ロザンタール 2
汗だらけの顔をあちこちに向けていると奥の柱の陰に二人のスアレム人の姿が見え、
スアレム人もサスケを見つけると滑るように近づいてきた。
二人がサスケと行動をともにしていたスアレム人なら尋ねたいことは山のようにあると期待の目を向けるが美しいたたずまいの二人に挨拶の言葉も引っ込んでしまった。
まず見学予定を変える出来事はなんだったのか知りたい、それにこの後すぐに見学コースに戻れるのかも。空を飛ぶ巨大生物もいると言っていた、水の中に住むという生物も。
日程を説明された時はなにも思い浮かばなかったけれど今は違う、子供のころのビデオクリップが鮮明に思い出されて是非とも実物をと願っている。
二人のスアレム人はサスケの前に立ち黙ったまま汗で汚れたサスケの顔を見つめている。
無防備で感情が顔に丸出しで、汚い汗が額に貼りついた髪の毛をゴミの塊のように見せている生き物。
目だけは素直な光をたたえていとおしさを感じる者も広い宇宙の中にはいるだろう。
知的財産を捨て去る事で末路を決めた種族など信用に値しないと冷めた気持ちが広がるのをトリットは抑えられない。
旗を振る者だけの言うことを聞く彼らの行動は価値がないと蔑んでもこの状況に初期段階の知的生物が居たのは妥協せざる得ない事例なのだと二人のスアレム人は己を納得させようと試みていた。サスケの答えを聞かなくても返事は一言一句想像できるのだ。
手順を踏めば全ての事は良い方向へと流れるのだと心は言うがウルツイの自尊心は口を開くのを許さなかった。
見つめられたままのサスケはこの場をどう処理してよいか分からずちらちら二人のスアレム人を交互に見ている。
見れば見るほどドルチェとツオーニにそっくりである。
わずかな時間二人のスアレム人は葛藤の中にいた。
出来るだけ居丈高にならないように口から洩れる声も少なめにと最大限の威厳を保つことだけを考えた。
「ザカリアートの代表が怪我をなさいました。不測の事態ですわ」とトリットが言い、同時に二人は軽くうなずく。
ザカリアートの若い代表者を同行させることを強く希望したのはトリットとウルツイである。
二人は責任を取ってサスケに助けを求めなければいけないのだ。
さっきまで一緒だったスアレム人のドルチェでも無いツオーニでも無い、別の切羽詰まったスアレム人の様子にサスケは緊張した。
「大けがをなさったのですか?」
不測の事態は解らないが怪我はわかる。それでスアレムの方々は集まっているのだとサスケは理解した。
「そうです。大変な怪我を……石像のやりが突き刺さったのです」
思い出しても恐ろしいことを口に出していると二人は同時に身を震わせた。
「そうです。もろくなっていた土台が雨露で腐食して私どものほうへ倒れてきたのです。何と恐ろしい瞬間」
「何と恐ろしい瞬間」
わずかに寄ったスアレム人の眉間にサスケは同情した。
「そうだったんですかそ。それで皆さんあんなに慌てていたんですね」
だとすれば水生生物の見学は無理かもしれないと残念な気持ちを隠して二人のスアレム人から視線を床に落とした。
サスケが不測の事態を受け入れたのを見て二人は次のステップに移ることにした。
「我々は常時、不測の事態を予想して医療班を備えています。我々の医療技術はこの銀河では一番ですの」
「ええそうですの。いちばん最高の設備を整えていますの」
二度繰り返すことで大事な事だとサスケに印象付ける。
「そうなんですか。それはよかった。それではその代表の方は助かるのですね」
命にかかわる怪我ではなかったとサスケは胸をなでおろした。
「当然です。何の問題もありません」
「当然です。設備は完ぺきなのです」
「良かった」
ほっとした顔で笑う。大した怪我ではないのなら計画通り遺跡を見て回ることができると嬉しくなった。
「では参りましょう。手術の準備はできています」
「サポートは万全です。安心して。我々の指示に従ってくださいね」
と二人は奥へとサスケを促す。
