40章 優雅に現れし美姫
「アル! アル!!」
斜陽に照らされる屋上を染め上げてゆく、鮮烈な紅。
倒れ伏したまま動かないアルティアへ、ミーヌは必死に呼び掛けながら回復魔術を施し続ける。
強大ではあるものの、汎用性に欠けるのが闇魔術の欠点である。
回復系の術式も基礎レベルに留まり、ミーヌ程の術者でもアルを快癒させる事は叶わなかった。
否、本来であれば既に致命的な損傷をその魔力で強引に紡いでいるというのが正しい。
だがそれも所詮は応急処置。
抱き締めている身体がどんどん冷えてゆく不気味な感覚が、ミーヌに言い様のない恐怖を抱かせた。
「フフ……無様ね、ミーヌさん。
普段貴族然とした貴女ともあろう人が……
あの方が危惧した存在が、そんな有様を晒すなんて」
アルに縋りつき、今にも涙を零しそうなミーヌを侮蔑する様に嘲笑う名無。
少女の在り方に劣等感を感じていた反動からか、背筋をのぞるような喩えようも無い嗜虐心に駆られる。
「簡単には殺さないわ。
あの方の下僕達と共に、貴女を弄り遊んであげる」
嫣然と告げる名無の魔方陣がついに完成し、ミーヌ達を取り囲むように召喚の輝きをあげる。
そこに現れ出でたのは虚ろな表情を浮かべた老若男女。
その数36。
実にそれだけの人間がヘルエヌの手によって傀儡と成り果てたのだ。
無論一般人をベースとしてる故、特殊な力などは一切ない。
しかしヘルエヌの洗脳術式によって筋力のリミッターが強引に外されている為、死をも恐れぬ悪鬼となり襲い来る。
その状況にミーヌは悔しさに唇を噛む。
先程の障壁を貫いた魔力光レベル相手なら、幾らでも戦い様があった。
名無個人を相手をするのならば。
されど数の暴力に対し、意識のないアルを守りながら無事に切り抜けるのはまさに至難の業である。
防御障壁と回復術式を併用させるも時間の問題。
膨大な魔力量もいつかは尽きる。
いや、傀儡に足止めさせてる間に魔力光を連打されればそれだけで詰む。
「さあ、逝きなさい!」
淫靡に光る舌で口を舐め回し宣言する名無。
その命令に咆哮をあげて応じる傀儡。
攻撃術式を用いずとも、魔族の女王<暗天蛇>たる以前の自分なら躊躇なく傀儡達を排除できた。
でも転生したミーヌでは助けられる可能性があるなら躊躇ってしまう。
だって今の自分は『人間』なのだから。
魔族ではない人間なら、同胞を助けようとする筈。
それこそ短い間とはいえ惚れた男から受けた啓示の一端。
(ならば……
我も守ってみせる!!)
その決意と共にアルを更に強く抱き締め障壁を強める。
奇跡でも起きない限り、場の優劣は逆転できない。
それでもミーヌは絶望に抗い希望を信じた。
故に起きる奇跡。
ミーヌ達に迫った傀儡達は鮮やかに煌めく閃光に倒れてゆく。
聖剣を手にした見目麗しい法衣姿の美姫によって。
美しさと激しさが慄然となる様は、まさに剣で舞うがごとし。
「本当に不甲斐無い主様じゃな……
妾の手を直接煩わせるとは」
その正体は思念体たる階位を強引に越え、物質界に具現化したヴァリレウスであった。
自らの憑代にして分身である聖剣を振るい、瞬く間に法衣を翻し傀儡達を斬り捨てる。
「なっ!
いったい何処から!?」
「正義の味方は遅れてやってくるのじゃよ……
英雄叙述詩の定番じゃろ?」
狼狽する名無におどける様に肩を竦め応じるヴァリレウス。
その間も剣を振るう動きが一瞬だとて止まる事は無い。
まるで流水の様に自由自在に傀儡達の間を斬り抜けてゆく。
「い、いいの!?
傀儡達はまだ人間に戻れるのよ!?」
「脅しとしては三流じゃな。
誰かに刃を向けた以上、淘汰されても仕方ないではないか。
……と、以前の妾なら思っていたのだが」
剣で足元の傀儡達を指し示す。
その身体に傷はない。
どころか気絶こそしてるものの、まるで憑き物が落ちたかのようにさっぱりとした血色の良い顔色になっている。
「聖剣たるシィルウィンゼアはこの世非ざる常世の剣。
その本質は魔を斬る事に特化しておる。
担い手の技法にもよるが、妖しの術に惑わされてる人間達を傷付けずに、その身に巣食う魔(術式)だけを切り捨てるのも可能なのじゃよ
まっ、我が主の影響か……
随分と妾も甘くなったものじゃな」
苦笑するげに形の良い唇を歪ませる。
「くっ!
ならば増援を呼ぶまで!!」
舌打ちした名無の手に召喚の魔方陣が光り今度は妖魔達の軍勢が屋上を満たし始める。
「おおっと。手品のタネが尽きぬ様じゃな……
ホレ、これで最後じゃぞ」
最後の傀儡を斬り捨てるや、その安否も確認せず激しい剣風を巻き起こし傀儡達を強引に屋上から排除する。
巻き添えを恐れての行動なのか、一人ずつ介抱するのが面倒なのか……あるいはその両方なのか。
屋上から叩き落された元傀儡たる人間達は、各々ヴァリレウスが形成した魔力場に包まれ緩やかに人目の無い裏庭へ落ちてゆく。
「剣皇姫ヴァリレウス……
まさか、現界するとは……」
「久しぶりじゃな、ミィヌストゥール……
神代の時代より、数えて数千年ぶりか」
驚愕するミーヌに対してヴァリレウスは優雅な微笑みを以って応じるのだった。