4章 酒宴に揺蕩う勇者
庭園を抜けると、そこは魔法の国でした。
そんな御伽話の様なフレーズが脳裏に浮かぶ。
ヤバイ。
落ち着け、俺。
動揺する心を強引に押さえ、少し冷静さを取り戻そうと意味もなく聖剣の柄を握っては離し、離しては握ってを繰り返す。
しかしそんな事をしても目の前に広がる景色は変わらない。
その事実に俺は溜息をつく。
認めよう。
ここは確かに「異世界」だ。
っていうか、どうなってるんだこの世界は!?
街の大通りを無数の鉄の馬車(馬がいないのに走ってる!)が行き交い、長大な塔が所狭しと立ち並ぶ。
それに夜だというのにこの街の輝きは何なんだ?
松明じゃない魔導具の照明をこんな一般的に使うなんて……
ヴァリレウスの語った通り、
ここは俺のいた世界よりかなり進んだ文明を持つらしい。
呆然とする俺の脇で武藤翁(尊称を含めそう呼ぶ事にした)が懐から小さな板を出す。
「おう、儂だ。
今ヤツラに襲われてな……ああ、大丈夫。
儂も綾奈も無事だ。
実は気のいい兄ちゃんに助けられたんだ。
それで夜分すまねえが酒宴の用意をしてくれねえか?
ああ、迎えはいい。
もうすぐ着く。
おう、じゃあ後でな」
そう言って武藤翁は板を仕舞う。
武藤翁が独り言を言ってるのでなく、俺の推測が間違いでなければ、あの板は運命石の<囁き>に似た魔導具なのか?
「武藤翁……今のは?」
「うん? ああ、ウチの若いのに酒宴の準備を頼んだんだよ。
さっきの礼もあるし、今日は付き合ってくれるんだろ?」
「いえ、そうでなく……」
「もう~お爺ちゃんったら!
アル君は多分ケータイの事を聞いてるんだと思うよ。ね?」
「え? ええ。
見た事がなかったもので」
取り直す様に俺の腕を掴み確かめる綾奈の言葉に頷く。
「なんだ、アル。
携帯電話を知らねえのかい?」
「俺のいた世界にはないものでした。
似たようなものはありますが、高価な品か使い捨てで……」
「詳しい事情は聞いてなかったが……
アルは違う世界から来たとか言ってたな?」
「はい……
でも信じてくれるんですか? こんな話……。
俺ですらまだ事態を把握してないのに」
「こういう業界にいるとな、たまに噂に聞くんだよ。
お前さんみたいに魔法の様な技を使う奴とか、
人を襲う面妖な化けモンの事とか。
儂は信心深い方じゃねえが、目の前で見た事は信じる。
それに……何より、儂はお前さんを気に入ったんだ。
他に理由はあるめえ?」
「武藤翁……」
俺は武藤翁の器の大きさに素直に頭を下げる。
「お爺ちゃんってば、す~ぐ人を信じちゃうんだから。
ま、そこが大好きなんだけどね☆」
綾奈も苦笑しながら肩を竦める。
「あんまりおだてるな。何も出んぞ。
まあアルよ。
取り敢えず当座の身の振り方は儂に任せておけ。
悪い様にはせん」
「何から何まですみません」
「いいからいいから。
お前さんは儂らの命の恩人だ。
さっきも言ったが、
固っ苦しい話は抜きにして、儂はお前さんと飲み明かしてみたい。
ほら、着いたぞ。ここが儂の家だ」
庭園を抜けしばらく歩いた先に辿り着いた場所。
極東の国ヤマタイの様に木と瓦で作られた豪勢な門構えと豪邸。
これだけの家を大都市に持つなんて……
武藤翁は貴族かそれに準ずる身分なのか?
それとなく聞いてみると大爆笑された。
「そいつは愉快だ!!
いや~アル、お前さんはお笑いの才能がある!」
「そんなに笑っちゃ可哀そうよ、お爺ちゃん。
アル君はこの世界の事情も知らないんだし」
弁護する綾奈も涙を浮かべ爆笑している。
むむ……面白くない。
二人の笑い声を聞きつけてきたのか、一人の青年が母屋から出て来た。
隙の無い立ち振る舞い。
綾奈の様に護身でなく、本格的な武術を修めた者の動きだ。
しかもかなりの遣い手。
聖剣を持ち少し構えた黒衣の俺を一瞬鋭い眼差しで見据えるも、隣に立つ武藤翁と綾奈を見ると安心したように緊張を解く。
「組長、御無事でしたか!?」
心配そうに武藤翁に傅き尋ねる。
「おう。心配掛けたな、恭介。
奴等に襲われたが、こっちのアルに助けられたんだ。
大事な客人だ。持て成してくんな。
儂はちょっと着替えてから来る」
そう言い母屋へ入る武藤翁。
その後姿に頭を下げた後、恭介と呼ばれた青年は、
「はい、承知しました。
アル様……この度は組長が世話になりました。
細やかですが酒宴の準備が出来ております。どうぞこちらに」
母屋のすぐ手前にある座敷に通してくれた。
そこには様々な酒と海産物の盛り合わせが用意されていた。
中には<鬼殺し>や<魔王>等と銘を打たれた物騒な酒まで見受けられる。
「あ、美味しそう☆
私も参加したいかも~」
「綾奈嬢は未成年だから駄目ですね」
「ま~たそれ?
つまんないぃ~」
「ウチの事は自分に任されてる以上、そこは曲げれません」
「はぁ……しょうがないか。
じゃあアル君、詳しい話は明日ね?」
そう言うと綾奈は身軽に母屋の奥へと駆けて行った。
「何だか恐縮です……こんな夜分遅くに」
「いや、詳細は聞いてませんが組長達の命を助けて頂いたのでしょう?
それだけで感謝しても仕切れません」
俺にも頭を下げる恭介。
俺はそんな彼を必死に止める。
「いやいや、頭を上げてください。
そんな風にされたら俺が困ります」
「しかし……」
「こんな素晴らしい酒宴を用意して頂いたんですから、それで貸し借りなしで」
「そうですか?
じゃあこの場は一端引きますが、まだ足りませんからね?」
「そうだぞ。まだまだ足りんな」
着物に着替えた武藤翁が苦笑しながら入室してくる。
「武藤翁まで……」
「何度も言うが、お前さんにはホント感謝してる。
だがこれはたんに漢同士の飲みがしたかっただけのことだ。
まずは座りな」
「はい」
「んじゃ恭介、お前も一緒に杯を持て」
「よろしいのですか?」
「お前も身内みたいなもんだ。いいから早く」
三人が酒杯を持ち俺達は武藤翁の言葉を待つ。
「んじゃまぁ……
奇縁を以ってここに集った儂らだが、
生まれた日は違えど、
死すときは同じ年、同じ日、 同じ時を願う……」
「組長、それ桃園の誓いです」
「ありゃ、バレたか」
頬を掻いておどける武藤翁。
桃園の誓いとやらが何か分からないが、
おそらく英雄叙述詩か何かの引用なのだろう。
意外と茶目っ気のある御老人だ。
俺も思わず破顔した。
「お? アルの笑いも頂いたところで……乾杯!」
「「かんぱ~い!!」」
掛け声と共に盃を合わせる。
異世界に来て早々に酒宴に参加する俺。
まあ今この時だけは勇者でなく一人の漢として飲み明かしたい。
気のいい漢達に囲まれ酒杯を重ねながら、俺はそう思うのだった。
……遥か琺輪世界で平和の為に散って逝った仲間達の鎮魂の為に。
俺は泣けない涙を、酒を飲む事で誤魔化したかったから。