頼みごと
手元のコンピュータ画面ではトリガの菌が突起を出してくるくると回り分裂していく様子が繰り返されている。ベルカル人の体内に入り込むと瞬く間に増殖していくさまをノーラ王子は見ていたのだ。
「クスター左大臣。はいりたまえ」
扉を後ろに老いた灰色の身体が浮き上がって見える。毎日研究所に詰めて日差しを浴びる暇もないようだ。
まだまだ答えを見つけられずに悩みぬいている顔に王子は同情した。
「すまないね、忙しいところを、私的な事なんだがどうも状況は良くなくて、他の者に頼もうかと思ったんだがクスター大臣が一番適任だと思ったんだ。宇宙議会での友人が今こちらに向かっているんだがその奥方が事故に遭われて虫の息らしい。彼はもう助からないと思っているらしいがなんとか我々に望みを託している。わかるだろう。持ち込まれるのは蘇生不可能な死体かもしれないが。彼は結婚したばかりでね。なんとか妻のために誰かにすがって、もう生きかえることは無理ですって言ってもらいたいだけなのかも知れない。その友人の妻を診てもらいたい。その…若い医者に事実を説明させても納得するとは思えなくてね。頼むよ」
首から下げた手動機を外してクスタに椅子を勧め王子も窓際から離れ肘掛椅子に座りなおした。
疲れた顔に少しだけ笑みを浮かべて王子の心遣いにクスタも報いた。
「ほう、わざわざこんな辺境の惑星まで足を伸ばせる御仁とはどなたでしょう。ちょっとわしには想像もつきませんな。ここまで来るとなれば相当な日数がかかります。事故に遭われた方は低温処置を施してあればわずかですが蘇生の道もあります、元のように生活が出来るとは思えないでしょうが、それでもその方は、命が繋がっただけの奥方としてそばに置いておくのでしょうかな。わしとしてはそのまま自然に任せて無理やり蘇生させぬほうがよろしいと思いますが」
心臓というポンプを動かし続けても無駄だとクスタは言いたいのだ。
的を得た意見だとばかりに王子もうなずいた。
「そうなんだ。僕もそう言ったんだが。とても大事な人らしい。スアレム人から託されていたからなおのこと、命を繋げてもらいたいのだろう。滅多に頼み事などしない男なのだが今度ばかりはどうにもならぬらしいのだ」
不満を告げるように小さく鼻を鳴らした。
クスタを呼び出した理由が分かると王子の身辺に居た者の顔数人思い浮かべる。
「もしやアッコリの研究所で滞在なされた方ですか」
「そうだよ。五年くらい居たかな彼は。研究者として遺伝子に関する事をやっていたと思う。ここを出てからは宇宙議会の要請で良く顔を合わせたよ」終わった出来事を話すの容易だ。言葉を選ぶ必要がない。
「リクハルド王子、その御仁はセラ星系の方かな」
「そうだが。系列はセラだが彼はその星の出身ではない。それに有力者ではあるが権力者ではない。彼の星は。そうさな。競争や発展とかに興味なない星と言えるだろう。彼らは究極の存在かもしれない。実際はどうかは知らないが地位とか貧困などが無い社会環境らしい。生きている物は全て同列同等の権利が与えられていて星にある全てを享受できると言っていた。あって見れば分かるが何もかも満たされると最後にはこうなるのかと錯覚させられるよ。ああ、決して悪い意味でとらえるなよ。僕は彼がとてもうらやましいんだ。本当に欠片も邪な気持ちが無い友人なんだよ。僕のように何でもかんでも心配ばかりしているような男じゃないってことさ」と最後は自嘲気味に言ってしまった。
「安易な事は申せませんが。我々の研究は明日には光明を見つけるか知れません。それはほんの些細な出来事から始まるもの」
もう十万回以上も行ったシュミレーションは百万回目で成功の糸口が見えればいっきになだれ込むように解決へと導かれることはクスタには分かっている。
その研究を置いてまで死人の脈を取る気はなかった。
「よろしいでしょう。わしは最後通告だけを致すとしましょうかの。それで王子の面目が保てればお安いご用ですじゃ」
「すまんな、忙しい身体なのに。父上がお元気ならば良かったのだが。」
「それでは、わしにアッコリ研究所へのアクセスを許してもらえるかな。その御仁の人となりを知っておくのも良かろう」
「いつでも好きな時に見られるようにしておく。感謝している、クスタ」
ディアンの名前と患者とスアレム人との関係を手短にクスタに伝えると王子はホッとした。
どんなに良い方へ考えようとも無理な状況も存在する。死は誰であろうと嫌なもの、それが身近な者ならなおさらのこと辛すぎるのである。




