7.リサの偵察
「お邪魔しまーす」
そう言って香菜がラーメン屋に立ち寄ったのは、月曜日の放課後の事だった。今日はバイトとしてではなく、客として来たのだ。
「いらっしゃいませー!って、なんや。今日は友達と一緒なん?」
「うん。同じクラスのリサ」
鳥山は、珍しそうに香菜と共に座ったリサを見ていた。真っ先に思ったのは、香菜とは違うタイプだということだった。キラキラした化粧と金色の髪は、髪の黒い香菜とはどこまでも違っていた。
リサは鳥山の躊躇無い視線を感じながら、テーブルに頬杖を付いた。そしてヒソヒソ声で、向かい合って座っている香菜に喋り掛ける。
「ねー。まさか、あの人が香菜の好きな人じゃないでしょうねえ?」
「違うよ。あの人は鳥山さん」
「そう。よかった!あの人はちょっとねー。っていうか、肝心の神崎陸はどこ?」
今日香菜がリサを連れて来たのは、偵察のためだった。好きな人が出来たことを明かすと、リサが見たいと喚いたのだ。恋愛体質の彼女がそう言うことは、香菜も予想はできていた。むしろ、陸を見て相談に乗って欲しかったのだ。香菜にとって、リサは恋愛の師匠のような存在になっていた。純粋に彼女のアドバイスを受けたいと思っていた。
「ご注文は?」
やがて、二人のテーブルに一人の男が現れた。香菜は陸が来ることを期待していたが、残念ながらはずれだった。注文を承りに来たのは、靴井だった。
「リサ。この人は靴井さん」
香菜は誤解されないように、先に紹介をした。靴井は軽く頭を下げ、リサに挨拶をする。言葉は無かった。彼はそういう男だった。
靴井は、陸と同期だった。鳥山とは違い、口数は少ない。陸とは違い、あまり笑ったりしない。目に掛かった前髪が、物静かなイメージを強調していた。顔立ちは三人の中では一番あっさりしており、すっとした涼しげな目が特徴だった。
「私は醤油ラーメンにするけど……リサもそれでいい?」
「うん」
「了解です」
靴井はボールペンで走り書きすると、背中を向けて戻って行った。
陸は来てくれないのか、と香菜は少し残念そうな顔をした。リサと同じように頬杖を付き、厨房の方を見つめる。鉄と鳥山の姿だけしか確認できず、やはり残念そうに視線を落とした。
「ねえ、香菜。誰?さっきの人」
「さっきの人って……靴井さん?」
「下の名前は?」
「知らないけど……」
「超かっこいいね」
「え?」
リサの言葉に、香菜は急いで顔を上げた。すると、彼女は金色の髪をくるくると指でいじりながら、言葉を続けた。
「彼女いるのかな?」
「え!そうなの?リサのタイプなの?」
正直、意外だった。リサの今までの彼氏は、もっと派手でチャラくて男子高生で……。靴井のようなどちらかと言えば暗い人は対象外だと思っていた。ましてや、彼は陸と同様に『大人』なのだ。
「いや……靴井さん、かっこいい方の顔なのかもしれないけど……でも……」
「やーん!かっこいいじゃーん!」
リサは楽しそうに笑みを浮かべ、すっかり一人の世界に入っているようだった。
しばらくして、陸がラーメンを運んで来た。香菜が小声で「この人だよ」と告げると、リサはようやく我に戻ったようだった。
「香菜のバイト先気になって、見に来ちゃったんですよー」
「へえ。香菜ちゃんの友達かー」
リサの目から見た陸は、香菜の証言通りの人だった。話し方も朗らかで『優しいお兄さん』のイメージにぴったりだった。ちらっと香菜の方を見ると、楽しそうにリサのことを彼に紹介している。ほんわりと上気した頬が、可愛いと思った。
「今日はリサちゃんと帰る?」
「いや、あたしは先に帰りまーす。用事がありますからっ」
リサなりに気を遣ったのだろう。陸の質問に、彼女は即答した。彼女は香菜に口パクで「がんばれ」とエールを送った。そしてふりふりと手を振って、店から去って行く。その時に一度だけ立ち止まって、靴井の方を見た。
*・・・・・・・・・・
香菜は、陸の仕事が終わるのを、店の手伝いをしながら待っていた。一人で座っているのも、何だか落ち着かなかったのだ。
「香菜ちゃんの友達、えらいキラキラした子やったなあ」
鳥山は最後の片付けの際に、感心したような口調で言った。陸も同じことを思っていたらしく、はははと笑う。
「リサもね、ラーメンおいしいおいしいって食べてた」
「そう。それは良かった」
机を念入りに拭きながら、陸は言った。
「神崎、鳥山、靴井。ああ、早瀬も居たか」
厨房から、鉄が出て来た。彼の声で、四人とも顔を上げる。
彼は相変わらずの不機嫌そうな顔で、店の中をぐるりと見渡した。客はもう一人もおらず、暖簾も外されている。
「少し残ってくれ」
どこまでも低い声で、鉄は言った。いつもと大して変わらないトーンだったが、香菜は妙な違和感を覚えた。いつもと何かが違うと本能的に察知をした。自然に背筋が伸びる。それは彼女だけではないらしく、いつもは騒がしい鳥山も、今は口を閉ざしていた。
鉄は四人の視線を感じながら、ゆっくりと椅子に座った。ぎしっという古びた木の音が、静かになった店内に響く。
「大事な話があるんだ」