76章 万全に及ばぬ勇者
大手門を抜け、左に折れた坂道をほぼ真っ直ぐに上り、中門を抜ける。
すると本丸入り口である詰門跡が見えた。
ここから先は車が入れない為、徒歩になる。
封鎖されていた故か人気の全くない城門前。
城門を照らす照明だけが暗闇を駆逐する中、地面に降り立った俺達は楓の指示するまま門へ足を踏み入れる。
そして同時に気付いた。
微かに漂うだけだった霧が、城門を潜り抜けた瞬間、濃密になるのを。
さらに怨嗟の声に応じる様に空間に転移にも似た歪みが奔るのを。
するとどうだろうか?
先の戦争で焼失し、城跡のみで何もなかった敷地に本丸と西の丸からなる山城が朧気に照らされ揺らめき聳え建っていた。
天守台はあるが天守がない広大な城。
俺のいた琺輪世界でも五本の指に入ろうかという荘厳で堅牢な城だ。
こんな緊急時でなければ見惚れていたかもしれない。
だが霧に紛れ忍び寄るモノが全てを蝕み台無しにしていた。
それは生きとし生ける者を妬む禍々しき波動。
即ち、瘴気であった。
いったいいつから俺達は敵の懐中に潜り込んでしまったのか。
まあこれらが飛んできたのでない以上、俺達が強制転移させられたのだろう。
あの城門を潜る事がトリガーとなったかも知れない。
「これは……罠ですな」
「ええ、そうですね。
ここは云うなれば敵の御膝元です。
侵入者に対する備えは当然でしょう」
「どのような種別なのか分かるか、恭介」
「恐らく……異界化というものでしょう」
「異界化?」
「アルのいた転輪世界では何というのかは知りませんが、領域内を魔力で満たし心象風景を投影し世界を染め上げる術です。
人の身には過ぎた術法で、魔術協会では禁忌指定をしてますね」
「似たような術を使う輩は確かにいたな。
だがそれには莫大な魔力が必要じゃなかったか?」
「そうですね……資格無き者が世界干渉系の術を扱うには世界結界<阿頼耶>による平衡化を免れなく受けてしまいます。
世界を改変しようとする術、それには生贄ならぬ対価が必要です。
だからこそ、おそらく今も抽出し続けてるんじゃありませんか。
並外れた容量を持つミーヌさんの身体より膨大な魔力を」
「そうか……ならば早く行かなきゃならないな」
まず視界の確保が重要と、俺は光明魔術を皆に灯しながら静かに答えた。
驚いた顔で応じる恭介。
「どうした、恭介」
「いえ殊の外アルが冷静だったので」
「敵地で騒ぐ程馬鹿じゃないさ。
先程二人へ私情云々言ったばかりだしな」
「動揺はしないのですか?
想い人の窮状に。
そして何より、自分達の置かれた窮地に」
「それは……勿論惑うさ。
今だって不安に心は萎縮し、闘志は萎えそうになる。
本音を言えばこのまま逃走したい気持ちだ。
だがな、恭介。
俺はアイツと触れ合い教えてもらったんだ」
「何をですか?」
「人を想う事の素晴らしさを。
そう、恋っていうのが『その人から何かを獲得したい』という欲望であるならば……愛っていうのは『その人の為なら何かを失ってもいい』という覚悟なんだ。
今の俺は未熟でまだまだ万全に至らない矮小な存在だが、アイツに並び立つ為に痩せ我慢でも前に進むのさ」
「成程……人の心に疎い自分には分かり難い感情というか衝動なのですね。
自分は今まで何も生み出して来ませんでした。
ただ姫や機関の命じるまま災厄を滅ぼし続ける日々。
貴方の様な生き様を間近で見ると自分が恥ずかしくなる時があります」
「ん……それは自分を卑下し過ぎじゃないか、恭介。
恭介が戦ってきた事で救われた命は多かった筈だ。
俺の半生もそんな感じだったしな。
きっと俺達の様な『闘う者』というのは、自分の命を対価に他者の……
そう、「安全」を生産するんだよ。
胸を張っていいと思う」
思惑に耽る恭介の胸を軽く小突く。
恭介は納得が言った様に苦笑する。
「皆が貴方に惹かれる訳がやっと分かりましたよ。
貴方は誰よりも過酷な戦場を潜り心に深き闇を持つ者。
だからこそ内なる闇に負けない様、懸命に抗い輝きを放つ。
相克に吠えし夜明けの勇者。
そう、暁の様な生き様が皆に『共に在りたい』と願わせるのですね」
「大袈裟だな、恭介。
ただ……ありがとう。
アイツの闇を受け入れた俺を評価してくれたのは嬉しいよ。
暁の勇者……アイツの闇も入れて『暁闇の勇者』か。
結構嬉しい称号だな、それ」
素直に感動し、恭介に礼を言う。
「いえ、そんな……」
「お喋りはそこまで!」
恭介の言葉を遮り、先行しミーヌの足跡を辿っていた楓が緊迫の声を上げる。
本丸に通じる小口で俺達を振り返りながら楓は問い掛けてくる。
「これより先は敵の本拠地。
アルティア殿の探し人も間違いなくこの中に居ります。
ですが場内は罠や守護者が待ち受ける魔窟になります。
覚悟はお在りか?」
その問いに俺達は、
「おう!」
「ええ、無論」
と即座に応じた。
満足そうに頷き小口の閂を開錠する作業に取り掛かる楓。
これが未だ俺が経験しない、攻城戦の始まりだった。