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Inheritance  作者: KOUHEI
慣習の星
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邪魔をする木々

ノックの音は重厚な枠板にぴったりと身体をつけていたサスケの耳に届いていた。

(ディアン…)

腰から倒れそうになる身体を口を結び押しとどめる。

足元まで冷気が下がり時間の流れが止まった。

厚地の布を張った長椅子が持ち上げれるものなら扉に向かって投げてもいいよと笑っている。


冷たくなった指先に意識を集中してサスケはドアノブを引く。

(笑顔を作らなきゃ。違う、起きたばかりの半分目を閉じた顔)


来訪者の体重とサスケの扉を引くタイミングが合って自然な力が働いたかのように扉はすっと開いた。


開くと同時に朝の冷えた空気と優しい香りとともに、薄紫の衣装の女性が部屋に転がるように入って来た。


サスケは飛び退く暇もなく同じ高さにある女性の頭の先から顔、首元を間近に見る位置に立っていた。


女性は十センチと離れていないサスケの目をまっすぐに見つめ返して開口一番、押し殺した声で言った。


「事情はお聞きにならないで。今すぐに、この国を出て行ってもらいたいのです。お願い。あの船で早く出て行ってくださらない」


出来るだけ相手を驚かさないよう落ち着いて懇願したつもりが、切羽詰まった緊張感がチャード姫の顔にはありありと浮かんでいる。


サスケは、夫は寝ていますしばらく起こさないでとの言い訳を、何度も練習していた口は言葉を出す前に驚きでふさがれ、目の前の紫のかぶり物の女が昨日兵士に絡まれていた女性だと分かると全身の力が抜けて嬉しくなっていた。

別れた女性のその後の出来事が気になっていたのだ。


「尋ねてくれたのがあなたで良かったわ。私達ここを出るつもりで準備をしているところなの。それというのも、私達が逃げ出さなきゃいけないのは私が原因なんだけど」

とはにかんだ。

逃げ出す意味をとサスケは考えたが、文化や習慣の違いで意見の相違が生まれた事を長々と言っている場合では無い。


それよりも緊急事態だというのに心を和ませる、なんて良い香りなのかしらと、立場を忘れて顔は緩んでいる。


紫色の女性の身体から香ってくる匂いにサスケの口元は自然と笑みを浮かびあがっていた。


「挨拶もせずに出て行くのは失礼な事だと分かっているけれど、行かなきゃいけないの」

やっとまともな人と会話が出来ると落ち着いた気分になった。


女性はサスケの優しく笑う顔に違和感を覚えたけれど、船までの距離を思うと道案内をしなければとの使命感で笑顔の理由など聞く暇は無い。


「すぐに? 船の準備はできているのかしら? でしたらお見送り致しますわ」

昨日助けてもらった借りはわずかでも返したい。


お茶でも飲んでいるかのように気楽な気分でサスケは尋ねた。(悪い人ばかりで無くてよかったわ)

「え。引きとめないの? それより怒らないの、ひどい客よね勝手な事して、黙って出て行くなんて……」


女性はサスケの口元に手を当てサスケを黙らせた。

この会話を続けてはいられない。

もし客が黙って出て行くのを女官が気が付き屈強な召使いや、ホドワやウスローシに知らせたら大勢の人間が押し寄せてきてチャード姫一人では抑えきれなくなるのだ。


真剣な目をしている女性は声を殺して言った。

「急ぎましょう。事情を説明すれば長くなります。あの方は、ディアン様はこの国の事情に精通していらっしゃる。無事にキリング国に着かれたらお尋ねになればよろしいでしょう」


好機である。チャード姫はそう判断した。そして恥じた。


たとえ庭の途中で、くちさがない召使に見つかろうとも、二人をここから脱出させる流れが見えた気がした。チャード姫の頭の中で二人が船に乗り去って行く光景がありありと浮かぶ。急がなければ。


サスケの準備が整っているのを見てとって自分の足元を素早く見つめ、もたもた足まわりに汗でくっついて離れないロングスカートの布を、すでにここまで走って来た事で破れそうになっている個所からチャードは引き裂いた。


着ている服が破けている言い訳など何とでもなる、今は一刻も早く庭を横切って船の中に、客の女性を送り届けなければならないのだ。


宮殿では朝の忙しい時間帯である。新館に集まりだした召使や調理場で働いている女官の一人が庭に目を向けて、客の不審な態度に気が付いたら間違いなく宮殿の外を警備している兵士の一軍を呼び寄せ庭を占拠するに違いない。

そうなったら、いいやそうはならない朝の早い時間なのだ、絶対にみつからないとむねのうつでつぶやいた。たとえ一人や二人の女官が止めに入っても、チャードが腕を振り回し足で蹴り上げれば、ちょっとの時間は稼げる。せめて客の二人が船の中に入りさえすれば誰も手だしはできないはずなのだから。


