危機一髪
サスケは離陸準備が出来ていると信じていた。
まっとうな頭で順序立てて考えれば、ディアンが出て行ってすぐにサスケは寝室から居間へそれから衣装室へと壁伝いとはいえ急いで行動している。
呼び出しの召使を警戒して扉に張り付いて緊張していた時間があるにせよディアンが去って、薄布を被った女性が突然現れるまでわずかな時間しかたってはいなかったのである。
船の中に荷物を運び込み離陸の準備が出来ているなどという妄想が、女性の真剣なまなざしとディアンに期待されているいう高揚感も手伝って無謀な判断を下していた。
自分の知るうる限りの情報をフル回転させて船までの最短距離を見出し、全身を動かす事によって成功への路を目指している。
棘だらけの植え込みの上を半身だけを出して泳ぐように枝をかき分け後ろに払いのけて見つめているのは朝日の中の白い船体。ちょっぴり橋脚の陰に隠れて降りている梯子階段はサスケと親切な女性のゴール地点である。
内側の植え込みの真ん中で梯子階段の四段目が見えた時、かき分けている低木の尖った枝に傷付いた腕に血が流れようと五センチでも前にと、くじけず足を出した。
わずか二メートル半の幅の密集した低木の突き刺す痛みをこらえサスケは突きぬけた。まだ悪戦苦闘を強いられている女性の植え込みのそばまで行って手を差し伸べ引っ張りだす余裕もある。
手足に突き刺さる木の枝の痛みをこらえていたチャード姫は固い土を踏む足音に思わず振り向いていた。
黄緑色の角の樹木から茶と灰色の長衣を着た男性の顔が現れた。
サスケもちらりと女性の後ろに目を向けたが、茨の中から女性を助けるのが先だとの手を離さない。
最後の足を引き抜いて小枝の痛みから逃れらてほっとしている間もなく、背後から力強い足音と声が飛んで来た。
「待ちなさい。そこで何をしていますか? これ、あなた達はそこで何をしようとしているのですか。ここは宮殿の庭ですよ」
声をかけたのウスローシだ。
新館の端に新しく組み込まれた軍の出先機関、総勢四名の宮殿の警備兵士の一人ウスローシーが通信使の報告を受けて、庭から出ている変な電磁波の正体を突きとめに確、顔見知りの召使を二人連れて来ていた。
チャードは百メートル先にある白い船を見つめて力がみなぎってくるのが分かった。
植え込みを超えるのに手間取ったけれど追手は植え込み中に入ってこない。
小さな獣でも棘の多いこの植え込み避けて通るのだ。樹木の中を横切るのは無謀だと思ったが最初の三か所があまりにうまくいったのでチャードは過信してしまったのだ。
庭師をマシュージを甘く見てはいけないのである。それらの障害も多少の被害はあっても乗り越えられた。
あとは追手が植え込みの外周を走るのが早いか、客の女性が船の中に駆け込むのが早いかだけ。
残るは平らな土の上に生えたツタの葉を避けて真っ直ぐに走るのみである。
「人が来たわ。振り向いては駄目。船まで走るのよ」
船ま一直線に駆けて行くように客につたえる。
「大丈夫よ。やれるわ」
サスケは女性の手を引っ張った時から持っていて、離れないようもっと腕をからませて胸の前に女性の腕を掴み取り走り始めた。
「え?」
ツタに絡まって倒れないようにと大股で跳ねるように走るには口を閉じ奥歯を噛み締めなければならずこの場での会話到底無理だった。
円になっている植え込みの外を走る人影がチャード姫の眼の端にある。左側は冷たく凍ってしまいそうだった。
がくがくと振れる頭で口を開けて言葉を出そうと試みて、チャード姫は舌を噛み返事と忠告は船に到着してから言う事にした。言う暇があればだが。
丸い大きな船体は思ったより遠くにあった。チャードとサスケの足並みの音がそろい互いに一心同体の不思議な感覚に覆われている中、規則正しい足音の他に後方から乱れた息づかいと重い足音が二人の耳にも聞こえて来た。
(ディアン。ディアン。頼むわ。私たちを助けて。いいえ絶対よ。私達は絶対に助かるんだから)
植え込みの外を走る追手たちを背中で感じ、怖気が足元からあってくるのを払いのける。
船を支える柱の奥に梯子階段がはっきりと見え、階段の入り口に回り込んだときに追手の三人は完全に横に並び二人の顔を見ていた。
「チャード! チャード姫ではないか。どうしたんだ! なにがあったのだ。チャード姫」
男性の命令口調の声が二人の耳にしっかりと届いた。
狭い階段入り口でサスケが顔を上げると長身のディアンの足元が見えた。抱えるように持っていた女性の手を離せばその手は優しくサスケの背中を押した。サスケは階段を一歩上った所でせわしなく動いている足音の方へ顔を向けた。
