思惑
池を中心に東に建ってい宮殿の左端の通路から食堂に通じる大扉がある。
大扉を開けはなっても厨房からの匂いが食堂に立ちこめないよう作られた細長い部屋がある。
普段は給仕たちの椅子が置かれた一室にウスローシはやって来ていた。
厨房に大勢いたコックたちは去り、磨き抜かれた鍋や食器類が整然と並べられているのが開け放った扉の向こうに見える。
すると厨房の両開きの大扉の陰から、するりと人影が現れ足音も無くウスローシに近づいている。
驚いてウスローシは身構えたがひたひたと歩くその陰には見覚えがあった。
「もうとっくに寝ていると思っていましたよ。ああ夕食が少し辛かったかな。王に合わせると辛口になる。喉の渇きは取れましたか」
ウスローシは人影の持った水差しを見て笑顔を作った。居るとは思わなかった人影は会いたいと念じていたチャード姫だ。
チャードは眠れない夜は自室と厨房それらをつなぐ通路うを歩き回り疲れたころ部屋に戻り床につくのだという。彼女は傑出した芸術家なのだ。今日の客に何かインスピレーションを受けて創作意欲が湧いたのだウスローシは思った。腹違いの姉は美しく聡明なうえ天からも祝福されているのだ。
人影はウスローシだと気がつくと近くにある等身大の彫像の陰に身を隠した。
夜中に女性が歩きまわることはよく思われない。ウスローシはよく気が回る男性で、何かと弁解できるよう先に言い訳を見つけてくれる。宮殿内の女性達の間では評判は良かった。
置物の陰からじっと相手を見つめてウスローシだと分かっても、チャード姫は陰から出て行かなかった。
「ホドワおじさまの相手をなさっていたのでしょう。大変よね。おじ様の話は終わりが無いから。それで今日はどんな話に花が咲かせていたのかしら。当てて見ましょうか。今日いらっしゃったお客様の話題でしょう。せっかく呼んでいただいて文句を言うのは嫌だけど、憧れは手が届かないから美しいのよ。私の願いは叶えてもらったのだから。明日にはお帰りになってもらわなければなりませんわね」
残念だという気持ちを隠し、努めて素っ気なく言った。二日前にザカリーの一人がブローレスに立ち寄ると聞いて足も地に着かなかったが、今は父親を含む男性方の動きが気になって仕方が無い。
「よく分かっているね。王も他の方々もあまりよい印象を客には持たれなかったよ。ただ君だけは喜んでいると思ったよ。なにしろ上流階級の婦人がたに絶大なる指示を受けている人物と聞いていたからね」
酔った頭で収集した情報を選り分けていた。その全部が軽いうわさ話だとしてもチャード姫にどんな些細な事でも記憶に留めていた。
「でも私の思っているイメージでは無かったわ」
嘘ばかりを並べている自分に腹が立った。伯母が集めてくれたザカリーの写真をまくらの下にまで忍ばせて眠った夜もある。それがわずか十メートルも離れていない場所で見られ、イメージ以上の美しさに感激もしていたのだ。
ともすればザカリーの面影に心を持っていかれそうになるのを堪えて薄明かりの中ほろ酔い気分のウスローシを見る事によって現実に直面している事を自覚しようとチャード姫は思った。
下品な笑顔にウスローシの下心を感じながら、チャードも感謝の言葉をそれとなく伝えなければならい。彼はチャードとの会話を望んでいるのだ。
チャードの意外な答えに驚きつつも、気持ちは中央の庭にある船が目の前にちらついている。
「最新式の宇宙船に乗ってきたそうだ。私は見た事が無いが、内装は特注だそうだ。良かったら明日にでも見に行かないか。特殊なカギで本人を認証しないと開かないそうだから中に入って見ることはできないのは残念だが。彼は相当な金持ちのようだ。しかも若い。彼なのだろう? キリングで見かけたザカリーというのは。あの若さで妻子持ちとはな。それも考えようによっては良いのかもしれないな」
アルコールがウスローシの口を軽くさせていた。
想像もつかない金を持った人間を間近で見て興奮してもいた。
妻を娶ったと知ったときには驚いたがそんな事でザカリーの美しさが損なわれることなど無いが、ウスローシが暗に言わんとしている事が伝わって来て嫌な気持ちになった。
「そのようですわ。私が見た画面の中では、そんな幼く見えませんでしたけど」
あくびを一つ眠そうにして見せる。あまりウスローシの話題に興味を持って聞いているようには見えない事を願っている。
チャード姫の顔色をうかがっていたウスローシは嬉しい驚きを隠せなかった。
「子供には興味が無いと」
キリング国から帰って以来まともな受け答えを返された事が無い。何時も嬉しいか悲しいかのどっちつかずの分からない返事ばかりだった。若い娘にはありがちな時期なのだと年老いた女達は言うが、憧れの本人を前にして興味のない、どちらかと言えば冷淡な受け答え
胸の内の熱情はしまいこんで、大人げない時間を過ごして興ざめしている、沈んでいると思ってくれたら。
