43章 後悔に紕いし少女
罅割れたステンドグラスから月明かりが零れ落ちる。
造りはしっかりしているも、森に囲まれた悪条件なのか教会は劣化していた。
冬の到来を予感させる冷たい隙間風が時折迷い込む。
(寒さが少し堪えるな……それに結界か)
簡易魔術を連続詠唱。
緩やかな温風を教会内に巡らせる。
そして外敵探知・気配遮断等の複合結界を教会の周囲に張り巡らせた。
(これで良し、と。
当分追撃はない筈。あとは……)
不安げに彫像に抱えられたアルを見やる。
その顔色は血の気を失い幽鬼の容貌を為していた。
心配になり胸に耳を当ててみる。
微かに脈動する心臓。
だが徐々にその力強さを失っていく。
(もう一刻の猶予もない)
ミーヌは使い魔たる彫像に命じると、アルを祭壇のような台へ横たえた。
「ありがとう……
お前は周囲を警戒してくれる?」
ミーヌの指示に彫像は歓喜の声を上げると翼をはためかせ出ていく。
その動向を見る事無くミーヌは精神統一に入る。
身振り手振りを交え複雑な呪紋を織りなす高位複合呪文を詠唱。
アルを中心として幾何学的な儀式魔術が展開される。
(この世界の神々よ……
その聖域を我が汚す事を赦し給え。
だが願わくばこの儀式魔術の成功に力添えを願う)
ミーヌは異界(日本)の神々に謝罪すると、魔術の術式を解放する最後の詠唱に入る。
ミーヌが取り扱おうとするのは闇魔術の上位呪文「夢現なる微睡みの目覚め」という術式だった。
通常「霊的な設計図」に負った傷は自然治癒に任せる以外に方法がない。
人為的な手段としては高位治癒術師や大神官による法術があるがこれとて成功する可能性は低い。
だが闇魔術師たるミーヌの場合、治癒ではない違う方面からのアプローチが可能だった。
ヘルエヌの闇魔術を用いた洗脳術式が如何なるものか解析し解呪するのは時間が掛かる。
さらにどのような副作用がアルに及ぶか分からない。
よって今しがたアルへ施すのは、術者が精神体となり対象者の精神へ潜行。
過去へ干渉する事によって霊的な設計図を対象者に再構築できるよう助力するというもの。
しかし本来は禁忌の精神干渉系の魔術に属する上、この魔術の本質は「対象者の内面世界を弄び絶望を招く」というべきものであった。
破壊を主体とすべき術式をミーヌの才能で強引に変更しているに過ぎない。
だがアストラルが損傷している以上、治癒魔術を掛け続けてもHPの上限が削り切れてしまう。
そうなった存在の最後は霊的な意味の喪失、即ちイデア・ロストだ。
ロストしてしまえば蘇生どころか転生も叶わない。
(アル……汝の心を我は汚してしまうかもしれぬ。
我を赦せとは言わない……
だが、それでも我は汝を救いたいのだ……。
そう、例え命を喪う事になっても)
ミーヌの悲壮な決意の通り、この術式には致命的な欠陥があった。
従来の術式は剥き出しの精神世界を眺め弄るもの。
自らが傷付く事はない。
だが今ミーヌが行うのは自分を一時的に精神体に変換させダイブするもの。
言うなれば剥き出しの心で相手の精神世界へ干渉しなくてはならない。
人族に限らず知的生命体は複雑な精神構造と自衛免疫を持つ。
激しい拒否がみられた場合、ミーヌ自身の精神体が傷つけば現実世界のミーヌも傷つく。
緩衝防御や免疫偽装等の魔力障壁を身に纏うが、どこまで持つか分からない。
(危険は重々承知。
アルの心を汚す事も厭わない。
我は……悪い女だな)
自嘲するげに口を歪ませるとミーヌは衣服を脱ぎ一糸纏わぬ姿となる。
少しでも同調性を高める為。
とはいえ、この世界での自分は琺輪世界の自分とは違う。
羞恥に顔が上気していくのを止められなかった。
逞しい肉体をはだけさせたアルの上に跨り、その頬を両手で抱く。
精悍で希望に満ちた瞳を持つ人族の勇者。
偶発的要素で一時期は嫌悪したその容貌が、今はこんなにも愛おしい。
(アル……もし無事に終えたら我は汝に……)
惑いと躊躇いが手元を震わせる。
(いや……これは未練だな……
こんな我が、アルに好かれる訳がない……)
諦めと後悔が端正な容貌をよぎり目を閉ざさせる。
やがて逡巡する想いを束ね眼を開いたミーヌは、魔術の発動条件であるアルの口元へ緩やかに口付けた。
(嫌われても貶されても構わん。
我は……汝のあたたかい笑顔がもう一度みたい!)
ミーヌの渾身の想いを受け、儀式魔術が発動した。