逃げる準備
太陽がほんの少し地平線に現れるだけで大地に根付いた草と土とを見分けられるようになる。
黒いなだらかなの稜線にしか見えなかった丘は、光を受けて線の長さ分の建物と建物を彩る深緑色の屋根と装飾に縁取られた壁をくっきりと鮮やかに浮かび上がる。
真っ直ぐに伸びて来た強い朝の光は、垂れ下がったシダを押しのけ、色ガラスで飾られた窓に真横からあたり、サスケが寝ている部屋中に色と一緒に差し込む。
色ガラスを通した光は赤や青、緑、黄色と様々に乱舞して、ランプや調度品、幾何学模様の壁はもちろんのこと、薄い白いカーテンですら明るい花模様に変えて部屋中が華やかな色に埋め尽くされた。
昨夜の事が無ければサスケはしばし光が作り出す不思議な光景を見ていたに違いなかった。
真っ赤な花模様の色ガラスが瞼を染め、美しい光の舞に目を開けた時、ここがどこなのかサスケは一瞬分からなかった。
そして声をかける相手を求めて反身を起して隣のベッドを見たのである。天蓋から降りていた薄布は柱に結ばれて、大きなベッドの中に誰もいない。
慌てて窓や扉の様子に目を走らせた。
人の形の陰も変な光の動きも無さそうである。
サスケの気配に気がついたディアンは
足音を消し寝室のドアを開き、サスケのベッドに腰を落とした。
いつもと変わらぬ顔つきでディアンがそばに来た事を不安な顔つきで見つめ何か言いだすのをサスケは待った。
そっとディアンは花弁のような口元に指をあてサスケに頷いて見せた。
音を立ててはいけない、声も出してはならないとディアンの目と指に読みとってサスケは下唇を噛んで答えた。ひきつっている顔に無理やり笑顔を作ろうとしてサスケは失敗した。
私が昨日無茶をしなければこんな事にはならなかったのにと。
サスケのベッドを離れた、ディアンのシンプルな宇宙服に気が付き、
自分もと探したが、昨日脱ぎ捨てた服はおろか細々しい装飾品が見当たらない。
乱暴に脱ぎ捨てた服を探して、椅子の横、ベッドの下と背伸びして視線をうろつかせているサスケを寝室の扉の前にディアンは引っ張っていくと、耳元で昨夜考えていた計画を告げることにした。
「ケバング峡谷にはいかない事にしよう。我々は招かれざる客だからね。そういった客にはいろいろと噂のある場所には近づかないでおこう。ちょうど召使たちは夜の疲れを取るためか、朝食の時間なのだろう。部屋の前にはいないんだ。そのすきに僕は荷物を船に乗せてここを出ようと思っている。万が一僕に呼び出しがあったら、何でもいい胃が痛いとか頭が痛いとか。持病があるとか言って誤魔化して欲しい。医者を呼ぶとかの大げさな話しにならないようにだけは注意してくれ。それと召使たちを部屋に入れないでくれ。僕はその間に船の離陸準備をするからね。用意が出来たら手帳を震わせる。ゆっくりと散歩をするように庭に出るんだよ。決して走ったりして怪しまれないようにしてほしいできるかい」
ゆっくりと出来るだけはっきりとサスケの目を見ながらディアンは説明した。
サスケはちょっぴり目を輝かして答えた。ディアンの言うとおりにしたらきっと何もかもうまくいく。
「ディアンの事を、お寝坊で朝が駄目な人って事にしてもいいかしら」
逃げ出す準備をしているディアンの助けになるのなら、嘘をつくくらいなんでもない。
ディアンの優しげな顔に対して、サスケの思案に暮れた顔を見せるわけにはいかないと奮起しても不安は覆いかぶさって来て息苦しくなる。
「それはとてもいいね。ついでに君も、朝が弱くてしばらく寝かせてくれって訴えてもいいかもしれない。ともかく召使が来たら、サスケは姿を彼らに見せてくれ。二人が部屋に居るという事を確かめさせるんだよ」
見張りの交代時間はあいまいで予測はつかない。昨夜から今朝にかけて見張りは几帳面に次の交代要員が控えているときもあったが一時間ほど誰もいないときもあった。
夜が開け、明るくなったからと見張りを怠っているとは思えないが、四方に人のシグナルが消えている間にザカリーの力で荷物を搬入する事は出来ると判断している。
