9章 指摘に傾げる勇者
事務的な手続きをしてくる、と言い残し武藤翁は出て行った。
明日からでもさっそく入学できるとのこと。
知り合いである学園長にさっそく交渉しに行くらしい。
そのフットワークの軽さに俺は苦笑するしかない。
綾奈も通学の時間ということで着替えて行った。
どうやら学校へは定時で通わねばならない様だ。
基本琺輪世界において学生は寮生活で、学校に寄宿するのが当たり前だった。
些細なことで差異があるもんだな。
朝御飯の食器を片付け、恭介に礼を言うと、俺は自由に使って良いと許可された客室を締め切る。
昨夜からこっち、本当に色々な事があった。
まずは剣皇姫と今後の事について話し合うのが重要だろう。
「我解くる封印の戒め。
静謐なる古き褥より来たれ星々の煌めきよ……」
解封の言霊と共に聖剣の宝珠より艶やかな女性の思念体が浮かび上がる。
しかしいつも悪戯めいた余裕を浮かべているその容貌は曇っていた。
「おはよう、ヴァリレウス」
「おはよう、我が主よ」
「浮かない顔だが……
どうかしたのか?」
「お主……
そうか、やはり気付かぬか」
「? 何がだ?」
「いや、昨晩から感じておったのじゃが……
お主は疑問を感じないのかえ?」
「?」
「何故、異世界人と<普通に>会話をしておるんじゃ?
念話で話す妾ならいい。
世界は違えど、人の魂の在り方に変わりはないのだから。
じゃが妾にとってすら未知の言語を、何故汝はスラスラと諳んじる?」
「それは……いや、だって……」
当たり前過ぎて気付かなかった。
そうだ。何で俺はこの<ニホンゴ>とやらを話せる?
何で文字が読めるんだ?
昨晩の酒宴、酒に記載された文字<日本語>を俺は普通に読んだ。
冷静に考えればあんな文字、今まで見た事も聞いた事もないのに。
「他にも不可思議な事はある。
お主、昨晩から箸を使っておるじゃろ?
あの作法はどこで身に着けたのじゃ?
箸などというもの、琺輪世界では辺境の一族しか使わぬものなのじゃぞ」
「確かに……
何で俺はこんな自然に箸を使えるんだ……?」
ヴァリレウスの指摘に俺は手を見やる。
琺輪世界では基本ナイフとフォークを使用した作法が主体だ。
幾ら便利だとはいえ、こんな二本の棒を使用する作法を俺は知らない。
そう、異世界に来るまでは。
今朝感じた違和感の正体が分かり、俺は身震いした。
美味そうな朝食。
勇者としての経験とスキルが毒など混入してない安全で栄養価の高い物だと知らせた。
だが俺は……何故出された品々を知っている?
何故あの朝食に<郷愁>を感じた?
「その顔だと、どうやら疑問は尽きぬ様じゃのう」
「ああ、指摘されるまで気付かなかった。助かる」
「まあここは遥か異界の地。
妾達は孤独な客人じゃ」
妖しい笑みを浮かべ、ヴァリレウスが俺の首筋に絡みついてくる。
「もっと絆を深めんか?
妾はお主が気に入っておるのじゃ」
蠱惑的な眼差しが俺を捉えて離さない。
衣擦れと共に艶めかしい肩がまろび出る。
そんなヴァリレウスに対し俺は……
「カレンに悪いから駄目」
と無碍なく断った。
「何じゃつまらん。
驚愕してる今なら狙い時だと思ったのじゃが」
中々黒い事をさらっという神霊である。
「貞操が固いのはここへ至っても変わらず、か。
まあ少しは気分転換になったじゃろ?」
「ああ、確かにな」
今の嫣然としたやり取りにより、
つい先程までの暗鬱とした考えは吹き飛んでいた。
「ヴァリレウスの指摘通り、疑問と違和感は尽きる事はない。
だが何にせよ俺は俺、
自らに為せる事をただ為すのみ。そうだろ?」
「愚直なまでに真っ直ぐじゃな。
だがそれが汝の在り方<勇者>というもの。
さすが妾の認めし主」
軽く俺の頬に口付けをすると、ヴァリレウスは身を離す。
「あの武藤という男の思惑に乗るんじゃろ、お主?」
「ああ。今俺が為すべきは暗天蛇……
アイツの行方を探す事だからな。
それに少しでも関わったんだ。綾奈の事も放置しておけない」
「相変わらず騒動に巻き込まれる男じゃな。
だが嫌いでないぞ、我が主よ」
幼女の様に無垢な笑顔で頷くとヴァリレウスは宝珠に舞い戻る。
俺は指摘された事を反芻すると共に、
異界の知識が根底にある違和感を追究する為、
散歩がてら外へ出てみることにするのだった。