報われない想い
スヴィンダ・ノーラ・リクハルド王子の一日の予定は決まっている。
午前中政務に集中し、午後は属している研究機関に移動しトリガ菌の研究に時間を使って過ごす。
王族の血筋に生まれた限りトリガ菌との戦いは課せられた使命である。
その大事な研究をほっぽり出して、宮殿の入り口にいつもは立ち止る事もない場所にまで来ては空港の方角を見て、エントランスから控室を駆け抜けて屋上までの息もつかず上ると、広々と広がる空を見上げたり、八つの尖塔で隙間からしか見えない道路の一部を身を乗り出してみては、また駆け下りて宮殿の通路を一目散に玄関を目指している王子がいる。
王子に急遽呼び出されていたクスタは散歩がてらに、途中で息子の車を降りて守衛門の警備兵士に声をかけ、どっしりした中に細かい彫り物のある大扉が開きっぱなっしになっているのを怪訝に思いながら、のそのそと入って行った。
クスタの姿を見つけると、
「遅いではないか。急いで参上しろと伝言を聞いていなかったのか」
灰色の壁に溶け込みそうな身体の動きを止めて王子の慌てふためいた形相をクスタは見ている。
挨拶の言葉を考えているとせっかちに王子は言葉を続けた。
「来るのだ、ディアンが。連絡が来た。どうしたらよいか。わしはどんな態度でディアンに接すればよいのじゃ」
熱い息を吐きながら体中に緊張を漂わせている。
若い王子がなにを焦っているのかを察知してクスタは言った。
「まだ諦めてはおりませなんだか」
空いた大扉から冷えた風が入り込んできて王子の身体から出ている熱を押しやった。
「悪いか、想像するぐらい良いではないか。サスケ殿は婦長と懇意じゃ、いや並々ならぬ心情を抱いておいでじゃ。この土地が大いに気に入っているとも言っていた。それならば、わしの隣に置いて何が悪い。王妃と第二夫人が一時に現れるのだぞ、こんなめでたきことはない。いやすまぬ。わしは逆上せておる。そのような事が出来るはずはない。サスケ殿の了承も得ていない。しかしもう少し時間をかければサスケ殿の口からディアンに離縁を突き付けられるのものを」
沸々と湧き出る言葉に王子は自分でも呆れるくらいに心情を吐露している事に気が付いていた。
「殿下。愚劣な想像はやめなされ。どうしてそこまで飛躍してしまわれた。ヤロル婦長の腹の子はまだ生まれたわけではございません。殿下とサスケ殿とて数度お会いしただけでございましょう」
困った顔でクスタは言った。
「駄目か。友人の妻に横恋慕しているのではないぞ。ヤロルの腹の子はわしとサスケ殿の子供ぞ。子は健全な両親の下で育てるのが良い環境なのではないのか。え!クスタ。そうではないのか」
ディアンの連絡が入るまで王子は楽しい妄想の世界で過ごしていた。
通路で話すことではないと控室に入り扉をしっかり締めてクスタは王子の目を捉えて言った。
「殿下。落ち着いてくだされ。ベルカル人はサスケ殿の遺伝子で救われまする。婦長の子が生まれるとその子は菌の耐性を持って生れてきます。その耐性遺伝子は全国民に配る事が出来るのです。よろしいですか。ベルカル人はもうトリガ菌を恐れる必要はないのですよ。我々はもっと違う研究に着手できる。あなたの父王にも間に合うかもしれない」
控室に押されて入り込んだ王子は、身体から出る熱が外からの風で冷やされなくなるとまた自分で出した熱に浮かれ始めた。
「わしの個人的な幸せを捨てろというのだな。わしはここ一カ月、ありとあらゆる方面からサスケ殿の処遇を考えていた。お前の言っている事は一番最悪な面白くないシナリオだ……」
クスタから目をそらし壁に飾られている春の訪れを描いた絵を見上げる、隣には美人で有名だった王妃の肖像画が掲げられている。
「うん。悪くない選択だ。二度と会えぬというわけではない。友人が事故で死ぬという事もあるし。そうすればわしが慰めてこの地で死ぬまで一緒に過ごす事も出来よう」
王子の考えを言葉の断片で読みとり、クスタは頭を横に振った。
もう一度王子に目をやると王子の心の中ではこれまでの事がせめぎ合っているのか表情はなにも読み取れ無い。
クスタは王子に聞こえるか聞こえないかなの声音で、
「殿下。もうやめなされ。患者の治療が終われば、家族の元に返すのが一番でござる」
どうあがいたところで王子に勝算はない、そんなことは最初からわかっていたことなのだ。でもいざとなったら友人に親しくなった二足歩行の女性患者を返したくなくなった王子の心情を汲み取った。
結婚という儀式もせずにいきなり子供が出来るという状況を作り上げた自分にも責任はあるとクスタは王子を責める気にはなれない。
諭されても熱が残ったままの王子はどんな行動を取っていいか分からない。
「そうだな…取り乱してしまった」
舞い上がっていると自分でも思うが言わずにはいられない。ヤロルに淡い思いを抱いてそれが青春と呼べるのなら、これは国の未来まで考え抜いた愛とはいえないのか。ただそれが先に友人の妻になっていただけではないのかとの思いが渦巻いている。
クスタが賛同してくれれば内密に宇宙船を撃ち落としてしまえる、そんなことまで考えていたことは口に出さずにクスタの戒めに耳を傾けなければならない。王子の立場ならばそうすることが当たり前なのだ。
控室のティーテーブルの上では空港からの直通電話のランプが灯っているのを王子は恨めしく見ていた。
熱い吐息を一つ吐き出し、
「出かける。ディアンの相手は研究所に任せる。いやクスタお前にやってもらう。何患者の部屋に案内するだけだ、それぐらいの事は出来るだろう。私は忙しい身体なのだヌーラの収集してきた菌を調べねばならん。突然の訪問者などの相手などしていられるか。私の所在を聞かれたらコンネルに居るといってくれ」
クスタの薄くなった目を睨んだまま間をおかず早口で言いたい事言い終え、
「車じゃ。車を裏に回せ。すぐにじゃ」と扉の外に控えている召使に大声で命令し、さっさとその巨体を部屋の外へ出した。
「サスケ殿、許して下され。別れの挨拶など辛くて出来ません」とつぶやき、
長い通路を一度も足を止めること無く、裏門に待ち受けている車に乗り込むと王子は後ろ髪を引かれながら宮殿を後にした。