追手に捕まれば昨日の事で極刑を受けなければならなくなる。
三人の男達はサスケ達のように二重の植え込みを横切ってくる様子は無くどんどん池の方へと急いでいた。
彼らは池に向かって開いている広場の入り口を目指して走っているのだ。
チャードは背後に回った足音とウスローシの声に凍りついた。さっきまでは召使の誰かが追いかけて来ていると思っていたが、声をかけられて名前まで呼ばれ声の主が分かったのだ。
わざわざチャードと会話をするためにマシュージ王に条件付きで願い出た男。
宮殿での女性の未来は三通りしかない。
他国へ嫁ぐか宮殿に残り教育係として過ごすか宮殿から出て市居の者と結婚するか。
同腹の兄妹でも同居していなければという限定付きで結婚は許される。ただし次の子たちにはその条件は使えない。恐ろしい事にウスローシは姉と弟の立場を超えて結婚を匂わせ始めていた。
梯子階段をサスケが昇るとすぐ上にはディアンが待っていた。ディアンの無表情な顔を一瞬だけ止まって見、くるりと背を向けて階段を降りた。階段手前で青い顔をして立っている女性の腰に手をまわした。
女性の腰に手を回したまま腰を折り後ろ向きに女性を引き上げる。
「入って。入るのよ。足を動かしなさい。そうよ。一歩ずつでいいわ。動かすのよ」
「ディアンお願い、閉めて。閉めて」
二人が八段目に足を踏み込むと同時にハッチはディアンの力で引き上げられた。
ディアンの顔色が気になりちらりと見る。変わらず無表情で何を考えているか分からない。
ラウンジの前の扉の前でサスケとサスケの腕のからみついた女性を一瞥しただけでディアンの冷めた目は入り口横の電気解除を見つめて、感情の籠もらない声で命令した。
「離陸準備。緊急飛行。シールドオン」
電子回路が反応して応える。
「装甲壁準備OK、搭乗者は中央ラウンジに集合してください。緊急浮上。安全確認作業を始めます。セット完了」
壁に収まった階段を後ろにラウンジに入ると部屋の中央、半円になったソフアーに二人は腰掛けた。
フル回転しているはずのエンジン音も、もし誰かが船に向かって何かを投げつけているとしたら、船体に跳ね返された石の音もウスローシの熱のこもった姫の名前を呼ぶ声も、船内のラウンジには聞こえて来なかった。
操舵室に引っ込んでいたディアンが戻ってくると二人を正面にした半円の片方に腰かけた。
冷めた目が息を殺して怯えている二人を眺めていた。ディアンの態度でハッチを破って侵入してくる追手はいないのだとサスケは悟った。
強張って動かなくなっていた腕を女性の腰からもぞもぞとサスケは外した。
「ごめんなさい! 私が悪いのは十分に分かっています。でも見捨てていけなかったの。私が悪いの、でも、どうしてあんなところに彼女を置いておけなかったのよ、私のせいで殺されるかもしれないなんて思ったら、絶対に一人残してなんか行けなかったの」
拳を握りしめ身体を震わせてサスケはディアンに訴えた。昨日から、いや出会った時から私はこの眼の前の若い男性に謝ってばかり言い訳ばかりしている。なぜこんなにも過ちや間違いを犯してしまうのか、何の解決策も持っていないのに。
サスケの髪の毛から肩先から茶色の粉吹雪がソファーに舞った。涙で滲んだ、もしくは汗かもしれないが顔も茶色の染みが横や縦に走っている。
「落ち着きなさい。サスケ」
薄紫のかぶり物の薄布の残りが首元で襟のように開いている女性はディアンを正面から見据え細部まで見ようと目を見開いたまま動かない。
サスケの緊張状態はいつにも増して長く続いき、相も変わらず緊張すると最初の頃は前頭葉は思考を停止し視覚からの情報を遮断していたのが今は違う回路を使って古く眠っていた本能、もしくは押さえつけられていた記憶が呼び覚ましたようだ。
船に入って来た時のサスケの言葉や様子から、待っていた間になにが起きたかはディアンは想像はつくが説明を聞く時間ぐらいはありそうだ。
「まずはシャワーを浴びて船内服に着替える事を私は勧めますね。チャード姫を拉致したことは大きな罪ですが。そんなに興奮していてはうまくいく事も良くない方向へと変わる事もあります。着替えてきなさい」
思わぬディアンの優しい言葉に顎が外れんばかりに口を開いてサスケは聞いていた。怒られるのは後回しになったのだ。
「ようこそチャード姫。うわさはジーヴァスから聞いていますよ。サスケに着替えとシャワーの使い方を教わってください。それとサスケに落ち着くように言ってもらえると助かります」
微笑むディアンの顔にほほを赤らめている女性は乱れた身なりを気にして恥ずかしそうだった。