チャード姫は優しい顔をしたサスケの腕を握りしめ絶対にこの宮殿から逃がしてやると心に誓った。

「ツタに気を付けてください。絡まれば外すのに手間取りますの」


サスケはチャード姫に引っ張られるままに部屋を飛び出した。

大きく踏み出した足に手が当たり固い手帳を触った。なんて絶好なタイミングで手帳が震えているのだろうと後ろ姿の女性に微笑む。尋ねて来てくれた女性が幸運の女神に思えて握られた腕が熱く感じられた。

「助けてくれるのは嬉しいのですけど。こんな事をしてあなたが大変な目に会いませんか」

一抹の不安がサスケの脳裏を横切った。撲殺、刺殺……


「大丈夫です。私の事なら、心配なさらないで」チャード姫は毅然と言った。

言い逃れや自分の都合に合わせた説明は嫌いだけれど伯母たちに同情させるよう言いくるめられるだろう。

その前に絶対にやり通す事があるのだ。船のある広場まで最短距離を探し一刻も早く二人の客をブローレスから立ち去らせなければならない。


薄緑の低木、ちょっと背の高い人物なら頭の先が見える程度の常緑樹、その間に植えられた黄緑の木、黄緑色の木に似ているこんもりした木は植え込みの角々に植えられ、その木々を目標と決めて歩いてもいつか間違えてしまうように庭は作られている。こんな複雑な生垣を作った庭師を呪い恨んだ。そしてすぐにその間違いに気がついた庭師はマシュージの命令に従っただけなのだ。


互いに東西南北建物に住まう人間の交流を立ちたかったマシュージは樹木の迷路を複雑に重ねて作りすぎたのだ。


泥棒の退路を断つためだと人前では言っているが、旧館に住まう女性達を新館以外に部屋を持つ男の眼から隠すためだとだれもが知っているのに。


疑り深いマシュージは美しいと噂されている女は妃候補に宮殿に入れる。他の男が妃に興味を持ったならばその妃の日常の行動すらも浮気を疑う悪癖を持っている。

室内で絵を描いたり刺繍をしたりして過ごすのが女の役目と思っているマシュージは屋外に宮殿外に女性が出ることなど許さないのである。


苦々しい思いで植え込みの横を走っているとサスケがチャード姫の腕を引っ張り足を止めた。

チャードが振り向くと足から腰までを植え込みの中に突っ込んでいるサスケが居る。


「任せて、昨日歩きまわって知っているのよ」

と緑の葉の中にチャードを引っ張りこもうとしている。


植え込みに身体を埋める客の姿にチャード姫は驚いたが、なるほどわざわざ樹木の壁に沿って歩かなくてもいいのだと納得しすぐにチャード姫も後に続いた。


樹木の壁を横に突き切り、密集した植え込みの中から三度目に出て来た時にはチャードの結いあげた髪の毛は茶色の細かい木の皮で覆われて乱れている。


船の白い側壁が見えて得意満面の顔でサスケは隣の女性にほほ笑んだ。

同じようにサスケの後ろで一つにまとめた髪の毛は半分は結んだ布からはみ出てちょっとやそっとでは髪の毛に降り注いだ木っ端は振り落とせそうにない。


「ね、近いでしょう」

息を切らして自信満々の笑みを浮かべて隣の女性を見る。

自分のために女性が動いてくれているという事を忘れているようだ。


二人の目の前には腰までしかない低い植え込みが広場を二重に囲んでいる。


広場には中央に一隻だけ白い船が変わったモニュメントのように待っていた。

植え込みは船を護るラインのように二重に巻きに平らな広場にはツタが伸びている。

目の前に船を見て二人は胸をなでおろした。船までの障害物は腰まで無い二つの低い植え込みだけである。


二人は船を目指して最短距離になる植え込みの当然のように足を踏み入れた。踏み入れた途端これまでの植え込みとは違う事を二人が知ったのは植え込みを半分過ぎたところだった。


太い枝先に細かく密集させた葉だけの木々と違い、この低木は細かい小枝でその全体を形作っており足を入れた部分だけ枯れた枝が嫌な音を立てて折れ、次の足を出そうにも小枝の壁が足先を遮るのだ。

しかも細かく突き出た小枝は極めてしなやかで簡単には折れない。


二人の急いた気持ちとは裏腹に足は思うように前に進めず、わずか二メートル半の横幅しかない植え込みのなかで、動きがゆっくりになった二人は、ばきばき小枝が折れる音が前に進んでいる証拠と自分を奮い立たせ、足を前に出すために植え込みの表面をかき分けるようにして倒してのろい歩みに冷汗をかいていた。


広場を囲んでいる遠回りの植え込みの外周を走るより、広場の真ん中にある船まで行くには、低い植え込みを突き切った方が絶対に早いと思った気持が半分ついえている。

手足に擦り傷刺し傷をたくさんこしらえて一番外回りの外周の植え込みを超えると、植え込みと植え込みの間に細い水路があった。


小さな土手を降りて登るとさっきの植え込みよりちょっと広めの植え込みが待っている。


二番目の植え込みに入る前にチャードとサスケは後ろを振り返り追手がいない事を確かめた。


水路の泥を膝下に余分につけて二人は黙って水路を超えて

皮膚を差す小枝ばかりの中へ入って行った。



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