兆しを求めて
クスタは下がった口の端に力を込めた。
「これから言うことは。王子の胸の内に納めておいてほしいのですが。わしはベルカル人とあの患者の細胞を使って新しいベルカル人を作り出したいのですが。いかがでございましょう」
ちらりと王子を上目使いに見てすぐにその眼を伏せた。今日という日を選んだの間違いだったようだ。
「わしは命をもてあそぶのは好まぬ。そのためのシュミレーション用の機材に力を入れている。それだけでは済まぬというのか」
国の収益の半分は主な研究所の設備費に与えられている、それを知らないクスタではないはずなのだ。
肩で息をして口の中が潤うのを待った。
「我々が大量培養実験、動物使用実験、植物使用実験、ならびに細胞融合実験を停止した経緯はご存知の通りです。」
多くの命が惨憺たる結果を産んだことはどのベルカル人研究者にもいえる苦い記憶である。
「特定遺伝子を改変する実験は成功しない。そう結論に達した。それを今頃になって蒸し返すのか」
ノーラ王子の目がクスタの歳を取った顔を眺めている。今日初めて相手の内情にまで考慮しようとするいつもの王子の温厚さが戻って来ている。
「いえもっと単純な実務実験の許可を頂きたいのですよ。胚移植を行いたいのですよ」
口の中の渇きを歳のせいにし、舌なめずりして唇を潤したい衝動をクスタは押し殺した。
「子供の出来ない夫婦の治療のひとつだな。で、私の友人の妻の細胞を誰とかけ合わせるのだ」
クスタの話に耳を傾ける余裕が出てきた王子は話を最後まで続ける気持ちになっている。
悪夢を見ているかのように昨夜から議会への思いが膨らんでどうにもならない思いを見えるもの全てぶつけてしまった。
「ノーラ王子の冷凍精子とかけあわせたいのです。」淡々と研究者らしく聞こえるようにクスタは言った。
鼻先でふんと王子は笑った。これだから研究にばかり人生を捧げると人の倫理観が無くなる典型的例だとばかりにクスタを見つめた。
「馬鹿も休み休み言え。友人の妻だぞ! 夫がいない隙に姦通を斡旋するような許可を出すと思うか。年寄りだと思うていたがそのような破廉恥極まる所業は許さぬ。それにわしの家系に二足歩行者などいらぬわ。愚弄するにもほどがある」
ちょっと大袈裟に言いすぎたと反省した、今日のノーラ王子の口からは毒のような言葉しか出ないようだ。
おもむろに顔をあげてからクスタは言った。
「失礼ながら。言わせてもらいまする。王子のお歳はいくつでありますかな三十も半ばも過ぎ世継ぎもいませぬ。これより花嫁を迎えられて御子が成長しても成人の前に王子が生きている確率は低い。民は病にかかり減り続ける。王子の縁戚の者が王位を継いで国を治めたとしても今の状況は変わらぬのですぞ。患者の遺伝子は我らの救世主になるかならぬのか、わしはなると思うて頼んでいます。それに二足歩行の遺伝子は弱い。結合される遺伝子は変異を起こし患者の遺伝子の古い部分を刺激して同じコドンを表に出すのです。新しいトリガに強いベルカル人が誕生するのですよ。これでもまだ許可を頂けないのですか」
湧き上がる感情に押し流されぬようクスタは言葉をつなぎ、
そしてさも悲しげに続けた。
「ご友人の妻は元気になりこの土地をその足で二度目を踏むことはありますまい。空の彼方に去ってしまわれる。あの患者女性の細胞が必要になったら王子は星の旅行をして友人に頼みますか。それは何年後でありましょうか。そもそも貴方の友人はそれを快く許して下さるでしょうか。それにこのたびは怪我だけで命に別条なかったものの、あの患者が宇宙の藻屑と消えてしまったら、わしは生きている間ずっと悔み続けるでしょう。突然変異を起こしたタンパク質がベルカル人を作り出していく工程を見ながらね」垂れ下がった目で王子の顔色をクスタは伺った。
「遺伝子的に改変出来るのか、私とそなただけの秘密となるのか」
頭の回転の速い王子だ、怪訝な顔をして、まだクスタが言い終わってはいない次の言葉を待っている。
「いいえもう一人必要です。媒精させた後、母体に戻さなければなりませぬでな。口の堅いヤロル婦長に頼みたいと思っていますよ」
万事クスタの思惑通りに事は運んでいる、表情に出なければ良いが。
「彼女か」
一瞬王子は遠くを見つめクスタに意識を集中した。
「ええ」
王子の目を捉えてクスタはうなずいた。
「いつからこの事を考えていた?」
研究者ならばもろ手をあげて喜んで良い事柄である。
あらぬ疑いがかからぬように眉間にしわを寄せてしかめっ面をクスタは作った。
「患者の情報を入れた数日後には結果が出ましたから。しかしあまりに大それたことと悶々と悩んでおりましたじゃ」
王子に告げて安心したのかいつもの惚けたクスタに戻っていた。
「うまく成長するとは思えぬが」
「細胞は頻度の低いコドンでは無いのです、導入遺伝子産物の生産も多い。導入遺伝子はサイレント突然変異を起こさずコドンを最適化もせずに済むのです!」
くわっと口を大きく開けて説明を始め出したクスタを手をあげて王子は制した。
「待て。詳しい説明はよい。そなたらに我々の菌の研究を述べてもすぐに理解は出来ぬだろうそれと同じだ」一息ついて尋ねる。
「異種間移植の成功率は」
「半々といったところでしょう」
伏せた目で答える。
「私は年上の愛人を持った事になるのだな。」
「ヤロル婦長ではお気に召さいませんか」
「いやよい。彼女は私の初恋の人だ。ただ仕事を夫に選んだだけの女性…彼女ほど適任者はいないだろう。話を勧めてくれ。今日の私はどうかしている。友人を裏切りその妻を国の研究資料にするなどとは思いもよらなんだ」
これも宇宙議会へ召喚を断った罪の報いだろうかとノーラは思っていた。トリガ菌の育成シュミレーションは船の中でも出来る。星を離れるのに大きな支障はこれといってない。議会へ行けばザカリーと違って奇異の目を向けられる。何度か出席した宇宙議会はベルカル人のために新しい議場ルールも出来特注の席も誂えられた。
積極的に医療団の活躍に貢献できたのは若かったからとしか言いようがない、宇宙線に晒されて遺伝子に変異が早まるという恐れもある。しかし自分の居ない場所で宇宙のルールが決まっていると思うとわずかな改稿事項でも口を出ししたくなるのだ。敵愾心に満ちた議会場で閉会まで平常心を保っていられるかノーラには自信がなかった。
「半々か。高い成功率だな。自分の子供が他人の手で生まれるとは思いもよらなんだわ」
言ってみてノーラははたと思い当たった。ノーラとて正式な王妃から生まれたわけではない、父王の数多くいる愛人の一人の第一子で健康に生まれたというだけで王宮で教育を受けたのだ。
一度クスタの研究所を覗いてシュミレーションの結果を見るのも良いのではないかと思った。ついでにディアンの妻の見舞いにも行ってみようとも。




