恋心
チャード姫は東館の一番大きな居間に通じる廊下をもう五回は往復している。
六回目を行きかけたところで、三人の召使が現れたの期に階下に降り、庭が見渡せる部屋に逃げ込んでいた。
女性専用の息抜きとして庭を見渡せる部屋なのだが暑い昼間降りてくる人はいない。
誰もいない広い部屋にひとり、庭に面した窓の色ガラスが埋め込まれている神話に目を向けていた。
長椅子に座って気持ちを落ちつけようと、開いてもいない窓を見ても、気晴らしの庭の景色など見えず、かといってもう一度階段を上がる勇気はチャード姫には無く、息苦しさを感じて庭に通じる扉を開けて刈り込まれた庭園に涼しい風を求めて出て行った。
顔の輪郭と目鼻口の位置がかろうじてわかる程度の、薄布の中に入ってくる風はわずかで、薄布が顔に貼りつくことで風が吹いていることがわかる。
宮殿の中でも薄布をうっとおしいと思うことは多々あるが、今は自室でじっとして居るよりはこうやって庭を当てもなく歩いているほうがチャード姫には気を紛らわせてよかった。
ブローレス国の社会には細かな階級制度が男性はもちろん女性にもある。家族の中で最も年齢が高く、王の血に一番近いものから順位は上と決まっていた。たとえ王の娘であろうとも叔母や祖母よりも先に客人と顔を合わせることはできないのである。
また兄嫁やその子供たちよりもチャード姫の地位は低く、いま行われている午後のお茶会が済み、夕餉の会食までチャード姫は待たなければならい。
同じ屋根の下に憧れの人がいると思うだけでチャード姫の胸は高鳴り苦しくなる。
去年キリング国に行ったチャード姫はこの世の人は思えない男性を見ている。
見たといってもジーヴァス王子と見合い前の予備知識を得るため、ホームビデオの観賞会での出来事である。
正式に直接顔合わせをして気分を害せず断る事の無いように、どちらにも対等な情報を与えてこれはと思える相手を選ぶシステムだが、この会食後、断る女性は無く数台設置されたカメラが招待された女性達を映していることからして、女性達の品定めを王子以外の誰かがしているらしいことは会場の全員が知っていた。
観賞会はキリング国以外からも選抜された若い女性達が暗いフロアーに五十人余りいて、王子を中心に撮られた何もストーリーの無い映像をただ観るのだ。
年下のジーヴァス王子などもともとチャード姫は眼中にないが父親の命令には逆らえず嫌々この会に参加した。
美しく着飾った娘達の前にはチャード姫が見た事もない大きな画面で、王子の正面の顔、愛くるしいそばかすのある横顔、友人たちとの談笑風景に、軍服姿のジーヴァス王子が元気良く動き回っていた。
その隣には、顔半分しか映っていない男性の魅力的な瞳、ジーヴァス王子が見上げた顔の先、一瞬だけ映った顔の優しげな表情をチャード姫は見逃さなかった。
顔の見分けのつかない遠目に映し出された中に、その男性が写るとチャードの胸は締め付けられた。
ビデオカメラを持っていた人物は忠実に王子だけを追っていて、編集もうまくされていたにもかかわらず、腕だけであろうと肩の一部であろうとチャード姫の眼には彼の身体だという事がすぐに見分けがついたのだ。
キリング国から帰ってくるなり、様子のおかしいチャード姫に気が付いたのは一番仲の良い伯母である。胸の内をチャードが打ち明けると早速調べてくれ、たくさんの情報も教えてくれたが、こっそりと父親にもこの異変を伝えてもいる。
朝に夕に彼の事を思わない日は一日たりともなかったけれど、同じ屋根の下に居るのだと思うと顔を合わせられる喜びと、彼を振り向かせられるだけのどんな才能も器量も持って居ない事にチャード姫は気後れもしている。
サスケが隠れていた木の幹のそばから、気ぜわしく二つの足音はいり組んだ植え込みの中に消えている。
足音はサスケが行きたかった池の方角へ向かったので、彼らが行き過ぎてからもう一度池へチャレンジしてみようと様子をうかがったが、声の主は戻ってきそうにない。
だれにも見つかることなく庭をうろつけたことがサスケの小さな自信になり、
大胆にもサスケは遠くなった話し声の後をつけて見る気になっていた。
声の主が戻ってきたらすぐさま植え込みの中に隠れる用意をして、耳を澄ませ自分の足音を出来るだけたてないように注意して歩いた。人の後を追うのは生まれて初めての事である。
枝をしならせて樹木の中から出るとツタに足をひっかけないように注意しながら後を追った。
樹木の垣根に沿って行くと、足音の主に追いつかぬよう気をつけて歩を進め、ときどき振り返っては建物との距離をたしかめた。十分部屋に戻れる場所に居る。
と突然、呼び止められた。
「おい、女。ひとりでうろつきまわるとはいい度胸だな。褒めてやろう。どうだ嬉しいだろう?」
荒々しい足音の中に軽い足音が止った。
「どこへ行くんだ。女! 声をかけてやっているというのに俺たちの前にひざまずけ! 頭を垂れて返事をしろ。全く女としての行儀作法も知らないとは言わせぬぞ」
サスケは身体が固まった。サスケの背の高さのもこもこした樹木の枝葉が陽に照らされて緑に輝いている。
足元には乾いた土と縦横無尽に伸びたツタの蔓。サスケの前にも後ろにも人はいない。なのに声はサスケにひどい言葉を浴びせている。




