1.バイト女子、香菜
駅前の細い路地裏を進んだところにある『らーめん鉄火山』
そこで、公立高校に通う早瀬香菜はバイトをしているところだった。
「いらっしゃいませ!」
午後7時。飲食店が一番忙しい時間に、香菜はこの上ないやり甲斐を感じていた。大きな声で客を迎え、注文を取り、そしてラーメンを運ぶ。彼女の仕事は主にこの三つであった。
香菜は半年前に、行きつけだったこの店にアルバイト募集の紙が貼り付けてあるのを見つけた。まるで夢のような話だと思った。スウィーツ大好き、お寿司大好き、パスタ大好き、所謂グルメ女子である彼女のマイブームは、ラーメン。特に、この店のラーメンは大好きだった。決して綺麗とは言えない、匂いの染み付いた狭い店内。店長であるがんこおやじの『鉄さん』と、彼の作るこだわりの醤油スープ。その全てが、彼女の憧れそのものだった。鉄も香菜の熱意に負け、男手を必要としていたものの、採用するつもりのなかった唯一の女の従業員を認めたのだ。
「醤油ラーメン一つと、塩ラーメン一つですねっ」
元気良く声を出し、小走りで店内を移動する。この声を出す瞬間も、快感だった。
目指すは、カウンターに置かれた二つのどんぶり皿。香菜はそれに勢い良く手を付け、持ち上げようと力を入れた。しかし、その瞬間、右手のバランスが崩れる。「きゃあ」と思わず小さく声が漏れた。
「大丈夫?香菜ちゃん」
ぱしっと大きな手が片方のラーメンを支える。頭上から降り注いだ低い声に、彼女は振り向いた。
そこには、ハチマキを巻いた男が一人立っていた。
「陸さん、ありがとう!落としちゃうところだった!」
「いいよ。一気にこんなに運ぶの大変だろうし」
彼はそう言うと、細い腕で軽々と二つを持ち上げた。そしてくるりと背を向け、テーブル席へと運んで行く。その姿を見て、香菜は冷静に一人で感心していた。
(陸さん、さすが優しー)
--神崎陸。周りの従業員曰く、絵に描いたような好青年。
大学卒業後、三年ほどこの店で働いているらしい。白い肌と細身の体が男らしくないが、きりっとした顔立ちで、良いバランスを保っていた。
一度、彼が鉄に怒鳴られているのを見たことがあった。その時に陸は泣きそうになりながらも、真っ直ぐに鉄を見据えていた。それを見て、香菜は何となく、この人は絶対に悪い人ではないと決め付けた。
彼女から見れば、陸は優しいお兄さんといった感じだった。
*・・・・・・・・・・
時は過ぎて、閉店の時間。香菜にとって、またこの瞬間も幸せだった。
達成感を味わえるからというのもあるが、肝心の理由は別にあった。それは、賄いのラーメンが無料で食べられるということだった。
「さーて、今日もいただきますかー」
るんるんと小躍りしながら、三畳の途轍もなく狭い休憩室兼更衣室へ入る。ロッカーとテーブルが場所を占めているため、収容人数は一人が限界だった。男性の従業員は彼女に気を遣って、閉店後はカウンター付近で着替えているため、実質彼女の部屋となっていた。
隅の正方形のテーブルに置かれている、キラキラと光るラーメン。いつも、閉店後には自動的に用意されている。夜遅くにボリュームのある食事をするのは太るモトになるのだが、香菜の体は何故か平気だった。昔から、どれだけ食べても周りよりは痩せていた。
「あれ……今日はいつもと違うラーメンなのかな?」
鉄火山の名物の醤油ラーメンは、かなりこってりしている。しかし、目の前のラーメンは、あっさりとした透明に近いスープの色なのだ。
おまけに、チャーシューの枚数も違う。さらに、微妙な違いだがネギの量も多く見えた。
(鉄さんの新作?……いや、味を変えるなんて聞いてないし)
疑問を抱えながらも、とりあえず椅子に座る。慣れた手つきで割り箸を弾かせ、手を合わせた。
「いただきます!」
こんにちは、ももくりです。
1話目を読んでくださってありがとうございます(^^)
ずっと温めていた話なので、書けて嬉しいです♪