44章 空虚に憂いる勇者
「アル」
背後から掛けられた声に俺は振り返る。
気配から敵意は無い事は確信していた。
いや、こいつらに限って俺が見誤る筈がない。
虚ろなる幻魔が各国で暗躍し、疑心暗鬼に駆られた人々が争い合う無情な世界。
だが仲間と築き上げた確固たる絆が俺達を結び付けていた。
振り返った先、そこには見慣れた仲間の姿があった。
歪曲の魔術師エゼレオ。
終焉の神官長フィーナ。
静寂の闇糸使いカイル。
共に大戦を潜り抜けてきた戦友であり冒険者仲間でもある。
「何を見ていたんですの?
主役の座を放り出して」
真新しい傷跡が目立つ純白の法衣を翻し、フィーナが尋ねてきた。
彼女は大貴族の出身のお嬢様だったが、政略の道具に使われるのが嫌で出奔。
格式あるプロン寺院で修行を積んだ歴代最高位の聖女。
清楚な佇まいに騙される輩が多いが、このパーティで一番好戦的なのは彼女だ。
回復役なのに猪の様に特攻しメイスを揮いたがる(実際かなり強いのだが)彼女を押さえるのに、俺達は随分苦労させられた。
「まったくだ……
人族の御旗であるお前がいなくては、酒宴も盛り上がるまい」
陰鬱な声で呟くのは蒼色の長衣に身を包んだエゼレオだった。
俺は行った事も見た事もないが、エゼレオは魔術協会ではないサーフォレム魔導学院出身の魔術師だ。
世界から魔術の素質を見込まれた者達が集い英才教育を受ける中、それでも将来を嘱望された程の才能だったという。
しかし本人は栄誉を捨て野に下り実戦的な魔術の腕を磨いてきた。
俺達の仲間となったのも、より実戦的で効率的な理論の実践を行う為だと豪語して憚らない。
でも本当は、本音を口出すのが下手なだけの繊細な奴なんだけどな。
「そうだぞ。
各国のお偉いさんにオレが上手く言っておいたからいいものの」
軽い口調で苦笑するのは黒装束に身を包んだカイル。
東方地方の出身で跡目争いに嫌気が差して中央大陸に来たそうだ。
闇糸と呼ばれる、魔力付与が施された特殊な鋼糸を自在に操り敵を喰らう。
俺達の仲間に加わったのは行き倒れていたとこを介抱した事が切っ掛けだった。
それ以来俺達に恩義を感じて同行してくれている。
軽薄そうな成りは表層だけで、こいつの内面は義理堅く誇り高いのだろう。
「ん……外をな、見てたんだ」
華やかな宴が催されている王宮が目に入る。
人類の反攻作戦、決戦前夜。
それが必要とはいえ権力者に媚び支援の約束を取り付けるのに俺は厭いていた。
人族の御旗として心にもない御高説を語る事にも聞かされる事にも。
再び振り返った俺は王城のバルコニーから眼下を見渡す。
王庭と練兵所には無数の篝火が灯され各国から集められた騎士や兵士たちが酒を酌み交わしていた。
恐怖を誤魔化す為だろう。
皆、大いに飲んで騒いで笑って……涙していた。
「明日、何人が生き残れるかと思ってさ」
「アル……」
沈痛な表情でフィーナが顔を伏せる。
鋭い彼女なら気付いているのだろう。
エゼレオが皮肉に唇を歪ませ呟く。
「連合軍などは体裁のいい名称だ。
実際の所はお前達勇者を御旗とした『百人の勇者』が隠密に事を運ぶ為の陽動に過ぎない。
幾ら精鋭揃いとはいえ、高位魔族には通用しない」
「そこまで分かっていながら何で皆戦えるんだ!
明日、皆死ぬんだぞ!?」
「オレ達を、信じてくれてるからだ。
無駄死にではなく、未来に繋がる犠牲だと」
「カイル……」
「そうですわ、アル。
皆は死にに行くのではありません。
生を、人族の未来を勝ち取りに往くのです。
死ねと言われて誰が死ねますか。
自分達の屍の上に、わたくし達の勝利を信じるからこそ皆笑顔で戦えるのです」
「フィーナ……」
「論理的思考ではない……
だが時に想いは限界を超え常識を打ち壊す。
お前ならやれると皆思っているのだろう。
三年前は洟の垂れた様な妄言をほざく若造だったお前が、その弛まない努力と熱意で自らを鍛え、人々を動かし、そして勇者となった。
人はお前に限りない可能性という希望を見い出すのさ」
「エゼレオ……」
皆の言葉が心身に浸透してゆく。
そうだ。俺は何を気負っていたのだろう。
俺は決して一人ではないというのに。
こんなにも俺を理解し支えてくれる仲間がいるというのに。
こんな俺を信じ戦ってくれる皆がいるのに。
そう、闇夜に燈るあの篝火一つ一つが命の燈火なのだろう。
人族の存亡に打ち勝つという夢の様に揺らぐ儚い篝火。
「おお!! 勇者様だ!」
「その仲間の方々もいらしゃるぞ!!」
俺達に気付いたのか騎士が、兵士達が歓声を上げる。
「ほら、アル。行ってやれ。
そして見せつけろ……お前という存在を。
皆が、笑って死ねる様に」
「……ああ」
儀礼用の礼服を脱ぎ捨て、腰元から聖剣を抜き放つ。
照明呪文を聖剣に灯し皆に見えるよう掲げる。
「見ろ! 神々の魂を宿した神担武具<聖剣シィルウィンゼア>だ!」
「その刃に抗う魔は無しと謳われる伝説の聖剣だ!!」
「光明の勇者万歳!! 王国連合軍万歳!!!」
怒号とでもいうべき大歓声が連呼される。
しかし俺の内面を占めるのは、勇者にあるまじき空虚であった……
(……ここは? アルの精神世界?)
精神体となったミーヌは掻き消されそうになる意識を束ね自らを認識した。
(危ない所であった……。
もう少しでアルの意識に同化し、取り込まれてしまう所だった)
どうやらアルの内面から過去を追従する形となったらしい。
本人の記憶に依存する為か、その時の情景や気持ちまでもがダイレクトに伝わってきて覗き見をしているような気恥ずかしさが沸き立つ。
(すまない、アル。
だが我は見つけるぞ。
汝が汝たる在り方を為した、始まりの因を)
ミーヌは防御術式を強化するとさらにアルの深層意識(過去)へとダイブするのだった。