度と触れ合えなくなるのを。
萎えそうな自己を虚勢で保ちながら希望を捨てずに突き進んできた。
こうして今、ミーヌを取り戻す事が出来たのは多くの方々のお蔭だ。
安堵からくる安心と弱さが澱のごとく湧き出てきて無様だな、と思う。
でもミーヌはそんな俺を受け止めてくれている。
俺の大切な人はここにいる。
改めて皆との出会いを感謝すると共に、運命に負けない強い絆があるのを俺は知ったのだった。