23章 戦慄に震えし勇者
「おはよう、アル君!」
客間として借りている和室の障子戸を勢い良く開け、華やかな学園の制服を身に纏った綾奈は開口するなり元気に言い放った。
「おう。おはよう、綾奈」
俺は朝の鍛錬で汗ばんだ衣類を脱ぎながら応じた。
濡れたタオルで汗を拭い、アンダーウエアを着込んでいく。
ん? みるみる綾奈の顔が赤らんでいくが、何故だ?
ひょっとして昨夜盛られた妖しい毒物の薬効が今頃効いてきたとか?
俺は心配になり、発熱したかのように上気した綾奈の額に手を伸ばした。
すると綾奈は俺の手を両手で掴むやにっこり微笑み、大きく息を吸う。
そして思いっきり大きな声で、
「アル君の……エッチいいいいいいいいいいいいい!!!」
と叫び、けたたましく出て行った。
人聞き悪い悲鳴である。
「な、何なんだ……いったい……」
男の俺の裸なんぞを見て悲鳴を上げるのか、この世界の女性は?
琺輪世界では貴族の婦女子とかが鍛錬所で汗を流す俺達を見てキャーキャー喚いていたが、そういう黄色い悲鳴ではないようだし。
異性の裸など、珍しくもあるまいに。
「よく分からん……」
俺は綾奈の出て行った廊下を眺めながら頬を掻いた。
足元の聖剣の宝珠から、
(女心が分からぬ、度し難い阿呆じゃな……)
とあきれた様に呟く声が響いたような気がしたが。
「さっきのは酷いんだからね、アル君!」
「すまん。
えーっと、よく分からんが、謝っておく」
朝食を共に囲みながら、膨れっ面の綾奈に俺は頭を下げる。
でも裸体を見られたのは俺なのに、何故謝らねばならないのだろう?
何か不条理な気がするのだが。
「いい? サプライズで裸体を晒しちゃ駄目なの。分かる?」
「分からん」
「もう! 頻回にチラリなイベントが披露されると、新鮮さと有難みが無くなっちゃうでしょ!?
ヒロインはここぞという時に脱いでなんぼなんだから!」
「いや、俺は男なんだが……」
「黙らっしゃい!
萌えの求道に関しては私が先輩。
後輩の貴方は黙して傾聴すること。よろしい?」
「はあ……」
「むむ。気のない返事ね。
まあいいわ。そもそも萌えの分類とは……」
そんな調子で謎の講義を10分近く拝聴する事となる。
内容はよく理解出来なかったが、綾奈がこんなにハイテンションなのが何故かは推測できた。
不安なのだ。
直接暴力に曝された一昨夜。
間接的に、されど危うく身も心も陵辱されたかもしれない昨夜。
見えないプレッシャーは綾奈を少しずつ蝕み、精神を侵していってる筈だ。
この空元気はそれに負けない為の、云わば自浄作用。
こうして騒ぎ立てる事で少しでも確固たる自分を保とうとしてるのだろう。
恐怖に打ち負け、部屋に引き籠ってもおかしくはないのに。
健気で頑張り屋さんな、綾奈らしい対処だ。
「さあいい?
『べ、別にあんたのためじゃないんだからね!』は<ツンデレ>。
『貴方が望むなら、なんでもしてあげる……
ずっと私と一緒なんだからね……永遠に……』は<ヤンデレ>。
じゃあおさらい兼復習。
『旅行なんか行く気はさらさらないけど……
でも、君が行くなら付き合ってあげてもいいよ?』
この種類は何!?」
……本当に恐怖に負けない為の精神安定行為なのだろうか?
俺は若干(いや、かなり)疑問に思いつつ、綾奈の質問に応じる。
「えーっと……ダルデレ?」
「ブブー!! 正解は<クーデレ>!
もう一回再教育だね」
嬉しそうに舌なめずりをする綾奈。
ああ、あの笑みは格好の獲物を前にした、北方地方最強妖魔ランキング一位の氷雪狼の獰猛な笑みによく似てる。
俺は吹き出る嫌な汗と戦慄を堪えながら、武藤翁を迎えに行った恭介の到来を待ち望むのだった。