8.鉄の告白、陸の決意
店内はどこまでも静かで、いつもとは違う空気が流れていた。何だか重いそれは、香菜の心にずっしりと乗し掛かった。
(大事な話……?)
今まで、こうやって鉄が話し始めた事があっただろうか。彼女は記憶の中を探ったが、見当たらなかった。鉄を心配そうな目で見つめ、香菜は立ち尽くす。その『話』というのが告げられるのを、じっと待つ他になかった。
「この店を、閉めようと思う」
鉄は、どこか遠くを眺めていた。その声はしばらく空中に浮かんでいたが、やがてふっと消えた。
--衝撃的だった。
香菜は今の言葉を一人では受け止められずに、反射的に三人の顔を見た。鳥山は目をぎょろぎょろとさせていた。靴井は口を固く閉ざしていた。陸はただただ鉄を見つめていた。
(鉄火山が……なくなる?)
香菜の心は、わなわなと震えていた。この静かな部屋は、彼女にとって酷過ぎた。
その五秒ほど後に、ようやく部屋に音が響いた。鳥山だった。彼は取り乱して呂律が上手く回らないようだった。
「なんで……なんで……そんなん」
「もう体が限界なんだ。歳だな」
溜息混じりの声で、鉄が答える。
「潮時ってやつだ」
反論も賛成も、誰もしなかった。できなかった。そこに座っている師匠が、四人の目に急にただの老人のように映った。
「神崎。お前、いつか自分の店を持ちたいと言っていたな」
「……はい。言いました」
香菜の視線が、鉄から陸へと移る。陸と鉄の視線は、空中で繋がっていた。
鉄は「今がその時だ」と堂々とした声で言った。
「知り合いの不動産屋が、良い条件で店を紹介してくれた。従業員は、こいつらを連れて行けば良い」
靴井と鳥山は、同時に陸の方を見た。鳥山は、自分の手がいつの間にかびっしょりと汗で濡れている事に気が付いた。今までにない大きな出来事を、全身で受け止めていた。
「陸が……開業!?」
鳥山は叫ぶとその後に「ええっ!?」ともう一声上げる。ひっくり返ったその声は、静かな部屋によく響いた。
「ちょ……ちょっと待って!?じゃあ、陸が店長になって……ええと、それから……どうなんの!?」
当の陸の方は、じっと鉄を見たままで固まっていた。たまに喉仏だけが波打つように動く。鳥山のぎゃあぎゃあ騒ぐ声なんて、彼には聞こえていない。まったく別の空間で、一人で事態を受け止めていた。
「……鉄さん」
今、ずっと閉ざしていた口をようやく開いた。陸は静かに息をした。全身にビリビリと電気が走る。スポーツマンの大会前の緊張と興奮に似た感情だった。
「俺、したいです。自分の店」