大聖堂 2
五十七列目にいたサスケも背中に汗が流れるの数えて押し黙っていた。
「サスケ。気分がすぐれぬようですが。あと少しの辛抱です」
涼やかな顔がサスケを心配してみている。白地に灰色の配色で地味に仕上げた揃いの衣装を着ている。
結いあげた髪の毛の間から化粧を落としながら汗は流れている。
「はい、少々暑くて。いえこれぐらいの暑さは慣れていると思うのです」
どこから見ても誰が見ても、見間違えようの無いカップルだけれど、黒髪を後ろに撫でつけ心配そうに伏せた眼もとの風情に、匂い立つような美しさが際立ち盗み見している者の暑さをしばし忘れさせる。
一度でもディアンの顔を見た者はもう一度見たさに首を回してみていたが
ディアンの美しい顔の向こうには暑さで苛立っているガイゼンが居て恐ろしい殺気を放っている。
周辺の客はディアンの顔を眼だけで追うことにして体は祭壇をに向けてかなり苦しい体勢を作っていた。
サスケはヴィテッカの街を守るぶ厚い遮断壁を超えた発電所で働いていた事を脳裏に思い描き、これくらいの熱量など大したことではないと自分自身に何度も言い聞かせている。
(湿度六十パーセントを超えたかしら、気温は三十三度。大丈夫よ、もっとひどい状況の中でも動きまわれたのよ……)
顎の下まであるブラウスの襟と広いウエストの帯がしわになるのを気にして、背筋を伸ばして前方を見ているが流れ落ちてくる汗がまつ毛を濡らして、祭壇にいる人影をぼやかしていた。
二十メートルは超える高い天井の内は淀んだ熱い空気が満ている。
荘厳な雰囲気を醸し出すようにと儀式の演出はこまごま考えてられいて、
祭壇横の上にしか光を入れる窓は空いておらず
時間の経過とともに聖堂内の温度は上昇していたのである。
ガイゼンが前列の騒動を見て顔しかめ、ガイゼンの位置から一番効果的な空気の入れ替えが出来る場所に向かって吠えた。
「おい衛兵。その大扉を開けなさい。空気を入れ替えるのじゃ。さっさとせんか! 衛兵」
どすの利いた声が扉横に立っていた衛兵の耳に届いたが、声の主を衛兵は眼だけでちらりと見た。
大柄の女の形相は恐ろしかったが、ガイゼンは上官ではない。
兜の下の目を白黒させながら衛兵は上官の言葉を待っていた。
これだけ客が騒げばすぐにでも上官の伝言が通達されるはずなのだが、衛兵のそばに駆け寄る伝令の姿はどこにも見えない。
百二十二列目の右端に座っていた老人が最前列の通路に人垣が出来て身動きが取れなくなっているの確かめると最後尾のほうへよろよろ歩いてきた。
「私が許可をする。開けなさい」
衛兵は老人の顔を見ても名前など知らないと口を結んだが、式典が整然と執り行われていない状況にうろたえてもいた。
睨みつける老人の胸には軍隊の功労賞の星がいくつも輝いていて、
退役したとはいえ軍人が言うのだからと、言い訳を見つけて衛兵は回れ右をして大扉を押し開けた。
「ウッドハにはわしがちゃんと言っておく。名前を聞いておこう褒美は無いが罰が当たる事は絶対に無いからな」
と肩で息をした老人は言った。
二人の衛兵が大扉を開けると爽やかな風の中に熱い空気が塊になって出て行った。
大扉の外には左右の階段に着飾った兵士たちが微動だにせず立っている。数十分ごとに階段を上がったり降りたりを繰り返して警備を務めていたが、式典が終わるまで開くはずの無い大扉が解放されて、一瞬だけ戸惑いが顔に現れたが、見物に来ている民衆を一人たりとも聖堂内に入場させぬよう毅然としていなくてはならなかった。
聖堂前の広場では二頭立ての五十騎の車の周りでは、そこかしこで物見高い民衆が繋がれた獣を珍しげに見ている。
取り囲まれた獣は口枷の中で歯をむき出しにして人々を驚かしていた。
御者は鎌首をもたげる獣に静かにせよと鞭をふるうが獣は興奮しているのか石畳を叩いた音にも反応して叫び声をあげると、見守っている民衆も恐怖の悲鳴を上げて飛び退くが