立ち去ると決めたからには自分達が居たという痕跡をディアンは残したくは無い。後々ジーヴァス王子に、引いてはキリング国に迷惑をかけることになるからだ。
緊張の高まっているサスケにこれ以上細かく頼んで考えさせるより、何も言わずに行動した方が良かったかもしれないとサスケの激しい緊張に無駄な事を言ってしまったとの思いがよぎる。
寝ている間に行動に移したかったのに、陽の光は音も立てず、揺り起す事もしないで
深い眠りのサスケを簡単に起こしてしまった。陽の光に他する生命の反応は止められない。
「言うわ。自然を装って。会話も無くて、偉ぶってあっちへ行きなさいと言ってやります」
サスケが着替え始めるとディアンは寝室から抜け出て、
通路側の扉を大きく開き、衣装室から荷物を運び始める。
朝の冷たい風が庭から吹きこみ、寝室のドアまで届く前にディアンは部屋から消えていた。
寝室の鏡の前で着替えたばかりの服装にチェックを入れて、最後に顔にショールをかけて端を結び支度を整え居間に出ると、通路側に開かれていた扉は閉まりディアンの居た残り香がわずかに漂っている。
衣装室に入ってサスケの足は止まった。
クローゼットに入らなかった衣装と、他のたくさんの衣装が無造作に乗せられていた箱も小道具も部屋には何も無く、意味もなく広い空間だけがそこにはあった。
「昨夜からやってらしたのね。それなのに私ったら横でぐっすり寝ていたなんて……」
忘れ物は無いかしらと見回してはたと思いつき、つま先立ちで寝室に戻ると脱ぎ捨てていた寝巻を見つけて布袋に突っ込んだ。
大事な手帳はポケットに入れてあり服の上から触って壁に沿ってドアまで歩く。
何時でも手帳が震えれば駆け出しても良いように、待機する場所を応接間の長椅子の後ろにして待った。
が何となく変だと思い、ここはやはり見張りの召使同様、扉のすぐそばが再考の待機場所ではないかと思い移動した。
震える手帳に反応して走り出れるし、召使いが何時来ても応対できる場所だと思ったのだ。
体中に力を入れて寝巻の入った袋を小脇に抱え、扉の色ガラスが配置されていない木枠の部分に、横向きに張り付いてみた。
これなら万事OKとポケットの手帳の上に空いた手を乗せる。
ディアンがいつ荷物を抱えて、出て行ったのかをサスケは知らない。荷物が壁をこする音もドアの開閉時にきしむ音も聞こえていない事にまで思いを馳せる余裕は一切無かった。
ポケットに入れた手帳が震えて宇宙船の出発準備が出来たと知らせてくれるのをただ待っている。
「どうぞ、召使の人が変な事を尋ねてきませんように。見張りの人が来る前に、船の用意が出来ますように」と、扉から見渡す部屋の広さを恨めしく見ている。
扉と窓わくの間に立って通路側から見られないように気づかいながら、窓の小さな透明ガラス部分から通路を警戒して何度も覗いて見ては、体を折り曲げて扉の半分下をよちよちと歩いて扉を三センと狭く開けて庭と通路の左右を怖々見る。誰もいない。
通路の曲がった角、庭木の中に召使がもしくは見張っている人間が身をひそめていれば別だが今のところサスケの見ている範囲には人影は無い。
ほっと小さく息を吐いて腰を伸ばし、肩の力を抜いて扉を閉める。もう一度ゆっくりと少しずつ扉を開く、今度は姿勢を正したので見る角度が変わって刈り込まれた植え込みの奥まで見える。
あの立ち木の向こう側を通って行けば、確か船が止めてある場所にいけると植え込みを目で追い扉を閉める。
閉めた扉から小さくトントンと音が鳴った。
扉から電流が流れたようにサスケは全身を震わせた。
閉めたばかりのドアノブに置いた手を少しずつサスケは離し、
こちらからどなたと聞き返したほうがよいのだろうか、それとも寝ぼけたふりをして何度か来訪者にノックをさせて時間を稼いだ方がいいのだろうかと、何も言ってくれない天井を見ながら考えた。
きっとノックは室内の人影を確認していると思うと、身体が凍りついたように動けなくなった。