「ええ、映像と実際に会ってみるのとでは違うわ。私、想像を膨らませ過ぎた見たいだわ」
庭であった兵士がザカリーの妻を狙っていたと思い当たるまでにチャード姫は時間はかからなかった。
これまで自分の役割は大事なお客様を気持ちよく宮殿で過ごせるように尽くすことだと思っていた。不慮の事故にあったお客さまを見舞い慰労の言葉をかけた、ときには手作りの物を差し上げたりと心から接待していたつもりだったのだ。
その接待が客の立場からすると、どんなに空々しい出来事だったのか他国に出てチャード姫は知らされたのだ。
他国では途方もない意地悪な作り話を、これ見よがし聞かせる礼儀知らずな人ばかりと思っていたが、それが嘘偽りではなく、まざまざと真実として身に降りかかるとは思いもよらなかった。
これまで深く考えなかった出来事とぴったりと一致してしまうと、恐ろしさでで身がすくみ、父親の居間で共謀される内容がどんなものになるのか知りたくてうろうろと召使の目に触れぬよう歩いていたのだ。そこへ酔っぱらったウスローシーが現れた。
チャード姫はいつにもまして落ち着いた声で話す事に気を配った。
ザカリーに対する非難めいた口調にウスローシは喜び、つい言わなくても良い事が口から出た。
「何だ何だ。寝ても覚めてもザカリーの事しか口にしなかったのに。せっかく額にまで入れた大作の絵が悲しむぞ」
と伯母達が素晴らしいとほめちぎって応接間の紋章の上に忌々しい絵を飾らした出来事を引き合いに出した。
「あれはあれ。良い思い出ですわ」
さらりとチャードは受け流した。精も根も尽き果てるぐらい集中して描いた絵をウスローシごときに評価されたくないと目は険しくなったが、顔の向きを変えたせいでうまい具合に影になりチャード姫が怒っている事などウスローシには伝わらなかった
絵を描いていた時の素晴らしい時間を目の前の男に説明する気は無い。
「そうか、ならば気に病む必要はないな」
チャードが見捨てたのならあの男がこの先どんな目に会おうとも彼女の悲しむ姿は無いと思うとホッとした。しかもそれを王にご忠心するのは自分の役目だとも思っている。王はウスローシの言葉を大いに活用するに違いない。そしてあの客をチャード姫から遠ざけキリング国との交渉の手立てに使うだろうとほくそ笑んだ。
よこしまな考えがチャード姫に伝わったのか、
「なにか?」
静かな優し目がウスローシを見ている。
「ん? 明後日には客が去ってしまうだろう、姫が寂しくて耐えられそうにないと思ったまでだよ」
と心にもない嘘が口から出て来た。
最悪な場合、船と妻はブローレスからは出られないだろうとウスローシは薄々気づいていた。
「客は宇宙船で来たのでしょう。始めてね宇宙船で来た人って。それだけでも興奮してしまうわ」
男達の酒の席でどんな会話が交されたのか聞きたいが、育ちの良いチャードは回りくどく庭に鎮座している船の話題しか思い出せない。
「僕もそう思った、内緒でね近づいてみてもただの球体にしか見えなかった。外壁はとっかかりがあると航行に支障あるのだろう。あれはスアレム人の英知の塊みたいなもんだな。外からは分からないけど」
「一度室内を見たいわね。航行中の生活ってどんなものかしら。あら他人の生活を覗き見したいなんて言っているんじゃないわよ。船の生活なんて想像できないから。会話する機会があって、言ったら見せてもらえるかしら」
「君が中を見たいって言えば入れるかもしれないね」
「そう? だって伯母さまがそんなこと伝えてくれるかしら」
「言ってみるべきだよ。彼は客だ。伯母さまの居ないところで直接言えばいい。分かるよねのこの意味?」
「ええ」
「もしさ、許可が出たら僕も一緒にいけるように口添えを頼むよ。船の中を見るなんて最初で最後かもしれないだろう、頼むよ」
「約束はできないわ。私と話さないでお客様は帰ると思うわ。知っているでしょう私の性格を。だから期待なんかしないでね」
「いいや僕はできると思っているよ。君は国外に何度も出ているし知識やマナーは最高。明後日の朝なんかどうだろう。君の魅力なら妻子持ちでもなびくに決まっているさ」
不安など一切ないと満面の笑顔をチャード姫に向けて、
ウスローシは最高のチャンスが目の前に来たと足が震える。
ホドワ、オーレリー、バルナベ等を、いやマシュージ王すらも出し抜いて客の宇宙船内に入り込み小さな仕掛けを置くのだ。これで手柄がウスローシ一人の物になる。船内を物色して上着の一枚も持ちだす事が出来れば極上のおまけだ。
客がブローレスの船で式典に出ている間にマシュージ王は宇宙船を隠すに違いない。その時に役に立つのはこのウスローシだ。
個人認証で動く最新鋭機の宇宙船内に電波撹乱装置で隔壁の荷物も機関室もウスローシの指一本で自由に開閉できる。
船を動かす事が出来れば姫を乗せてブローレスを離れてもいいとさえウスローシは思った。
しかし途方もない事を望むより確実に実現できる小さな盗みのほうが大きな魅力だった。