獣の首がよそを向くとまたぞろ近寄って、獣と誰も乗っていない車の中を覗き込んでいる。
無粋な姿を客に見せるなと言われていたロコイメント達は
次々に備品室に運ばれてくる貴賓客に声を失っていた。
少なからずロコイメントだけは備品室の扉が開く事はないと思っていたのである。
下士官に異常なしと告げるため残っていたロコイメントの前に
コフラでは見た事もない羽根飾りをつけた男が言った。
「何と、式場とこの部屋の中とは、天と地ほどにも差があるではないか」
男の額にかかった汗が見る見るうちに冷やされている。
何か適切な言い回しが無いか考えたが、ロコイメントに思いついたのは部屋の特徴を言う事だけだった。
「ここの床下には水路が流れております。しかし冬は凍えるように寒うございますが」
兵士は奥へ奥へと貴賓客を誘導するも床の上に病人を寝かせることなどできずに試行錯誤していた。
冷えた空気を吸い込み男は冷静さを取り戻していた。
「これ、そこの箱の上に立てかけてある敷物をかけよ。何か飲み物はあるか? 飲み物を一口持ってまいれ」
慌てて中庭にいたくたびれた坊主を見つけて飲み物を持ってくるように命令した。
壁際にはうずたかく積み上げられた大小様々の箱。昨日の夜まで香炉を磨いたり花瓶の修復作業にと忙しくと夜もろくに寝ていない坊主見習いは、中庭に通じる戸が開かれ兵隊にお茶を用意しろと言われてのろのろと水差しとカップを持って現れ、汚い備品室に似合わない人々に驚いている。
「オー、ちょうど良いところへ。こちらへこちらへ」
山積みの木箱に顔をしかめながらも、客の夫がカップを持ち夫人に飲み物を差し出すと
うつろな目で夫を見て一口だけ口につけて目を閉じた。
その様子を見ていたロコイメントは上官の言葉を実行するときが来たと思った。
「お迎えの車は参りました。奥さまを中庭まで運びましょう。設備の整った建物へと案内いたしますよって」
こんなところで彼らの足を止めさせていたらウッドハ様に何と言われる事やらと、ロコイメントはやっとの事用意していた車と御者を呼びよせて中庭に通ずる戸の横に立った。
汚い戸口だろうと荒れた中庭だろうとこの急場に文句を言う客もいないはずと開き直る。
祭壇と聖堂の中だけ飾り立てた奴が悪い、恥をかくのはウッドハであってロコイメント達ではないと腹をくくると客の足元しか、みる事が出来無かったロコイメントは顔をあげて視線でこちらへと呼ぶ事が出来た。
二組の男女を手伝って兵士が中庭に出て車に乗った。
箱に座っていた夫人はありがたい事に夫の手を握りしめ、大きく息を吸って立ち上がった。
「あなた大丈夫だわ。ちょっと気分が悪くなっただけだわ。戻りましょう。もうすぐ私たちが順番が回ってくるわ。このために来たのですもの。さっさと行きましょう」
とロコイメントの立っている中庭側の戸を見る事も無く来た扉から出て行った。
交代に肥った女を抱えながらまた一組客が入ってきた。
「それじゃうちのを乗せてくれ。飲み物はあの女が口をつけていないカップで頼む」と顔色の悪い着飾った夫人を連れた男がロコイメントに訴えた。
夫人の支えとなっている男も汗をびっしりとかき気分が悪そうである。
坊主見習いにもう一個あるカップを顎で示して、飲み物を運ばせているところへ
新たな客が入ってきた。この女性もうなだれて顔色は悪い。その後ろに続いて二組み美しい衣装を汚すために汚い備品室に入って来ている。
最初の女性のように気分がよくなって式に戻ってくれればよいのにとロコイメントは祈った。
用意した車は五台、全部出払っている。次に病人が入ってきたらしばらく様子を見ましょうとかなんといって道具箱と年季の入った敷物のベッドで寝てもらうしかない。