行きかけてはたとサスケは立ち止った。
「ま、待ってください。今手術とかおっしゃいませんでしたか? 私に医者の資格はありません。主な仕事は作物の交配です。以前は……成分検査です。今の言い方だと私が手術をするみたいですが。お断りします。できません」
聞き間違いだろうかと目は疑っている、毅然とサスケは自分の裁量以上の事はやってはいけないのを告げる。
「まぁ」
「まぁ」
二人のスアレム人は幼子をあやすように魅力的な笑顔を作った。
「あなたのその指は何のためについているのかしら? 人を助けるのはお嫌いなの。困っている人を助ける事は善良なる市民の務めであるはず。やってくれますね」
サスケの種族が地下で延命に成功したのは自らを催眠状態に保っていたから。集団催眠のキーワードは市民の務め……忍耐強く発狂もせずに暮らしていくことが出来たのは大勢の中の一人であると思いこませたからである。
市長の演説の中、TVニュースのアナウンサーも、サスケの大好きなドラマのストーリーの中でも、同じ言葉を繰り返し深層心理の中に植えつけられている言葉を、スアレム人は当然のように口にすると、
活き活きしていたサスケの表情が変化した。
抗議する言葉をサスケは飲み込み街の人のために少しでも役に立つことをするのだとの意志が顔に現れた。
「私のできることでしたら何なりと言いつけてくださるとうれしいです」
サスケの目から不安が消え穏やかな光が宿っている。
「助け合うことは善良な市民の務めなのです」
サスケの答えに二人のスアレム人は満足した。
「単純な作業です。切れた血管や筋肉の繊維をつなぐだけでよいのです。我々のサポートは完ぺきですよ。やってくれますね」
念を押して聞く本人の承諾は大切だ。
「はい」
毅然と胸を張ってサスケはほほ笑む。助け合うのは市民の務め……ヴィテッカの市民のために小さな私の一仕事する機会が来たと心は決まった。
「では屋内へ行きましょう」
トリットとウルツイに挟まれて急傾斜を上ると巨大な両開き門のその奥に繋がった白いテントが四つ立っている。右から二番目にサスケは連れて行かれ透明の袋をかぶせられた。
「無菌室の準備は出来ました。患者はの腹部だけに光が当たっています。患者の横に立てばすぐに取り掛かれます。助け合いましょうね」
トリットとウルツイの声がサスケの耳元で響く。サスケの耳には小さなヘアーバンドから流れる声がきこえている。
「はい」
方向が耳元で支持されると透明のカーテンを左右に分けて光が降りてきているテントの中へ入った。
光の輪の中にある布をナイフで十字に開けると薄緑色の肌が現れた。
肌についた血はきれいに拭きとられている。
傷口だけが筋肉に逆らって斜めに三十センチもぎざぎざに走っている。
「開胸機で傷を開きなさい。違います。それはメニスカス鉗子。そうでした。あなた器具の名前をご存じなかった。では傷口を開いて。ええその器具で結構。奥にしなびれた白いものがあるでしょう。そう、それが血管です。右横上を御覧なさい。はい。そこにある変なものを目に当てがって。よろしい。コッヘルから手をお離して曲がった針を見つけなさい。そうそれです。奥の血管から始めましょう。そう。細かく縫ってね。ええそれでいいわ。それから順番にそう丁寧ですね。キチンと結んでね。そうそれで結構。あなたの皮膚も縫ったのですか。やり直しです。はい。そこはもうよろしい。では筋組織へ。良く見て繊維が流れているだろうその流れの断面を合わせて、そうそれは、そこに接着剤がある。ああそれだ、合わせてくれ。傷口も。そう、優し。よいだろう。最初の部屋まで戻ってきなさい。サスケ。足を動かして。あなたに感謝いたします。そう動いて。移動するのです。メガネはそのままで結構。それはこちらで処理をします」
二番目のテントに戻ると四方から強い風がサスケに吹き付けた。
しばらくして固く閉じた目を開けるとテントもトリットとウルツイの二人の姿も、一人のスアレム星人の姿も、広い建物にはいなかった。